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人生に乾杯 22(腫瘍持ちxコロナx発信力)

医者の山井大輔から数か月ぶりに電話をもらった。週末の夕方6時ごろで、すでに酔っ払っていた。「今日は半ドンだったんだよ」。この会話から、「ドン」がオランダ語のDay(「デイ」)から来ていること(本当はDagが正しい)、返す自分は「全(半)舷」という言葉が記者時代にあったこと、意味は似ていても海軍用語であること、などを話した。しかし、大輔は話の筋がどうにも収まらない。なにせ酔っているから話題があちこちに飛ぶし、いつにも増して饒舌なのだ。

(今もあるのか定かではないが、僕が新聞社に在籍したころは「全舷」と言えば休刊日に催行する泊まりの社内旅行を指した。支局だと支局単位、本社勤務なら部単位。なので全舷といえば旅行と同義だが、みな酒癖が悪く、どの全舷でも杯が進むにつれてあちこちで喧嘩が始まった記憶しかない。僕は嫌いなので当日は職場でも泊まり勤務を願い出ていた。)

話を聞くうち、彼の言いたいことがだんだん掴めてきた。要するに、僕の症状をネタに大輔が(酔っ払って)言いたいことを伝えるという主旨なのだ。まず僕は「腫瘍持ち」である。頭のそれは「一応」という但し書がついても完全に除去できたし、腫瘍の跡部分にあった「術後の残滓なのか新しい腫瘍なのか分からない部分」は、前回のMRIでより綺麗になっていた。もう一つは、抗がん剤などを使うから身には免疫が落ちるのは避け得ず、このため新型コロナにも罹患しやすかった。大輔との会話では、彼の息子が試験を受けるので自分から移してはまずいというので不織布マスクを家でも使用していること、一方僕は娘の受験が控えて、学校はオンラインだが夜毎に個別指導塾へ行っていることや、毎日学校に通う小5のことなどを話したが、家でマスクはしていないことなどを話した。「そりゃ、家でもルール化した方がいいな」というのが彼の意見だった。医療関係者でも互いに不織布マスクをしていると、マスクを外してしゃべらない限り「濃厚接触者」に該当しないということだった。

で、自分が腫瘍持ちであること、今コロナ禍であることに加え、僕には発信力があるというのが彼の言い分だった。「言語化して発信する力を持ってる人は稀少だぞ」。会話中、彼はここで「言語化するとは何かって、分かるか??」と言い出し、「現象学とは何か」という本を紹介してくれた。彼が本を紹介するのは初めてではない。

ECサイトで本の紹介を確認すると、「フッサール現象学の核心を改めて問い、これまでの理解を批判的に検討した上で、教育学・社会学・医学・心理学への応用可能性を拓く」とある。2020年12月刊行で、著者は竹田青嗣・早稲田大学名誉教授、西研・東京医科大学教授、いずれも高名な哲学者らしい。相変わらず大輔は難しい本を読んでいる。

かつて予備校で一緒だった彼は、今となっては医学界に大きな功績を残したベテラン。だが、この夜の会話中にはちびちびと杯を重ね、「つよきと天ぷら食いに行きて〜」と、ほとんどヘベレケ状態で45分の会話を終え、自分から電話を切った。翌日は休みだと聞き、少し安心した。

(写真は、新書「現象学とは何か」を版元の河出書房サイトから拝借したもの。続く。)