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僕が「映画レビュー」を書く上で大切にしていること。

いつもお読み頂き、ありがとうございます。

音楽&映画ライターの松本侃士です。(執筆実績は、こちら。)

最近、とても光栄なことに、「どのように映画レビューを書いているのか教えて欲しい」というお声を頂くことが増えてきました。非常に恐れ多くはありますが、僕自身、「映画」を観た体験を「言葉」にして綴る人が一人でも増えていって欲しいと思っているので、今回、僕なりの「映画レビュー」の書き方をご紹介させて頂きます。

大前提として、僕は、「映画レビュー」を書く上で、唯一の正解や確固たるメソッドがあるとは決して思っていません。映画を観た人の数だけ、つまり、十人十色の「映画レビュー」の形があるべきだと思っています。だからこそ、これからご紹介する内容については、あくまでも参考までに留めて頂けたら幸いです。

そして、おこがましい言い方かもしれませんが、この記事が、あなたが「映画レビュー」を書くきっかけや、執筆する上での何かしらのヒントになったら、とても嬉しいです。




●ターゲットは、他でもない「自分」自身。

その記事を、誰のために書くのか。

あらゆることにおいて同じことが言えるかもしれませんが、僕は記事を書き始める前に「目的」を設定するようにしています。その上でまず大事なのが、記事を届ける読者の顔を思い浮かべることです。

「その作品について、もともと知っていた人 or 知らなかった人」「その監督の前作を鑑賞済みの人 or 未鑑賞の人」というようにセグメンテーションを進めていくことで、その記事の読者像が明確になっていきます。

例えば、「クリストファー・ノーラン監督の過去作を全て観た人」と「それ以外の人」では、日本人口の割合でいうと(おそらく)圧倒的に後者の割合が多いはずです。一般的には、そうしたマジョリティーに向けた記事を書いたほうがPV増加を狙えるかもしれません。しかし僕は、あえて前者のセグメントを意識しながら記事の構成を考えることが多いです。なぜなら、「広く浅い記事」よりも「狭く深い記事」のほうが、読者の認識変容/行動変容を促すことができる可能性が大きくなるからです。

極論として、セグメンテーションの精度を追求し続けていくと、最後には、たった1人の「自分」に行き着きます。これは僕の持論ですが、「顔の見えない誰か」をイメージするよりも、たった一人の「自分」自身を読者として想定するほうが、確信をもって記事制作を進めることができると思っています。「自分」を満足させる記事を書くことは、とてもハードルが高いですが、逆に、そのハードルさえ超えれば、自信をもって世に公開できます。

なお、はじめに、「目的」を設定する、と書きましたが、ここでは、読者の認識変容(例:その作品に興味を持つようになる)や行動変容(例:映画館に行く)を、記事を書く「目的」として想定しています。


ケース1 『天気の子』

『天気の子』の物語を読み解く上では、新海誠監督の前作『君の名は。』の鑑賞が必須となりますが、この記事は、「(ターゲットとなる)読者は、既に新海監督の過去作品を鑑賞済みである」という前提のもと、最低限の手続きのみを経て、いきなり本題に入っています。


ケース2 『アベンジャーズ/エンドゲーム』

映画レビューを書く上では、誰しも「ネタバレするか否か」というテーマに向き合うことになります。個人的には、想定読者に「狭く深い記事」を届けるためには、自ずとネタバレ要素も必要になってくると思っています。(もちろん、未鑑賞者への配慮は必要)


●「情報」を整理するのではなく、「感情」を表現する。

「映画レビュー」には様々な形がありますが、ほとんどの記事に共通しているのが、「その作品にまつわる情報を整理して伝える」役割を担っていることです。

その在り方を否定するつもりは一切ありませんが、僕は、その作品を鑑賞した人の「感動」や「興奮」、また、その人だからこそ得られた「気付き」や「学び」を表現した記事に、心を動かされることが多いです。

時に、「私は映画に詳しくないから、語る資格がないのではないか」という話を耳にすることがありますが、僕はそうは思いません。あなたが抱いた「感情」には、(フラットな「情報」に欠けた)体温と圧倒的なリアリティが宿っており、だからこそ、テキストとして記録し、共有していく意義があるはずです。

