
【感想】一生懸命であることをまるっと肯定してくれる(種村剛さん)|#38『セプテンバー』
2023年9月14日(木)より上演された弦巻楽団#38『セプテンバー』札幌公演をご覧になった種村剛さん(北海道大学・教員)から、作品の感想をいただきました。
ご本人の了承を得て、公開させていただきます。
たくさんの人が観たらよい演劇だと思った。若い人たち、中学生や高校生、もう少し歳を重ねて子どもの親になった人。働いている人も、そうでもない人も。やりたいことがある人も、ない人も。今ここにいることに満足している人も、そうでない人も。誰が観たとしても、その誰もが、舞台の上で行われている登場人物たちのふるまいに、自分の中に秘めている大事なことの片鱗を見出すのではないだろうか。
なぜそう思えるのか。それは、登場人物たちがみな舞台上で一生懸命で、その生き様が舞台上の表現の根っこになっているからだ。私たちは毎日を生きている。生きているということは、まさに言葉の意味のとおりに一生懸命で、それだけで尊いことなのだと思う。だから、生きている私たちは、一生懸命な登場人物たちに自分の生を重ね合わせることができる。私たちは『セプテンバー』に、舞台上に生きている別の自分を見出す。
一生懸命であることは、必ずしも格好いいことではない。それは、私たち観客が一番良くわかっている。一生懸命であるから、人はぶつかり合う。本音を言って相手を傷つけることを恐れながら、でも言ってしまう。相手の正しさを分かっているけども認められない。それは滑稽で見苦しくて、頑固で愚かに見えるし、一生懸命であるとは、結局はそういうことを含むものなのだろう。でも、それでいいじゃないか。むしろ、それでいいじゃないか。『セプテンバー』に漂うユーモアのセンスは、私たちが一生懸命に生きて存在していることをまるっと肯定してくれる。
一生懸命であるためには、どんなに暑苦しくて、面倒でも、自分の生を認めて支えてくれる誰かがいなくてはならない。人は一人では生きられない。生きるということは、結局は、誰かと関わりあい、助け合い認め合うことだから。『セプテンバー』の登場人物たちは、当人にとっては支えているつもりがなくても、そして助けられている人が他の人に支えられていることに気づいていなくても、他の人に寄り添い、存在を認め合っている。観客である私たちはそれを舞台上に感じることができる。そこには、他者の存在を寿ぐことにつながるヒューマニティがある。
生きるためには、それを支える大地も必要である。私たちは土地と、そこに暮らす人びとと共に生きている。肌に触る風、呼吸する空気、景色や虫の音や風の音を通じて、土地の風土はそこに暮らす私たちの体に染み込んでいる。舞台にみえる山並みは、登場人物たちの人生を支えてきた大地とのつながりを表現しているように思える。一方で『セプテンバー』は、土地に暮らす人たちのつながりが、支えあってきた関係性が、どこかで終わってしまうことを暗示している。終わりがくることを心のどこかに置きながら、それでも、いやだからこそ私たちは今を一生懸命生きる。その物悲しさもまた、生きることの一部なのだろう。
そして『セプテンバー』は演劇をすることをテーマにした演劇でもある。一生懸命に生きることのおかしさを、人のやさしさを、終わりのあることのかなしさを演劇に関わる人びとを通じて表現した演劇である。だから、特に演劇が好きな人に『セプテンバー』をお勧めしたい。そして『セプテンバー』を観た人は、演劇を好きになるだろう。だから、演劇な好きな人も、そうでない人も、是非劇場に足を運んで『セプテンバー』を感じて欲しいと思います。
『セプテンバー』は、9月20日(水)に帯広公演、9月23日(土)に苫前公演を行います。お近くの方はぜひ会場にお越しください!
老いも若きも楽しめる、観劇が一つの “体験” となる、豊かな舞台。弦巻楽団の新たな名作をどうぞお楽しみに。
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