泥棒に鍵を渡し、星宿る歯医者に臨む
長座布団に寝そべって漫画を読んでいた、日曜の昼下がり。
「それ」に気づくまでは、完璧にハッピーな休日だった。
乗っ取られたFacebook
ふと、いま何時だろうとスマホを持ち上げたら、通知が大量に来ていた。
前投稿でハーゲンダッツを冒涜したことに対する抗議かとヒヤヒヤしながら、スマホを開く。
飲みのお誘い一件、旅行の相談一件、そして他30件以上の「Facebookのメッセンジャーが乗っ取られてるよ!」という、警告。
へっ?とメッセンジャーを開くと、送った覚えのない動画が自分から友だちみんなに「このビデオはいつでしたか?」と送信されていた。
「いつでしたか?」となんか微妙に鼻につく日本語がムカつく。
なんて言っている場合ではない。
ご親切にパスワードの変更方法や二段階認証がいいらしいとの情報を寄せてくださった人の言葉に従い、すぐにパスワードを変更する。
そして「私のメッセンジャーは乗っ取られてます!動画は開かないでー!」と冷や汗まみれになりながらみんなにメッセージを送り、少し前の自分の行動を振り返る。
思い当たる節は、一つしかない。
数日前の夜、しばらく会っていない友だちから「これを見て(^o^)」と動画が送られてきて、「あら珍しい。どうしたのかしら」と若干訝しく思いつつ、リンクをクリックしたのだ。
たちまちFacebookのガードが立ち上がり、「このサイトは怪しいので、プロテクトアプリを入れてください。下にログインIDとパスワードを、どうぞ」と表示された。
あっぶね〜、怪しいサイトに飛ぶところだった。Facebook様様だなぁ。
と、Facebookにプロテクトしてもらうために、ログインIDとパスワードを入れた。
そう、ログインIDとパスワードを、たしかに入れたのである。
のちに検索したところによると、そのFacebook画面がすでに敵の陣地。そこに個人情報を入れたら泥棒に鍵を進呈してしまったも同然、とのこと。
この手口を解説している動画やブログはたくさんあって、個人情報の入力は絶対にやってはいけないと赤字ないし太字でこれでもかとばかりに注意喚起されていた。
うわぁ…検索一本で防げたやつじゃん。間抜けすぎて恥ずかしい。
日曜の楽しい午後にアホみたいな惨事の巻き添えを食ってしまった方々、本当に申し訳ございません。
親切に乗っ取りを教えてくださり、パスワードの変更方法等をご教示くださった方々、本当にありがとうございます。
悔しいやら腹立たしいやらでスルメをがしがし齧っていたら、不意に上の右側、犬歯の隣の隣くらいの歯にありえないほどの鋭い痛みを感じた。
高校の球技大会中によそ見して友だちと馬鹿笑いしていた私の後頭部をサッカーボールが直撃した時と同様の、「痛み」より「衝撃」と呼んだ方が適切な、くらっと意識が遠のくような痛み。
やばい。歯医者、行かなきゃ。
3年前の、歯医者のトラウマ
最後に歯医者に行ったのはもう3年ほど前。大学在学中のことである。
その頃通っていたのは、親知らずを抜くのは抜群にうまい院長と泣きたくなるほど塩対応の女医さんがいる歯医者だった。今もあの女医さん、いるのかな……と歯科名を検索してみたら、口コミがわんさか出てきた。
親知らずを抜いてくれた院長先生は優しいし腕も良かったけれど、女医が冷たくて怖かった
女医さんは患者の声を聞いてくれない印象です。噛み合わせが合わないと言っても“そういうものだ”と片付けられてしまいました
女性の担当医さんと全くコミュニケーションが取れない
やっぱり、いた!あの冷たい女医の洗礼を受けた患者は、私だけではなかったのだ。不満と恐怖の声は、一昨年の8月あたりから今年の9月にいたるまでかなりの件数に上っている。
もちろん私も彼女を恐れ歯医者から遠ざかった一員ではある。けれども、これほどまで徹底した態度を貫いている彼女をちょっと尊敬してしまう。
口コミサイトに掲載された頃にはクリニックからもコメントに返信していたから、クリニックがこのサイトを知らないということはなさそうだ。
口コミや星が患者を呼び寄せたり遠ざけたりする昨今において、女医さんの雪女のような冷たさには、もはや神々しささえ覚えてしまうほど。
人としてのあり方は尊敬するけれど……やはり、私は彼女が怖い。
大学3年生までに貯めた貯金のほとんどをこの歯医者につぎ込んでしまったことも、いまだに胸が痛む思い出だ。
……またここに通うのは嫌だな。
私はいま住んでいる家の近くの、評判のいい歯医者に行くことにした。
星4.7のイケパラへ
なんとそのクリニック、同じ口コミサイトで星4.7を獲得しているのである。
しかも評価人数は58人!
