「ゾンビつかいの弟子」感想


■いわゆるライトノベルではありません。
異世界にいった主人公がネクロマンサーの弟子となり、圧倒的才能で無双する話ではありません。

三部構成で、各部ごとにそれぞれかなり毛色の違った雰囲気になっています。順番に感想を書かせて頂きます。ネタバレが多いのでご容赦ください。



■「第一部 受験生篇」
一般的な「ゾンビもの」に一番近いのがこの章かもしれません。
とはいえ、一般的な「ゾンビもの」ではありません。

確かにゾンビが出てきますが、それが最大の脅威ではないのです。
ゾンビによって起こされた、社会の混乱。
物資の流通が止まり、交通インフラは破壊され、テロや災害による社会パニックものといった様相を呈してきます。

主人公たちは被災者・避難民として、体力の消耗であったり、風邪をひいたりといった体調面の問題とも向き合う事になります。
ゾンビそのものよりも、二次被害が中心に描かれているのが「ゾンビもの」としては新鮮に感じられました。


■「第二部 大学篇」
無事に避難を終え、受験も終え、伊東くんが大学生になった後の話。
この章では、神白と伊東の関係が中心に描かれます。

「ゾンビつかいの弟子」全体に言える事ですが、かなり説明が省かれて余白が大きい作風であるように思います。
特にセリフの掛け合いについては、キャラクターがどういう感情なのかはハッキリと書かれていません。
おまけに主人公の伊東くんが「ツンデレ」気味で、内面描写でさえなかなか本心を明かしてくれないので。

伊東も神白も、弟や妹を失った事、傷ついてしまった過去を持っているせいでしょうか。
悪態をつきながらもどことなくシンパシーを感じ合い、放っておけない間柄となっているように感じられました。
読者の想像の余地が大きく取れ、BL文学として味わい深いのが「第二部 大学篇」ではないかと思います。


■「第三部 ゾンビつかいの弟子篇」
この章では、伊東くんはゾンビ研究をしている谷中先生とコンビで動くことが多いです。
「ゾンビとはなんなのか」という問題に、これまで以上に向き合っていく章となります。

例えばロボットであるとか人形であるとか、あるいは人の姿の描かれた絵、アニメであるとか。
こういったものには本来、感情は存在しません。人間ではないのですから。
しかし「人間のような形をしている」ために、感情があるかのように受け手が錯覚してしまう、という現象があります。
それが「感情移入」というものだそうです。

作中ではゾンビのことを「彼」ではなく「かれ」であったり「ヤツラ」「アレ」などと表現され、人間に似ているけど人間ではないかもしれないもの、得体のしれない存在として描いています。
それでも人間に似ているから「感情がある」かのように錯覚してしまう。
人間に似ているものが人間じゃないような行動をとる、そのことそのものが気味が悪くグロテスクなことで、それが「ゾンビものの恐怖」の根幹にあるのかもしれないと感じました。

例えば「攻殻機動隊」「イノセンス」において、あるいは「銃夢」であったり「ブレードランナー」であったり。
いわゆるサイバーパンクものにおいて「人間とサイボーグ・アンドロイドの違いとは何か」という、哲学的なテーマが扱われる事があります。
人型じゃないサイボーグで脳だけ生身だったり、肉体は生身だけど脳だけ電子チップだったり、というような。

人間の要素をどこまで削いでいくと、人間は人間でなくなるのか。
人間が人間である条件とはなんなのか。
ゾンビと人間の違いについても、同じ問いが投げかけられているように感じられました。
そういった意味で「ゾンビつかいの弟子」は、サイバーパンクものとしても読むことができるかもしれません。


■ぐだぐだと関係のないことまで書いてしまいましたが、最後に。
タイトルから想像していたものとは全く違っていましたが、楽しんで読むことができました。
もしかしたら初期の構想では「プログラムでゾンビを操る力」で活躍するエンタメ路線もあったのかもしれません。
そうなるとビィあたりは戦うヒロインとして、もっと活躍の場が多かったかもしれません。

それはそれでいいのですが、今作は「違った切り口のゾンビもの」としての価値が大きいのかなと思いました。
例えばゾンビ事件における二次被害と、それに伴う避難生活であるとか。
ゾンビと人間の違いとは何か、ゾンビの人権は尊重されるべきか、というような問いかけであるとか。
こんな「ゾンビもの」は見た事がなく、新鮮に読むことができました。ありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?