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『心淋し川』(直木賞作品)読んでみた、読書レビューがすごく難しかったけど書いてみた。

こんばんは、オオハシです。 毎週続けてきた読書レビューが途絶えそうになって、というのも、今回読んだ「心淋し川」が、直木賞ということもあって、深くて、僕の理解力ではかみくだくのにだいぶ苦心してしまったという原因があります(ので次回は超軽いので行こうと思っている)。さておき、直木賞作品、というか読んでもらいたい本と思いながらレビュが書きにくかった作品ですが、(自分なりに)考えながら書きましたので、ご一読いただけると嬉しいです。 ではいってみましょう!


心淋し川
西條奈加
2020年9月の本 

第164回直木賞受賞作、ということで買ってみた。「推し燃ゆ」の芥川賞も気になったが、芥川賞作品は僕の理解力では追いつけないことも多く、直木賞作品を買うことにした。 
二度読みは昨今よくするようになったが、二度読みすぐにしたくなる、二度読みしないとわけわからん、二度読みして初めてわかる、ずどーーんと切ない、淋しい、愛にあふれる、というか、僕の表現力では言い表すことができない、なるほどさすが直木賞とはこういうものかと勝手に感動してました。

帯には、短編がいくつかのような記載、「全六編」と表現されている。前半読んで江戸時代のこういった時代背景のこと、あんまり詳しくないんで、と、思いながら読み進め、「差配」さん、よく出てくるな、というか差配さんだけが軸になって複数のストーリーが流れているな、と気づき始めた後半…。これ以上は書けません。
僕は、一昨年まで千葉の柏に住んでいて常磐線/千代田線で通っていたから、根津/千駄木とかそういうところもなんとなく名前はわかる(降りて歩いたことないけど)そういうところもあって、まさに降りて歩いて歴史を学びたかったな、というのはありますね。 そういう背景があってできた「まち」というとまた違った見え方ができてきますよね。


というか個人的にはレビューがすごく書きにくい。 ほかの人はどう書いてるんだろう?とまで調べることはしたくないしね。 ネタバレレビュでは、ほんとつまんないし。 (というか改めて内容分かってからタイトル(章見出し)を見返すだけで、深い、と思う。。)


引用抜粋(二度読みしたので一度目と二度目で分けて記載)
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■一度目
・P85 「おれの弱気もおめえの勝気も、世間さまじゃ疎まれる。ここはそういうはみ出し者ばかりが吹き溜まる。世の中って海を上手に泳げないまま流されてきた。灰汁(あく)がつよかったり面倒な者もいるが、少なくとも『あたりまえ』を楯に、難癖をつけるような真似はしねえ

・P231「すまない、商人に頼まれたというのは嘘だ。仔細は明かせぬが、あの町で、どうしても成し遂げたいことがある。住人に迷惑はかけない。差配として、精一杯働くつもりだ」
 どうか承知してもらえまいかと、頭を下げた。
 「よろしいですよ、旦那。何があったかきかぬのが、心町の理(ことわり)ですから
 「…いいのか?」
 「生き直すには、悪くねえ土地でさ」
 老差配は、菩薩のような顔で微笑んでいた。


■二度目
・P38 「本当の名は違うんだ。心川(うらがわ)はそれを縮めてるだけでね、町の名もそこからついた。つまりは、川の名が先で、町のほうが後というわけだ。
 「何というの?」
 「心淋し川(うらさびしがわ)というそうだ」
 誰かが戯れにつけたのか、何か由来があるのか、そのあたりは差配にもわからないという。
 「ただ、その名を聞いたとき、どうにも惹かれてね。差配の話を引き受けることにした」
 「趣があるのは名ばかりで、汚い溜まりだと知ってがっかりしたでしょ?」
 「いや、そんなことはないよ。誰の心にも淀みはある。事々を流しちまった方がよほど楽なのに、こんなふうに物寂しく溜め込んじまう。でも、それが、人ってもんでね

・P154 「息子のため、富士乃助のためなら、苦労とは思いません。それが母親というものです」
 そこにいるのは、息子の我儘にふり回される哀れな母ではなかった。憑かれたように我が子に執着(しゅうじゃく)し、獰猛なまでに情という刃をかざす姿があった。
 「だが、お吉さん…親は最後まで、子供の面倒は見てやれない。あんたが先立てば、息子はどうなる? 子はいつか一人立ちをする。その力をつけてやるのが、親の務めじゃないのかね。あんたのやっていることは、まるで‥」
 #このシーンの直後に、二度目のときに特に気になるくだりがありました。(割愛)

・P194 
 ちょうどこの川のように、とろりと濁ったままの頭を揺さぶり目を覚まさせようと、十二年のあいだ石を投げ続けたが、甲斐はなかった。投げた石の重みは、はね返ってでもくるように、茂十の中で嵩(かさ)を増す。
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あいかわらず、だからどうだ、というところがありますが、せっかくなので出てきた(難し目の)単語を『デジタル大辞泉』で調べた結果も記載しておこう。調べたことによって、なるほどそういう語源なのですね、と改めて勉強になる。
(調べた結果なので内容に関してはご容赦ください:さすがに想像ついたけどうーーんな内容は記載してません)

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差配」:所有主の代わりに貸地・貸家などの管理をすること。また、その人。「差配人」

手代」:
 1 商家で、番頭と丁稚(でっち)との中間に位する使用人。
 2 商店で、主人から委任された範囲内で、営業上の代理権をもつ使用人。支配人よりは権限が狭い。
 3 江戸時代、郡代・代官・奉行などに属して雑務を扱った下級役人。

岡場所(おかばしょ)」
 《吉原に対して、「傍(おか)」、すなわち、わきの場所の意》江戸で、官許の吉原に対し、非公認の深川・品川・新宿などの遊里。

下品(げぼん)
 1 仏語。極楽浄土に生まれる人を、能力・資質の差によって上・中・下に3分した、その最下位。→九品(くほん)
 2 下等。「―の恋の句に一面滑稽味を帯びているのがある」〈寅彦・俳諧の本質的概論〉

禿(かむろ)
 3 江戸時代、上級の遊女に仕えて見習いをした、6、7歳から13、4歳くらいまでの少女。かむろ。
  
阿漕(あこぎ)
 [名・形動]《禁漁地である阿漕ヶ浦で、ある漁師がたびたび密漁をして捕らえられたという伝説から》
 1 しつこく、ずうずうしいこと。義理人情に欠けあくどいこと。特に、無慈悲に金品をむさぼること。また、そのさま。「阿漕な商売」「阿漕なまねをする」
 2 たび重なること。

人身御供(ひとみごくう)」※実用日本語表現辞典
 人身御供とは、人を生贄にして神に供えるという意味のこと。現代では、「目的のために特定の人間を犠牲者にする」という意味で使われることが多い。人身御供の英語表現には、human sacrifice や victim などが挙げられる。「人身」という言葉は、人体や人間の身体、身分などが語源になっている。「御供」は供え物が語源であり、神や仏への供物という意味がある。


「寂寥」
 【一】[名]心が満ち足りず、もの寂しいこと。「寂寥感」「行介は何か淡い―を覚えた」〈山本有三・波〉
 【二】[ト・タル][文][形動タリ]ひっそりとしてもの寂しいさま。「寂寥とした冬景色」
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今回は、文中にほかの(自分の投稿の)リンクはないですが、勉強になったことも多い中、レビュが難しかったというのが(何度も書きましたが)正直です。 また、引き続きよろしくお願いいたします。​ いつものブクログもつけておきます。


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