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小宮山剛の自己紹介

世間では「Clubhouse始めました」が節分の豆まきのように飛び交う最中、2021年2月4日に小宮山剛がnoteを始めます。

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(noteを始める前日、前髪を自分で切りました。こわいね。)

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小宮山剛のnoteを始めるにあたって、私のその他SNS・ウェブ周りの情報もふんだんな海鮮丼のようにのっけておくので、フォロー賜りますれば幸いの三乗でございます。

小宮山剛(こみやま つよし)

1990年7月26日、福岡・博多に生まれる。「剛」の字は長渕剛さんからインスピレーションを得た父が考案したと聞いているが、母からは「珠のように強い子になるように」という意味だとも聞いている。

高校は東福岡高等学校へ進み、第52期生徒会会長を務めた。一番の思い出は、卒業式の答辞を読んでいるときに卒業生から「長ぇからはしょれ!」と罵声が飛んだこと。生徒会長の立場を巧みに利用した慶應義塾大学文学部への推薦入試応募はあえなく失敗し、その直後全身全霊をかけて臨んだ一般入試を経て無事慶應義塾文学部へストレートで進学した。

英米文学を専攻し男女比8:2という大学生活を謳歌した後は静岡ガスへ入社。東京での満員電車通勤を嫌っての地方転地だった。そして静岡の地(下島や御門台)が気に入り安寧の時を過ごすも、入社5年目で担当していた新規ブランド立ち上げやオウンドメディア運用の仕事をもっと極めたいと思い上司と相談しながら円満退社。結局東京にある石油化学系の業界新聞で記者となる。

しかしながらそこはやはり東京アンダーグラウンド。池尻大橋~大手町(田園都市線)という「何で満員電車嫌いな人がそこを選んだ?」という最悪ルートでの通勤に、そして新聞記者仕事の「コレじゃない感」に辟易し、地元である九州方面への帰還を意識する。

この時既に小宮山剛28歳、2018年のことであった。この頃はまだ新型コロナウィルス感染症が世間を騒がせることもなかったけれど、既に地方移住の波はうねりを上げていて、僕も渋谷のデジタルハリウッド大学で聴講したとあるセミナーで「地域おこし協力隊」の制度を知りチャレンジの階を見出した。当時、たしか全国の協力隊が4,000人をこえたくらいの規模感だったと思う。

情報収集や熟考の結果高知県・佐川町さんと宮崎県・椎葉村という2つの自治体の協力隊選考を経て、結果的に椎葉村が募集していた「クリエイティブ司書」という怪しくも輝かしい(気がする)ミッションに惹かれ移住を決意。九州のほとんど真ん中、日本三大秘境椎葉村。人口は約2,5000人で、鹿が人の2倍の数いると脅されながらの入村だった。

そして「素人が図書館を立ち上げる」というミッションに明け暮れていたら、気づけば30歳になっていた。自分で言うのもなんだけれど、この世のなかでこんな場所は他に無い。すごい場所が、日本の秘境に生まれたんだ。

図書館司書の資格も取得し椎葉村図書館「ぶん文Bun」のメイン司書として選書やディスプレイ、レファレンス(図書紹介)に従事する毎日。それでいて僕の本質は表現者でありクリエーターであり続けることだと思う。だからこそ今こうして、noteに文章を書きつけているのだ。

東京にもニューヨークにもパリにもないような新しくて懐かしい感激を、日本の秘境・椎葉村からお届けしよう。

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