弱さから見えてくるもの

 みなさんごきげんよう。5期生の高橋です。

 「病者の祈り」という詩があります。作者不明ですがおそらくはクリスチャンによるこの詩の原文は英語ですが,検索すれば和訳が出てきます。
 その詩が,最近よく心に浮かびます。

 その詩の一節に

大事を成そうとして
力を与えてほしいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと
弱さを授かった

 というのがあります。その一節がとても心に響きます。

 私は至らないことが多いです。というか至らないことだらけで,最近は大きな失敗をしてメンバーにも迷惑をかけてしまいました。
 迷惑をかけたことで申し訳ないと思ったり,失敗したことで落ち込んだりしましたが,失敗から時間が経って少し心が落ち着いたときに,上記の一節が頭に浮かびました。すると,この失敗をしたことは自分を戒める意味でとても良いものだったと思うようになりました。
 また,落ち目の時は人の優しさが心にしみます。色々な方々が私にアドバイスしてくださったり,慰めてくださったり,励ましてくださったりして,軽く泣きそうになりました。
 そうした優しさに気づくことが出来たという意味でも,至らないことがあることには意味があるように思います。

 弱いこと,能力の劣ることは近い視点で見ると,役に立たなかったり迷惑をかけたりして悪いことのようですが,遠い視点で見ると上述のように謙虚さを思い出させたり,人の優しさに気づかせてくれたりして良い側面もあります。
 逆に強いこと,能力に優れることは近い視点で見ると,人の役に立ったり成果を挙げたりして良いことのようですが,遠い視点で見ると傲慢の芽を育て,弱者への思いやりに欠けてしまうのかもしれません。

 強くて謙虚だと素晴らしいですが,そういう人はなかなかいないのかもしれません。
 私は強き人より弱き人に惹かれるので,こんな人間になってしまったのかもしれません。
 そういえば,私がなろうと思っていた出家者も非生産者の極みですから,分類的には弱き人ですね。お布施で生きてるし。

 まあ,そうは言っても人に迷惑をかけない程度には成長したいと思う今日この頃です。

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