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#1 タップダンスで超常現象に遭遇した話。イマジネーションの犬。

8月末あたり、とあるタップダンサーとのライブで超常現象を体験しました。

この方は毎年のように全国ツアーを行なっており、各地のミュージシャンとのセッションを生業にしているひとだ。すごいのだ。

これから先書いていくのは超常現象の内容と、「欲に忠実であれ」という結論です。

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さて、ここまで読んだいただいた方々!thx:)

みなさんの中にはこんな疑問を持つ方もいると思う。

「タップダンサーのライブって、え? なに、どんなこのすんの?」

そう、そうよね。そうなりますよね。

まずはライブですから、演奏ですな。音楽を演奏するのですな。

こまやかな歴史までは踏みこめないですが、18世紀アメリカの黒人のドラム禁止令が課された地域で、ドラムの代わりに足を踏みならし始めたことが起源の一つでもあるんだとか。

ひとまずは雑だが「タップダンス=音楽を演奏できるもの」と捉えてもらえればおけけのけです。毛。

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演奏するものをあえてジャンルで括ればフュージョンになるのかな。オリエンタルだったり、変拍子満載だったり、ファンクだったりラテンだったり。

そうした曲たちをその日かぎりのメンバーでその日にリハーサルをし演奏する、いわゆるセッションライブ。

この日はサックス、キーボード、ベース(ぼく)、そしてタップダンスという組み合わせ。

まだピンとこないそこのあなた!! きもちわかる。

じゃあタップダンスを(ほんとは違うけど)ドラムに置き換えてみると……?

サックス、キーボード、ベース、ドラム

お、一気にわかりやすくなった! バンドっぽい!

ほーんとのほんとに幅広い表現のできるものですが、ひとまず役割を「ドラム的なもの=打楽器のような役割ができるぜ」とぼんやり思ってもらえれば大丈夫です。

もちろんダンスだしライブだし視覚的な部分もあるけど、そこはいったん捨ておこう。目玉をくりぬこう。

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ではいよいよ超常現象についてですが、まずいってしまうと「聴こえるはずのないものが聴こえた」のです。

女の叫び声とか、皮膚の下にいる虫の鳴き声とか、壁に口が生えて囁きはじめたとかではないです。

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この方のライブではまいど恒例「タップダンスソロ」のタイムがありまして。

ひとりきりでステージにあがり、ひとりでタップダンスを披露するのです。

考えるだけでも心臓がげろ吐きそうですね。

しかも1,2分さらっとやるのではなく、10分くらいガッツリ踊りきるんです。

考えるだけでも心臓が身投げしそうですね。

ただ足を踏み鳴らすだけではなく、頬を鳴らし、手を振り、胸を叩き、声を上げる。

文字通り全身をつかって踊る……いえ、「音楽を奏でる」のです。

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そんなタップソロも5分は経過したころでしょうか。

超常現象が起きました。

タップダンスによる音以外なにもない空間から、徐々にたくさんの楽器が鳴り響き始めたのです。


つんざくようなシンセサイザーに、ベースはフェンダー系のジャズベだったかな。キックは太く、スネアはピッチ高めで、タイトなハイハットは印象的だった。

ホーンセクションは5人はいたようだ。テンションは高いけどあくまでクレバーに、踊らすための演奏。2〜300人の観客もリラックスして観ていたかも。

そんな演奏だけど、ギターがいなかったのが意外だった。探してしまった。バンド全体のタイトなリズムが、それ以上の楽器を欲していないようにも感じた。

こんな演奏をしてみたい、と思える演奏が聴こえた。


耳に聞こえる「情報」としての音はひとりのものだけど、脳内に流れる「感覚」としての音が確かに存在していた!

そんな具体性をともなう景色が、インスピレーションが、ほんとうに生身の、身一つの人間から与えられる。

これを超常現象といわずになんといえようか、ぼくにその語彙はまだないようです。

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そしておもしろいのは、その場にいた全員が別々の音を脳内で鳴らしていたにちがいないこと。

「赤くて丸いもの」と聞いて、リンゴをイメージするものがいれば、ボタンを、警報機を、HALを、心臓をイメージするものがいるように。

ぼくの場合は、先にも書いたように理想が聴こえた。いや、理想だから聴こえたというのが正しいのか。

クリエイト・提示されているものに対して、全員が別々の結果を得て成立する。イマジネーションの刺激。ともすれば「各々のイマジネーションに委ねられている」という見方もできる、その空間と時間。

観ているひとの好み、経験、性癖、その日の体調、食事、その瞬間の気分によって流れる音が異なる、マルチエンディングの表現。

タップダンス(≒打楽器)だからこそ為しえるふかしぎな現象。

これを超常現象といわずになんといえようか、ぼくにその語彙はまだないようです。

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さて、これがぼくの経験した現象ですが、結局この上でなにを考えるのか。これはものすごく単純です。

先にも書いたように、受け取り手の経験などにより、この超常現象はまったく異なる結末をむかえるようです。

クリエイトする側の表現も毎日変わります。

次に聴かせてもらったときはまったくちがう音楽が頭に鳴るでしょう。というか音楽に限らないかもね。映画や文章かもしれないですね。

こんな現象が「ある」とわかれば、「より楽しめる方法」がわかる。

単純に、これから先もっともっといろいろなものを見聞きすれば、イメージできる幅が増え、この楽しみはどんどんすがたを変え、さらなる快感と気づきを与えてくれるのでしょう。

インプットのためのインプットではなく、快感のための吸収です。

にんげんですもの、快感のためならなんだってできるものでしょう……。

いろいろ知れば、いろいろ楽しめる。

超単純ですが、人生これに尽きますな。

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長くなってしまいましたが、まとめると上の2行がすべてです。

好きなものを、打算抜きでどんどん吸収していけば、もっとおもしろいものにであえるかもよ!?という話。

欲に忠実であろうぜ!

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