いざ自分が記事を書く時に、「この作品を観て、僕が感じたことは何だろう?」「どのシーンに心を震わせられたのだろう?」という内省を突き詰めていくと、記事を通して表現したいことは、そう多くないことに気付きます。

逆に、それ以外の「情報」については、思い切って省略していきます。より具体的に言えば、監督やキャストなど、作品の基本情報は省きます。なぜなら、ターゲティングした読者(または、「自分」自身)は、そのことを既に「知っている」という前提を置いているからです。

だからこそ、思い切って記事内で伝える要素をグッと絞ります。その作品にまつわる「情報」を書く場合は、あくまでも「感情」を表現するための手続きとして位置付けます。


ケース3 『ジョーカー』

この記事では、映画『ジョーカー』のキャストや、過去シリーズ作品との関係性は思い切って省略しています。こうした話題作は、公開の1年〜半年前から大規模なプロモーションが為されるため、「(ターゲットとする)読者はそうした基本情報を既に理解している」という前提に立って執筆しています。


ケース4 『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』

2020年6月に「note編集部のおすすめ」にピックアップして頂いた記事です。作品の原作である「若草物語」の著者の説明をはじめ、冒頭部分は基本情報の整理に割いています。ただ、想定読者のリテラシーを信じて、そうした手続きは必要最低限に押さえています。


●記事のタイトルに、伝えたい「感情」を込める。

多くの人は、書いた記事を「届くべき人のもとへ届けたい&読んでもらいたい」と思うはずです。

ここからは自戒を込めて書きますが、「その記事を読者に読んでもらえるか(クリックしてもらえるか)」、つまり、コンバージョンの要を担うのは、記事のタイトルであると思っています。(記事のトップ写真も重要な要素ですが、ここでは割愛します。)

ほとんどの読者は、「タイムラインで目に入った記事を読むかどうか」を一瞬で判断しているはずです。特に、Twitterのタイムラインにおいてはその傾向が顕著で、だからこそ、記事と読者の最初の接点であるタイトルが大事になってきます。

先ほど述べたように、一つの記事で伝えるべき「感情」は決して多くはないことを踏まえると、きっと、その「感情」は一言で表すことができるはずです。その「感情」には、作品を観た時の「ファーストインプレッション」であったり、内省を極めた先の「結論」であったりと、様々な形があると思います。いずれにせよ、その「感情」を表したタイトルを付けることで、その記事は、いわゆる「情報」の波に埋もれることなく、想定読者に響きやすいものになると思います。


ケース5 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』

2019年8月に「note編集部のおすすめ」にピックアップして頂いて以来、継続して、毎週100名前後の方に読まれ続けている記事です。「号泣」というワードに、映画鑑賞直後の「感情」を託しました。


ケース6 『パラサイト 半地下の家族』

初めてその作品を観た時の「ファーストインプレッション」を表したタイトルです。頻度こそ少ないものの、映画を鑑賞した直後の「興奮」をストレートに表現するため、短文の速報レビューを書くこともあります。


ケース7 『1917 命をかけた伝令』

記事の「結論」を疑問形に直してタイトル化したパターンです。もちろん好みの問題はありますが、末尾に「?」をつけて問いかけることで、読み手に一種の当事者意識を持ってもらうことができると思っています。




今回、3つのポイントをご紹介させて頂きましたが、しかし僕自身、全ての記事において、この3つを完璧に厳守しているわけではなく、あくまでも大まかな目安としています。

例えば、例外の記事がこちらです。『TENET テネット』のレビュー記事は、「感情」の表現を最小限に留め、劇中の謎の「解説」にフォーカスしました。個人的に新しい挑戦でしたが、結果、検索ワード「TENET 考察」で検索結果1位を取ることができました。(※2020年9月22日時点の検索結果)お読み頂いたみなさん、ありがとうございました!

これからも試行錯誤を繰り返しながら、映画レビューを書き続けていきたいと思っています。最後までお読み頂き、ありがとうございました。



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