米津玄師 × RADWIMPS・野田。初コラボの「必然」を紐解く。
何を今更という話ではあるが、日本の音楽の歴史は非常に長く、時代ごとの潮流は複雑多岐にわたっている。
だからこそ、乱暴にまとめてしまうことはナンセンスかもしれないが、僕は、この国の音楽史を俯瞰して見ると、そこにいくつかの「系譜」が見えてくると思っている。
2000年代から2010年代にかけて、邦楽ロックシーンに傾倒していた人であれば、きっと納得してくれるかもしれないが、たとえば、BUMP OF CHICKENを起点とする「系譜」があるとする。
ギターロックを表現の核に据えるバンドの多くは、BUMP OF CHICKENという絶大的な存在の影響下にあり、その流れを受けて、一つのシーンが生まれ、今もなお拡大を続けている。
そして数年ごとに、その「系譜」を引き継ぎながらも、表現の次元を根本的にアップデートしてしまうアーティストが現れる。
乱暴なまとめ方であることは承知の上で、あえて言わせてもらうと、それが、RADWIMPSであり、米津玄師なのだ。
そして昨日、両者の初のコラボレーションが実現することが発表された。
僕たちリスナーが感じる「系譜」のようなもの、それは、他でもないアーティスト自身が意識しているもので、事実、米津玄師は、RADWIMPSへの絶大なるリスペクトを表明している。野田洋次郎も、多かれ少なかれ、米津の表現の中に「通奏低音」を感じているはずだ。
先を歩む者の背中を見つめながらも、両者は、自らの感性を信じ、それを正しく時代の流れと接続させることによって、日本のポップ・ミュージック史に幾度となく革新を起こしてきた。
表現自体に明確な類似性は少ないのかもしれないが、しかし、それぞれの表現者としてのスタンスは確かに共通している。
だからこそ、今回のコラボレーションは、一つの必然であったのだろう。
RADWIMPSは2005年、米津玄師は2014年にメジャーデビューを果たしているが、その間に約9年もの期間があったことを踏まえると、「片方のアーティストしか聴いたことがない」というリスナーも多いかもしれない。
今回のコラボレーションをきっかけに、米津玄師のファンはRADWIMPSに、RADWIMPSのファンは米津玄師に、新しく出会っていくのだろう。その出会いは、とても意義深く、幸福なものであると僕は思う。そして、それこそが、絶大な存在感を誇る者同士によるコラボレーションの醍醐味なのだ。
今回のコラボ曲"PLACEBO"が、彼らの「系譜」における最重要楽曲の一つになることを、僕は確信している。
米津玄師のコメント
高校生の頃にRADWIMPSと出会い、その音楽性に衝撃を受け、虜になった瞬間をついこの間みたいに思い出せます。
2015年に行われた対バンイベントに呼んでいただいたのを機に、今では洋次郎さんと当たり前のように飲みに行ったりくだらない話ができたりしていることが不思議でなりません。
彼の声がこの曲に乗った瞬間の高揚も、あの時の衝撃のようにいつまでも鮮明に思い出せる記憶として僕の中に深く残るでしょう。
先輩いつもありがとうございます。また遊びましょう。
野田洋次郎のコメント
今回、楽曲“PLACEBO”に参加させてもらいました。
米津とのレコーディングはとても気持ちのいい時間でした。
最初一緒にやりましょうと声をかけてもらい、楽曲を聴いた時は意外な感じもしました。「この二人がやるとしたら...」という漠然としたイメージが自分の中にもあったんだと思います。でもいざレコーディングを進めていくとこの曲が持つ世界の軽やかさ、危うさがとても心地よかったのです。何より彼の声と自分の声が重なった時、想像を遥かに超えて混じり合い響きあうのを感じ、興奮しました。
米津、声をかけてくれてありがとう。
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