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『ダークナイト』の"正しい選択"。その意義を問い直す10の言葉たち。

2008年夏、たった一本の映画が、それまでの世界を支配していた旧来的な価値観を「不可逆」的に変えてしまった。

『ダークナイト』。

クリストファー・ノーラン監督は、バットマンとジョーカーの永遠なる共依存関係を通して、僕たちに「正義」の在り方を問うた。

そして、本編ラストのある「選択」を通して、既存の善悪論への渾身の批評を突き刺してしまった。

あの夏から10年以上が経つが、その鋭さ、その強度、そして、その正しさは、今もなお全く衰えてはいない。

今回は、劇中で各登場人物が語る言葉を通して、『ダークナイト』が下してしまった「正しい選択」の意義を問い直していく。


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《1》

"What's the difference between you and me?"(俺とお前の違いは何だ?)

オープニングの戦闘シーン。何よりも衝撃的なのは、ゴッサムシティに、バットマンを模倣する自警団、つまり「偽バットマン」が複数存在していることである。上記の言葉は、その内の一人の偽バットマンが、桁違いのガジェットを駆使しながら犯罪者たちを一網打尽にしたバットマン(ブルース・ウェイン)に投げかけたものだ。

法治国家においては、法律を逸脱しながら武力を行使して犯罪者へ「私刑」を下すバットマンの自警活動は、それ自体が犯罪にあたる。(無論、彼を模した「偽バットマン」の行いも同様だ。)

バットマンは、この偽バットマンの問いに対して、"I don't wear hockey pads."(俺はホッケー防具など着けない。)とユーモアを交じえて答えている。しかしそれは同時に、彼自身がその本質的な違いを見い出せていない証でもある。

そう、バットマンの正当性を保障するものなんて、はじめからどこにもなかったのだ。


《2》

"You either die a hero... or you live long enough to see yourself become the villain. Look, whoever the Batman is, he doesn't wanna do this for the rest of his life. How could he? Batman is looking for someone to take up his mantle."(ヒーローとして死ぬか、それとも長く生きて悪に染まってしまうか、そのどちらかだよ。バットマンが誰であれ、一生闘い続けたいわけではない、できるわけがないはずだ。きっと彼は、引き継いでくれる誰かを探しているんだ。)

バットマン、ジョーカーに並び、今作の物語をリードするもう一人の重要人物・ハーヴィー・デント。

デントは検事として、警察と協働してゴッサムシティの犯罪撲滅を目指す。マスクをつけることなく、堂々と悪と戦う彼は、バットマンが成り得なかった「ホーリーナイト」としての役割を果たそうとする。

デントは、犯罪撲滅という同じ目的に立ち向かうバットマンの活動を黙認。ジョーカー逮捕のためにバットマンとの連携体制を取るが、はじめから彼は、その"マスク男"の限界性を悟っていたのだ。


《3》

"So you think Batman's made Gotham a better place?"(バットマンがゴッサムを前より犯罪のない街にしたと思うのか?)
"You see, this is how crazy Batman's made Gotham."(わかるだろ、バットマンがゴッサムをどれほど狂った街にしてしまったか。)

純粋なる悪。

混沌の案内人・ジョーカー。

バットマンの闘い、それこそが、ゴッサムシティに新たな悪を生み続ける。気付いた時には、既に陥り切ってしまっていた負のスパイラル。誰しもが目を逸らそうとしていたその事実を、彼は真っ直ぐに突き付ける。

ジョーカーのこの言葉(および、この後に続く一連の行動)は、バットマンを「正義」として描いた1作目『バットマン ビギンズ』(2005)、そして、それまでのあらゆるヒーロー映画への痛切な批評であったのだ。


《4》

"You crossed the line first, sir. You squeezed them, you hammered them to the point of desperation. And in their desperation, they turned to a man they didn't fully understand."(あなたが先に一線を越えたのですよ。あなたがマフィアを脅し、やけくそになるまで叩きのめしてしまったからこそ、彼らは理解しようもない「男」に頼ったのです。)

バットマン(ブルース・ウェイン)の最大の理解者・アルフレッドは、こう告げた。

「一線を越える」という概念は、今作において幾度となく重要なテーマとして機能する。

過激化していくバットマンの自警活動。(今作において、なんとバットマンは、エシュロンにまで手を出す。)そんな彼の力に、ゴッサム市警も頼らざるを得ないという現実。そして、追い詰められた犯罪組織は、ついにジョーカーをその街に招いてしまう。

暴力のインフレーションと復讐の連鎖。もう、ゴッサムシティ(世界)は、取り返しのつかないことになっていたのだ。

圧倒的にハードでシリアスな世界認識の上に成り立つ物語、それこそが『ダークナイト』なのである。


《5》

"You know that day that you once told me about when... Gotham would no longer need Batman? It's coming."(君が前に言ったろ。ゴッサムがバットマンをもう必要としなくなる時が来たらって。その時が来たんだ。)
"Harvey is that hero.He locked up half of the city's criminals, and he did it without wearing a mask. Gotham needs a hero with a face."(ハーヴィーこそがヒーローなんだ。彼は街の犯罪者の半分を収監した、それもマスクなしでやってのけた。ゴッサムには「顔」の見えるヒーローが必要なんだよ。)

物語の中盤、ついにブルースは、バットマンを引退し、正義感に燃えるデントにゴッサムの平和を託す決意をする。

この法治国家において、自警団として暗躍する自分は、決して「完全なる善」には成り切れない。そう悟ったブルースの言葉は、在るべきモラルと現実の間で、これまでに幾度となく葛藤してきたことを想起させる。