これは期待できそう。
口コミを見ても、
歯の状態や治療の説明も丁寧で、とても分かりやすい
開院されたばかりなので院内はとても綺麗ですし、受付の方も丁寧
治療自体は若手の先生がよく見てくれて、心配ないと思います。他と比較しても、真面目な歯医者さんだと思います
と大絶賛の嵐。
唯一のマイナス点は、
Wi-Fiが繋がり辛い
のみ。最高である。
Wi-Fiよりも治療態度を優先したい私は、さっそくその日の仕事終わりにウェブ予約を入れた。予約を入れたらちょっと冷静になって、クリニックのホームページを見る。
……あ。みんなが高評価つけてた理由がわかった気がする。
やたら顔立ちが整った、若手の医者ばかりなのだ。
学生時代にGReeeeNのコピーバンドを結成して「キセキ」とか熱唱したり、休日には湘南までレンタカー飛ばしてサーフィンとかやってそうなタイプ。
そんなイケイケ系のイケメンたちが、ホームページで爽やかに微笑んでいる。
別にイケメンに恨みがあるわけでもないけれど、このクリニック本当に大丈夫かな?
急に不安になってくる。
ていうか口コミつけてた女の人たち、イケメンに口の中見られてもOKなタイプなんだ。正直私としてはちょっと枯れてるおじいちゃんに診てもらう方が気が楽なのだけれど……。
とはいえすでに予約を入れてしまったから、もう行くっきゃない。
仕事を切り上げて、いざ診療所へ。
清潔感溢れる待合室に、愛想のいい受付のお姉さん。
よしよし、ここまでは評判通り。
名前を呼ばれて診察室へ行くと、凛々しい眉毛が印象的なセンター分けのイケメンが現れた。その先生に指示されてレントゲンを撮り、寝椅子に案内される。
先生はタブレットに映ったレントゲン写真を拡大し、私が痛むと言っている歯を赤で囲んだ。
「ここらへん一帯、何か入れてますよね?」
「3年ほど前に通っていた歯医者さんで保険適用外のめっちゃ高い人工の歯を入れました」
当時の出費の痛みを思い出して半べそで答える。
「その歯を取ってみないと、虫歯なのか人工歯が神経に当たっていて痛むのかがわからないんですよね」
と先生は少し眉を下げた。
「はぁ…」
私のシナプスとかニューロンに無機質な人工歯がぐいぐい食い込んでくるところを想像して完全に怖気づく私。ところでシナプスって何だっけ?
「おそらくまだ保証期間内かと思いますので、そちらの歯医者さんに診てもらった方がいいかもしれません。
うちでも治療できますけど、期間内であれば以前通っていたところの方が安く納得のいく治療がしてもらえるはずですよ。痛み止めだけ、出しておきますね」と先生が優しく笑う。
えっ…前の歯科に行くように言ってくれるのはありがたい…けど、先生たちはそれでいいんかい?
これまで「うちの方が腕はたしかですよ!」「うちの方が通いやすいでしょう」などと言って客引き?してくる医者にばかり当たっていたので、その高潔さに胸がときめいた。
カッコいい〜〜〜!!
もう先生が直視できない。
「顔に釣られたお姉様方が星を貢いでるんじゃないのぉ?」なんて失礼なことを考えてしまって本当にごめんなさい。
こうなったら恐怖の女医さんに恥を忍んで治してもらって、とっととこのクリニックに切り替えよ〜っと!
まずは「治療はまだですがいいお医者さんです」とか超無責任な口コミ書こ〜っと!
うっきうきで会計を済ませると、受付下の「ご自由にお取りください」と書かれたチラシが目に留まった。
ド親切に口コミへと誘導してくるチラシ。
清々しいほどダイレクトに星を求めてくるじゃん!!!
もはや顔すら関係ないんじゃん!!!
……カッコいい(笑)
結局私は、まだ口コミを投稿していない。
お読みいただきありがとうございました😆