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新渡戸稲造:自由の真髄(2)


<内外の矩の衝突した場合>

外部の矩は守り易い。また悉くこれを守ったところで、その人は平凡な国民あるいは臣民たるに過ぎない。これに反し内部の矩を守るのは頗る難しく、その代りに、これを完うすれば、即ち聖人君子となるのである。
 
ところが内部の矩の命ずることは必ずしも外部の矩の命ずるところと合致しない、一般臣民が善良なる風俗習慣とし、あるいは結構な法律と見做しているものも、聖人君子、もしくは時代より一歩進んだ先覚者の眼より見れば、あるいは時代後れであったり、あるいは無意味であったり、あるいは有害であると認めなければならないものが少なくない。
 
この場合、外部の矩は服従を要求しても内部の矩はこれに反対を命ずる、そこで内外の衝突が起って、何れの矩に従うべきか、闘争が心の中に起る。

このような場合には、我々凡夫は内部の矩を棄てて外部の矩の要求通り行っていれば、安全にしていわゆる自由に世を渡れるからその方を望む者が多い。
 
しかし聖人君子のような先覚者になると、外部の矩より内部の矩の方が大切であり、己の心に反して安逸に自由を求めることを潔いとしない、そこで俗界のいわゆる安逸と名利もこれを犠牲にしてまでも、なおかつ内部の本当の自由と平安とを得ようとする。これは、今日までの先覚者の例を見ても否定できない。
 
近い例を引き出せば、吉田松陰の
 
   かくすればかくなるものと知りながら  止むに止まれぬ大和魂
 
と詠ったのは、時の法律に反けば自分の生命の危いことは百も承知である、即ち外部の矩に反けば外部の利益や自由を失う、生命をも失う、これは承知でありながら、如何せん、止むに止まれぬ命令が心の中に発せられ、その矩に従わざるを得ないところに立ち至ったのである。


イエスの福音書を繙(ひもと)いても、世人の望むがままに身を処し、言いたいこともいわず、潔いと思わないことも行い、時の政府の意に反かずにいたなら、あのような不自由もせず、あのような悲惨な死を遂げなかったであろう。


洋の東西を問わず主義のために斃(たお)れ、宗教のために殉じた人々、あるいは時代より一歩進んだ考えを懐き、身を犠牲にした人々は、何れも内外の矩の衝突を経験して、その都度、外部の矩に従わずに、内部の矩に従った人である。


デモクラシーを論ずるとき、そのデモクラシーの一大要素である「自由」を、単に法律上の権利とか社会上の特権とかに限って考えている間は、まだ「真の自由」を理解していないような気持ちになる。

「内部の矩を踰えない自由」を理解してこそ始めてデモクラシーの真の味(本当の意味)が分るものと思う。このような解釈の展開が新渡戸稲造の思考するところであった。

仏教の経文中で、しばしば教える「一切平等」というのは、法律的あるいは社会的なものを言っているのでなく、一層深い、一層高い意見であると考えざるを得ない。

自由の何たるかを理解するにおいて、上述の「内なる矩」を踏みにじらない意味での「真の自由」を検討したが、デモクラシーの理想たる「平等」の概念もまた深遠な意味があると見なければならない。簡単に考えることは、甚だ覚束ないと思う。このように新渡戸は結ぶのである。

<デモクラシーの指導者>

デモクラシーの指導者となるべき者は、自己の内部の自由を得んがために、外部の自由や権利をも捨てる位の覚悟がなければ、その目的を果すことは出来ない。先覚者は、必ず時代に容れられないものである。
 
彼らは時代の社会より一歩か二歩、もしくは十歩二十歩先に出ている。よく兵を動かす指揮官は隊の中にありとは言いながら、身そのものは隊より数歩先に進んで率いるのと同じようなものである。身は社会にあってなお世のものではない、従って世から誤解されるのが当然である。
 
先覚者は、誤解されるというよりも、理解されていないと言ったらよいだろうか。庭に餌を拾う小雀は、鷲の心を知らないと言うが、小雀といえども鷲の心情をその一分二分は確かに理解しても、あとの七分通りは、分からないのである。これは誤解でなくして不解である。

この不解を恐れて、自己の良心に背くことは自己に不忠なるばかりでなく、世に対しても不忠になる。何となれば、先覚者があればこそ世が進むのであるからである。
 
一国の人々の思想が悉く統一されたり、何事についても異説がないとしたら、社会は如何にして進歩があろうか。いわゆる時代思想に超然たる人があればこそ、その人を殺してもなおその人の恩を受けることは歴史上の事例を見るまでもない。

明治維新の際、日本を造った人は、当時の幕府より見れば、異論であり、売国奴であり、危険思想を懐いていた人々である。
 
彼らはその一身を犠牲にしたけれども、しかも彼らによって新しい日本は造られたのである。佐藤一斎のいわゆる「俗情に墜ちざるこれを介という」(自己の立場を正しく守り、俗情に墜ちないのが介である)と教えたのはこの点であって、如何に外部の圧迫が強くとも、己の心に潔しとせざることに従わないところを「俗情に墜ちず」というのである。
 
恐らく人間と生れた最大の権利は自分の心に従うことであろう。心の外に別の法はない。少なくとも心に優る法律はない。

勿論この理を極端に説けば、啓発されない人心までも心であるから、その心に従い、それ以外のものに背くというのであれば、社会の成立は出来なくなる。

そうなれば、ルソーのいわゆる自由(奔放な自由)となって動物と違わなくなる。故に孟子の教えでも陽明の教えでも、徳川の圧制政治ではこれを危険視して教えなかったのも無理からぬことであった。

「心の矩を踰えず」という自由の本義を述べたが、ただ自由気ままに生きればそれでよいという意味でないことは理解されたと思う。「心の矩」に気儘勝手という意味があるのではなく、明確な法則があることを忘れてはいけない。
 
以上の新渡戸稲造の「自由の真髄」を読み解いたが、デモクラシーで強調される「自由」や「平等」の意味を掘り下げて考えることは、今日でも、極めて重要である。

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