しかし、全ては、「完全なる悪」ジョーカーが仕組んだ罠へと嵌っていく。

「ホーリーナイト」として悪と立ち向かうハーヴィー・デント。彼にブルースが寄せた期待は、想像し得る限り、最も壮絶な形で裏切られることとなってしまうのだ。


《6》

"Endure, Master Wayne. Take it."(忍耐です、ウェイン様。耐えるんです。)
"They'll hate you for it, but that's the point of Batman. He can be the outcast. He can make the choice that no one else can make. The right choice."(そのために、人々はあなたを嫌うでしょう。しかし、それがバットマンですから。バットマンは「はみ出し者」になることができます。そして、他の誰にもできない選択をすることができます。正しい選択を。)

ついに、アルフレッドの口から語られた「正しい選択」というキーワード。他のどんなヒーローにもできない選択を、バットマンならできる。

ダークヒーロー・バットマンの本質を鮮やかに射抜いたアルフレッドの言葉は、今作の衝撃のクライマックスを暗示していたのだ。


《7》

"Batman stands for something more important than the whims of a terrorist, Miss Dawes. Even if everyone hates him for it. That's the sacrifice he's making. He's not being a hero. He's being something more."(バットマンは、テロリストの気まぐれなどというものよりも、もっと大切なもののために闘うのです、ドーズ様。たとえそのために人々から憎まれようとしてもです。それこそが、彼の払う犠牲なのです。彼は単なるヒーローではない、もっと、それ以上の存在なのです。)

今から振り返れば、アルフレッドはドーズをこう諭していた。「犠牲」という言葉が、この後に続く壮絶な展開を予感させる。

そして、バットマンが、ゴッサムシティをあるべき方向へと導く「象徴」となり得る可能性もここで示唆されている。(この可能性は、最終作『ダークナイト・ライジング』(2012)によって、一つの結実を見せることとなる。)


《8》

"Those Mob fools want you gone so they can get back to the way things were. But I know the truth. There's no going back. You've changed things. Forever."(あのマフィアの連中は、バットマンが消えさえすれば、また元通りになると思っている。だが、俺には本当のことが分かる。もう元には戻らないってことが。お前が全てを変えてしまったんだ。永遠にな。)
"I don't wanna kill you. What would I do without you? Go back to ripping off Mob dealers? No, no. No. No, you... You complete me."(俺はお前を殺したくはないのさ。お前がいなくなったら、俺はどうすればいいんだ? またギャングの連中のかつあげに戻れっていうのか? 嫌だな、ごめんだ、お前がいるから、俺は俺なんだ。)
"You won't kill me out of some misplaced sense of self-righteousness. And I won't kill you because you're just too much fun. I think you and I are destined to do this forever."(お前は、そのお門違いの正義感から、絶対に俺を殺せない。お前といると退屈しないから、俺もお前を殺さない。俺とお前は、永遠にこんなことを繰り返していく運命なんだろうな。)

お互いに補完し合う、表裏一体の関係。バットマンこそが、ジョーカーの存在理由であり、そしてまた、ジョーカーこそが、バットマンの存在理由なのだ。

力のインフレーションの果てに、ついには、ゴッサム市警や法律の手に及ばないゾーンにまで足を踏み入れてしまった両者。とても想像が追いつかないが、もはや、二人にしか理解できない世界があるのだろう。

だからこそ、バットマンは、ジョーカーを殺すことはしない、できないのだ。

求め合う両者の「宙吊り」の決着シーンが、その事実を残酷に映し出している。


《9》

"Gotham needs its true hero."(ゴッサムには、真のヒーローが必要だ。)
"I'm whatever Gotham needs me to be."(俺はゴッサムが必要とするものになら、何にでもなろう。)

ゴッサムに、真の希望の光を灯すために、バットマンは、ある「選択」を下す。これこそが、今作が賛否両論を巻き起こした最大の理由だ。

「真のヒーロー」とは何か。「正義」とは何か。この永遠の呪縛に、僕たちが生きるこの世界は、いつまでも囚われ続けていくことになる。


《10》

"Because he's the hero Gotham deserves, but not the one it needs right now. So we'll hunt him... because he can take it. Because he's not our hero."(バットマンはゴッサムにふさわしいヒーローだが、今は違う。だから我々はバットマンを追う。彼は我々のヒーローではないからさ。)
"He's a silent guardian...a watchful protector. A dark knight."(彼は沈黙の監視人、我々を見守る守護者、「闇の騎士」だ。)

ゴードン警部補の言葉によって、この物語は衝撃的な形で幕を閉じる。

そして、初めて今作のタイトルが映し出されるその時、僕たちは、そこに込められた意義を知るのだ。

バットマン映画でありながら、タイトルから「バットマン」という言葉が削られていること。そして後に、ノーラン監督が手がけた3作を「ダークナイト三部作」として語られることが、今作『ダークナイト』の真髄と魔力を物語っている。

バットマンの「正しい選択」、そして、ゴッサム市警もそれを受け入れざるを得ないというアンビバレントな現実。

この熾烈なクライマックスを前にして、世界は言葉を失くした。(特に、「世界の警察」を自認し、悪と名指しした国々への懲罰手段として「正義」を遂行してきたアメリカは、自国の歴史の意義を問い直されることになった。)

あれから10年以上が経つが、僕たちは、あの「正しい選択」をどう評価することができるのだろうか。

バットマンとジョーカーが永遠の関係で結ばれていたように、この「正義」を巡る問いかけは、僕たちを、そして、この不明瞭で、不安定で、不完全な世界を、いつまでも冷徹に批評し続けるのだろう。



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