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Football Life

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世界のどこへ行ってもサッカーはあります。こちらではボールを求めて訪れた国でのエピソードをお伝えしようと思います^^
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2020年9月の記事一覧

Football Life vol.74

ダ・ルス。 ポルトガルのリスボンにあるベンフィカのホームスタジアムだ。チームカラーの赤が基調になっていて、4本のアーチ状の梁が特徴的だ。 この日のお目当てはクリスティアーノ・ロナウドだ。当時、22歳。既に2004年の自国開催のユーロで活躍して、将来を嘱望される存在だったけれど代表での背番号はまだ「17」だった。 試合内容はあまり覚えていないけれど、この日、クリロナは得点を決めた。相手のクリアミスを逃さず右足で合わせた技アリのゴールだった。 「おおおおお、被ってまったく

Football Life vol.73

アザディスタジアム。 2005年6月、W杯アジア最終予選イラン対バーレーン。イランが勝てばドイツ大会への出場が決まる重要な一戦。イラン代表を後押ししたのは間違いなく8万人の野郎たちだった。 当時は女人禁制だったからスタジアムに集まるのは血気盛んな男ばかりだ。ウェーブは一周が20秒くらいで超高速。そして、ブーイングと区別がつかないほどの指笛の嵐。とにかくうるさい。どのくらいうるさいかというと、椋鳥が8万匹集まった街路樹を想像してほしい。 僕はここ以上にカオスだったスタジア

Football Life vol.72

アムステルダム・アレナ(現ヨハン・クライフ・アレナ)。 2006年3月に初めて欧州遠征を計画した。カンプ・ノウやサン・シーロなど夢のスタジアムを巡るツアーだった。その最終目的地に選んだのがアムステルダムだった。 オランダは一番好きな代表チームだったので強い憧れがあった。しかし、このときは取材申請に問題があって空振りの連続だったから、スキポールに着いたときには既に意気消沈していた。 お目当ての試合はアヤックス対PSVアイントホーフェン。「デ・トッパー」と呼ばれるビッグマッ

Football. Life vol.71

ジュゼッペ・メアッツァ。 言わずと知れたイタリアの名門ACミランとインテルのホームスタジアムだ。 僕が欧州サッカーに興味を持ち始めた頃、話題の中心はセリエAだったから、行ったこともないのに「サン・シーロ」には妙に愛着があった。 初めて訪れたのは2006年で、このときは取材はできなかったけれど、憧れが強すぎたせいで人生初のスタジアムツアーに参加してしまった。 独特な形状の梁と屋根は圧巻の一言だけれど、設計の問題なのか雨が客席に舞い込むあたりが、愛すべきイタリア人ぽくて僕

Football Life vol.70

パルク・デ・プランス。 僕ら世代なら「キャプテン翼」の国際ジュニアユースの会場として有名で、実在することを知ったのは大人になってからだ。 2007年、日本代表の欧州遠征に合わせて僕も各地を転戦していて、フランス代表を取材するためにパリにも立ち寄った。 98年のW杯の決勝の舞台「サンドニ」も行ってみたいスタジアムだったから、これはチャンスとばかりにエントリーしたのだ。 しかし、当時、フランスではラグビーW杯を開催していて、この試合はパルク・デ・プランスが会場として設定さ

Football Life vol.69

カンプ・ノウ。 10万人を収容すると言われる世界有数のスタジアム。FCバルセロナの本拠地としてあまりに有名だ。 2007年8月29日、僕は生まれて初めて聖地に足を踏み入れた。 初挑戦で返り討ちにあったのは1年半前だった。 あれから僕はドイツW杯、U19アジア杯、U20W杯、アジア杯とそれなりに経験を積んできた。 今、思い返すと激動の1年半だったと思う。 しかし、このときは余韻に浸るほど繊細な感性は持ち合わせていなかった。 まだ駆け出しだった僕を送り出してくれた編

