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【東京パリ食堂】〜伝説の72歳シェフの店〜

こんにちは。

私がこの記事で紹介したいお店は早稲田にある「東京パリ食堂」というフレンチです。

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ここは大学3年の夏に初めて訪問してからというもの、毎週欠かさず行っているお店です。

フレンチというと、銀座のレカンや表参道のローブリューのように、一晩で1万以上する、高級でドレスコードのある敷居の高いイメージが一般にありますが、それと一線を画すのが、徳田夫妻の「東京パリ食堂」です。

名前に食堂と入っている通り、ここはカジュアルで日常使いができるお店です。

充実感あふれるフレンチを、安く、おいしく、気取らず提供しているのがこの「東京パリ食堂」です。

徳田シェフは当時貧乏学生だった私に、季節ごとに変わる魚やジビエ、ウサギの肉の柔らかさ、蜂蜜とマスタードの香りのする上質な肉汁、グラタンのなめらかさ、溶けかけのヌガーグラッセの舌を包み込むような甘さを教えてくれました。

↓ウサギの背肉のローストと海老、アンチョビ風味のクリームソース

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↓鴨の自家燻製とクスクスのサラダ

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1960~70年に起こった「ヌーベルキュイジーヌ」とは、フランス語で「新しい料理」を意味する、調理法・スタイルのことで、これは当時フランス料理の革命とまで言われました。

フランスではそれまでのこってりした味付けの伝統的フランス料理に代わり、食材の持つ自然な風味や質感、色を重視した、軽く繊細なスタイルで、要するにこれが流行ったわけです。

このスタイルの影響は凄まじく、料理を凍らせたり砕いたり、やたらと泡立てたり、一つのコースがでデザートまで含めて全部で50皿とか、つまり一口一皿になっているという、まあもう行き着くところまで行き着いているわけです。笑

なので誕生日やデート、結婚式などお祝いのときにしか食べない人が多いのではないでしょうか。多くても月に1、2回の頻度でしょう。

そんなフレンチを"特別な日にしか食べないもの"扱いする時代の潮流に対して、「食事をラーメンや牛丼で済ましてしまうような日本人の食生活に、フランス料理をどうしても加えたかった。」と徳田シェフは話していました。

フレンチを”特別”から”日常”へという理念によって、価格もボリュームに対して非常に安いです。

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ランチは本日のスープ、2~3種類のオードブルサラダ、メインディッシュにカフェか紅茶がついて1200円という安さ。

そして夜はアラカルトとコース3020円、3980円の2種類があります。

来る人の舌を間違いなく育ててくれるお店です。

下記、徳田シェフの来歴を抜粋↓

「〜お客様に感謝を込めて〜
■1980年、江東区亀戸にフランス料理が出世魚”をマダムと二人で開店しました。店名に、セイゴ、フッコ、スズキのように大きく羽ばたく店になるようにとの報いを込めたのです。当時の色は、フランス料理とはまったく無縁の地で、大変苦労しました。 そこで、思いきって内蔵料理(ロニョンドヴィー・リドーヴォー・レバー・仔牛セルベルなど) に切り替え、自家製のスモークサーモン、そして鰯、秋刀魚、鴨、仔羊の燻製を手作りで仕上げて、フランス料理の醍醐味を味わってもらいました。

■1987年、大田区上池台にフランス料理"シェ ドゥーゼム トクダ"をオープン。
当時はまだまだ、フランス料理といえば、年にクリスマスと誕生日のみの利用。なんとしてもフランス料理の魅力をたくさんの人に広げたい! その思いに強くかられました。 そして、20 数回の渡仏、星付きレストランを50 件以上食べ歩きました。今日はラーメン、明日はトンカツという日本の食スタイルの一画にフランス料理をどうしても加えたかったのです。

■1992年、飯田橋店“東京・パリ食堂"、1995年、神楽坂店 東京・パリ食堂、
1998年、水道橋 "東京・パリ食堂"を開店。 3店舗で毎日500~600人のお客様に来店していただきました。充実感あふれる料理を気どらずに、お願いっぱい食べられる“東京・パリ食堂は、安くて、おいしく、気取らないフレンチとしてマスコミにも取り上げられ、フレンチの普及に貢献したと自負しております。

■その後、2003年、四谷に“東京アニズを開店。 36年間、感謝、感激、涙したこともたくさんありました。 今まで大勢のお客様が支えてくださいました。心より感謝を込めてもう一度原点に帰り、2016年、ここ早稲田鶴巻町で東京・パリ食堂"を開放しました。

一品一品にお客様が笑顔になれ、憶に残る楽しい時間を創りだせるように、情熱を傾け調理致します。chef 徳田正彦」

書いてるとお腹が減ってきたので、今夜あたりに行こうかなと思います。

2020/4/10    紙屋剛志





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