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《エピソード22・○○万円の支払いが作る物語》弱冠20歳で1000万超えの借金、鬱、自殺未遂、親との確執。からの逆転人生を実現させたリアル話。

返すお金と取り戻す時間

借金の相談を親にした時、僕が生まれてからパートしかしたことがなかった母親から提案された一つの方法。もう、そこにかけるしかなかった。自分から飛び込んでいった場所だけど震えるような思いを十分した。冷や汗が止まらなかったし食事もできなくなった。死ぬ直前までいった。もうあんな思いはしたくない。恥ずかしいとかプライドがとか言っている場合でもない。母親から言われた信金の答えは・・・。

返済への道のり

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母親がなぜ信金の担当者に話ができたのか?それは

僕が遊びで信用を毎日のように放り投げていた時期、母親はとある信用金庫に雇われて掃除のパートをしていた。毎日のように掃除をすると自然と感謝される。僕が簡単に捨てていた信用を、母親は掃除という日々の身近な方法で獲得していたというのだ。

話を聞いた時、なんだか自分が情けなくなった。人からの信用というものは一瞬では得ることができない。それは、僕がお金を借りて返済するという繰り返しをしていた中で出来上がった”融資枠の信用”と同じように、誰かに与える繰り返しの何かが自然と信用を作るのだ。

「お母さん、掃除のパートしてたから特別に担当者さんが話を聴いてくれることになったから」

その言葉こそが、母親が積み重ねた信用を表現するのに1番的確なものだった。

それでもその後に続く言葉に僕はまた情けない気持ちで溢れかえらせる。

「そのかわり、家族の問題だからお父さんお母さん、そしておじいさんも御一緒にお願いしますって」

僕の問題。借金の問題。その解決のために親と、同居の祖父も同席したほうがいいという担当者の優しさだった。二度と繰り返さないようにそうしたほうがいいという優しさ。

どう考えても優しさなのに、あの時の僕にとってはそれが優しさには思えなかった。

”核心部分をつく指摘”は突き刺さる。一番目を塞ぎたい部分だというのは何度も借金で経験した。弱い部分。誰にも見られたくないし指摘されたくない。直されるなんて嫌だ・・。わがままな僕は素直に感謝なんかできるわけがなかった。

逃げる。ということ

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できることなら逃げ出したい。

それでも担当者が言うように、一般的にはそのような信用貸しなんかするわけがなく、今回の件は母親の仕事ぶりがあったおかげであがった話。しかも”優しさ”で家族も同席する・・。

「もう、逃げることなんかできるわけないじゃん」

後ろの方から神様がまた囁いたような気がした。自分で巻いた種。指摘されるのも当たり前なこと。僕はもう”優しさに逃げる”とい覚悟を決めるしかなかった。

「わかった。ごめんね。お願いします」

信用に対する感謝なんかよりも、まだその時は両親に対する憎しみのほうが強かった。けど”憎しみ”なんて言えるような立派な人間ではないし、むしろ情けない人間なんだという思いが混ざり込んでいたから投げやりな言葉の中にも謙りが混ざったんだと思う。

「こうなったのもお前らのせいだ」

と本当は叫びたい。「お前らが勝手に産んだんだろ?勝手に産んだくせに苦しい思いをさせやがって!」と叫びたかった。「俺の気持ちなんかわからねーだろ!」と。でも、もうそんなことができる状態でもなく我慢してでもそれを心の深くで蓋をするしかなかった。

そんな気持ちのまま、僕は家族と共に担当者に会いにいくことになる。

ぞろぞろと。それでも静かに信用金庫の接待室に案内された。

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「これはこれは。ご足労おかけして申し訳ありません」

担当者が丁寧に挨拶をしてくれる。街金のそれとはなんだか感覚が違った。その感覚の違いは、やっぱりそこに母親の信用が乗っかっていたからかもしれない。

そして僕に向かって「結構借金しちゃったんだね。遊びかなにかかな?」と言う。

説教はごめんだった。僕が”よい時間の過ごし方”ができているなんて1ミリも思ったことがなくて、日々が悪いことは重々わかっていたしそれを蒸し返されるのが一番しんどかった。

「まぁ・・そうですね」

なぜだろう。なにも能力がないくせに強がることは人一倍強くて。なにもできていないのに指摘されるのは嫌で。若い時というのは価値がないが故に強がりたくなる時間なのかもしれない。

大人になりかけのあの時期。今まで力でねじ伏せられた社会も力だけじゃなにもできない社会が周りには広がる。無力な自分を認めたくなくて外見や強がりでそれを隠す。力でねじ伏せていたなんていうけど、そんなこともなくて。

結局はこうやって”大人”に簡単にあしらわれるのにね。

それまで静かだった元警察で厳格な祖父が口を開いた。

「情けない孫でね。こんなことになって本当に申し訳ない」

かばっているのか貶しているのかわからない祖父の言葉。「申し訳ない」という言葉に僕自身が申し訳なく思った。

街金に知らぬ間に担保にされた家も、祖父が戦後から必死に働いて建てた家だった。祖父の短い言葉に、プライドとか強がりとかが一気に消え去る。とにかく申し訳なさでいっぱいになった。

それでも僕の奥深くには、世の中や親に対する憎しみが残る。拭えないでいた気持ちはまだ消化できないでいた。

「色々と上司と話をしましたが、お母さんが本当にいつも頑張ってくれているし、こうやっておじいさんまで来てくれているので君の借金をうちで借り換えしようと思います」

いろんな感情に押しつぶされそうでなんだか状況がわからなかったけど、どうやら話が進んだらしい。そしてその貸し出しには条件が加えられた。

月額の返済は18万円。毎月必ず2万円を定期預金に入れること。そしてそれはもちろん親ではなく僕が必ずすること。

これが条件だった。もう、ここまできて逃げ場もなくて、首を横に振るような立場でもなかったから。この条件でまたサインをした。保証人は両親だった。

借金をしたことで、僕がいつしか憎むようになった両親を困らせたことに嬉しさを感じるはずなのに、その方法がこのような形なってしまったこと。本当はうまく、賢く、目標に向かって必死に生きていたかっただけなのに、なんでこうなってしまったのだろうという自分に対する疑念。

いろんな思いがまたフツフツと心の中で暴れた。「情けない」を連呼されても状況は自慢できる状況でもない。感情なんて言ってもいられない。

親や社会の囲いの中で生きている実感と、失敗をやり直せるかもという期待みたいなものが複雑に絡み合う。

あの日、僕のお金が決まった。毎月18万の返済と2万の預金。計20万を稼がなきゃいけない日々が始まったんだ。

果たして、よくなったのだろうか?真逆の選択はできているのだろうか?

また新たな日々が始まるのだった・・


続きはまた。


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