Football Life vol.68

2007年のアジアカップで日本は準決勝までハノイで試合をすることが決まっていた。決勝はジャカルタだった。だから、準備の良い人は事前にジャカルタまでのフライトを抑えていた。僕もその一人だ。 しかし、日本が準決勝でサウジアラビアに破れたことによって、次の目的地がパレンバンになってしまった。パレンバン? 聞いたことのない街だった。調べてみるとジャカルタとは異なる小さな島だった。 行き方を調べるとエアアジアがでてきた。2007年当時、LCCはまだ珍しい存在で未知の存在だった。どう

Football Life vol.67

ブンチャーをご存知だろうか? ハノイ名物のつけ麺で、酸味や辛味が効いたつけダレで米麺を食べる。お店によってタレの味付けは違うけれど、つけダレにお好みでハーブをどっさりいれるのは同じだ。 東南アジアでは、匂いの強い食材が多い。そこでハーブというなの草を一緒に食べることで、匂いが調和されて旨味を感じるようになる。 先人の知恵は偉大だ。 △▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽
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Football Life vol.66

僕はもともと特別なリクエストがない限り会見を撮影することはなかったけれど、オシムさんの会見だけは撮るようにしていた。 単純に話が面白かったからなのだけれど、あれこれ狙っているうちに彼の仕草にも気がつくようになっていた。 アジアカップで気になったのは会見のとき、オシムさんがこうして俯いている瞬間が多かったことだ。 少し疲れているのかな。 このときはそのくらいにしか思っていなかった。 △▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽
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Football Life vol.65

ビクトリアからハノイに移動してすぐに地元ベトナムとの試合があった。で、その翌日は久しぶりのオフで、同業者とランチをすることにした。 このときは時差ボケと気候があまりに違いすぎたせいもあって、長距離移動をしつつ戦い続ける選手の気持ちが少しだけ知ることができた。 食後のお茶をして解散になり、トボトボと歩いているとき、朦朧としていた意識が急に戻った。 「さ、財布!!? あ、あれ??」 右の後ろポケットに入れてあったはずの財布がない。 さっきまでいたカフェに向かって全力で走

Football Life vol.64

カラッとしたビクトリアから、ジメッとしたハノイへ。 この頃の僕はとにかく経費を安く抑えることに命を賭けていた。 海外出張で削りやすいのは宿代だ。このときは先乗りしていた同輩とルームシェアをすることになっていた。 一泊1,000円くらい。簡素なベットが2つ。エアコンとシャワーは備わっていた。しかし、窓がなかった。旅行で来てるわけじゃないし、部屋では寝るだけだから、それで良いと思っていた。 ある日、近くに宿泊していた先輩の部屋にお邪魔したときの衝撃は今でも忘れられない。

Football Life vol.63

ビクトリアに別れを告げて僕が向かったのはベトナムだった。U20ワールドカップより少し遅れて開幕したアジアカップに挑むオシムジャパンの取材が目的だった。 7月11日対U20チェッコ戦@ビクトリア 7月12日ビクトリア発▷シアトル着 7月13日シアトル発▷翌14日成田着 7月14日成田発▷バンコク着 7月15日バンコク発▷ハノイ着 7月16日対ベトナム戦@ハノイ たぶんこんな感じの日程だったと思う。人生で初めて成田トランジットを経験したのもこのときだ。 もし当時の自分に会え

Football Life vol.62

この日も調子乗りたちはノリにノッていた。 それもそのはずだ。前半22分、槙野のヘディングで先制。後半開始早々、デカモリシがPKで追加点。この時点で勝ちを予感した人は多かったと思う。僕は日本が勝ち上がった場合の旅程を考え始めていた。次の目的地はエドモントンだった。 しかし、そんなに簡単には勝たせてくれなかった。よく分からない判定もあって、気がついたら2本のPKを連続で取られて同点にされてしまったのだ。その後、一人退場して10人になったチェコを崩し切ることができず、PK戦に突