暗闇で手を離せ。【『ファーンズワース・インヴェンション』を上演するにあたって vol.2】
あんなに暑かった夏も一瞬のように幕を閉じ、札幌には冬が迫ってきています。代表の弦巻です。
青井陽治氏は2016年『裸足で散歩』の上演時に来札され、劇場の正面に広がる中島公園を見て「セントラルパークみたいにとても美しい公園ですね。」と仰いました。8年前です。
ちょうど今、中島公園は紅葉が色づき赤や黄色に木々は染まっています。
稽古も進み、徐々に全体が見えてきた新作『ファーンズワース・インヴェンション』。
全員揃うことが増えた稽古場では、細かい箇所を突き詰めつつ長い展開を稽古し、物語の躍動、緊張と弛緩を体感できるようになりました。正直、とても面白いです。元々面白いと感じたから上演するのですから、当たり前のような気もしますが、この面白さをいざ言葉にしようとすると悩んでしまいます。
海外戯曲としては比較的オーソドックスな作り、ジャンルだと思います。
ですが「喜劇」ではありません。「ラブストーリー」でもなく、「サスペンス」でも「ホラー」でも「家族もの」でもありません。「命」についての物語でもありません。
一言で言えば「仕事もの」です。仕事を成すことに存在意義の全てがある環境を舞台にした、
「テレビの発明」をめぐる物語です。
この面白さ。自分が海外戯曲を選ぶ理由のほとんどがここにあると言っても過言ではありません。それを伝えたい。ですが、言葉にするのは本当に難しいです。まるで人生のように。
先日とある地方のホールで演劇のプログラムを選定してる初老の方がポツリとこうこぼしました。「人情喜劇はもういいんですよね。」
人情喜劇も好きな自分は複雑な気分になりましたが、その方の想いも痛いほどわかりました。
北海道の、札幌の舞台は(大きく括ってしまえば)人情喜劇に占拠されてると言えます。実験的な舞台も、ナンセンスな舞台も、サイコサスペンスを騙った舞台も、「人情喜劇」に吸い込まれてしまう。カタルシス、物語としての収まり所を求めてそこに辿り着いてしまう。あるいは「人情悲劇」に。
そうじゃない舞台が増えたら良いのに、と常々自分は思っていました。
なので、自分が上演する作品はそうした観点で戯曲を選んできました。そうなると、海外戯曲を選ぶことが増えます。人情につけ込まれない、人情に抱擁されない作品。笑いと涙で包み込まない、硬直で、それゆえに人間存在の儚さや哀れさ、人生の“無慈悲”が表れるような戯曲。
努力の結果が実らずに終わる。大願は成就せず、中途半端なまま忘れられていく。嬉しい出来事も、辛い出来事もなぜそれが起きたのか、自分の身に降りかかったのか理解できない。偶然に、としか言えない。平等に規則性のない人生。それが人生だと言えます。なんて残酷な。
人生に答えはありません。正解も不正解もない。演劇はその人生の答えのなさをそのまま表現します。あるときは悲劇として。あるときは不条理劇として。またあるときは現代劇として。笑いや涙が伴うこともあります。
ここ札幌で見られる演劇は「答えのなさ」を人情で消化する作品が多いです。そのままではあまりに救いがないからか「人情」で包み込もうとします。笑いや涙を混ぜることによって落ち着かせ、解決したような気にさせます。現実は動いてないはずなのに。問題は問題として未だそこにあるのに。
でもそのままでは落ち着かないから。暗闇で手を離した気がするから。
作り手は何か一手加えてしまいます。多くは感動と呼ばれる要素を。論理的な解決は望めないから論理を超越できるマジカルファクター「人情」が発動するわけです。
気持ちとしては分からなくありません。人生の全てを賭け野球に打ち込んできた少年が、不慮の事故で野球をできなくなってしまった時。彼の慟哭を受け止めて何か慰めをかけてあげたくなる、そんな気持ちにそれは似ています。ごく当然な気持ちだと思います。
暗闇に取り残された彼の手を離してはいけない。
ただ、演劇の強みや醍醐味は作り手の「人情」を遥かに越えたところにあります。先述したように演劇は人生の答えのなさ、世界の無慈悲さを“そのまま”観客に感じさせることができます。
海外の劇作家の方が当たり前にそう認識しているように思えます。
人生の諸問題は自分(人間)を中心に起こる。それを取り囲む世界を忠実に、問題は問題としてそのまま描くことこそ、人間を表現することになる。個人を踏み潰す世界を詳細に描くこと。
自分が選んできた海外戯曲の作品はどれも人情を拒絶するような作品でした。シェイクスピアもそうですし、ファスビンダー『ブレーメンの自由』、ムロジェック『大海原で』、アリエル・ドーフマン『死と乙女』…。ニール・サイモンの『裸足で散歩』だってそうです。(この中なら、むしろファスビンダーが一番「人情」を外せない要素として劇作をしている気がします)
『ファーンズワース・インヴェンション』は明るい場面、笑いや、グッとくる場面も沢山あります。ですが、自分はこの舞台を人情に回収しようとは思っていません。言うだけなら簡単ですし、そう言って実際に見ると、俳優の熱演(情!)でカタルシスを作り観客を納得させようとする舞台もあります。
電子によるテレビ開発に打ち込んだフィロ・ファーンズワース。アメリカ大陸の反対側で、ラジオという新しい技術をアメリカ国民のためになるように奔走したデビッド・サーノフ。二人の情熱は重なることはなく、絶妙に絡まり合い避けられない一点に物語を導きます。
———誰が、テレビを作ったのか?
この面白さをぜひ劇場で体感してください。
「人情」はないでしょう。
ですがそこには人間のいじましさ、世界の残酷さ、人間の不可解な冷酷さ、社会の無慈悲なうねりがあります。そこで必死に生きる人間の姿があります。汗を流し、夢を見る、当たり前の人間の姿が。その情景を体感することもエンターテイメントだと自分は思います。
暗闇で手を離して良いのか?
良いのです。
暗闇から手を伸ばすのは、いつだって目撃した観客の心の裡なのですから。
公演情報
『ファーンズワース・インヴェンション』
脚本:アーロン・ソーキン
翻訳:青井陽治
演出:弦巻啓太
鬼才アーロン・ソーキンによる実話に基づいた傑作戯曲 “The Farnsworth Invention” 弦巻楽団の手により、日本初演!
“The Farnsworth Invention” は、映画『ア・フュー・グッドメン』や『ソーシャル・ネットワーク』で知られる脚本家アーロン・ソーキンの代表作の一つ。テレビ開発の歴史を実話を基に描く本作は、2007年にブロードウェイで上演されました。
ニール・サイモン『裸足で散歩』(2016年)、アリエル・ドーフマン『死と乙女』(2023年)など、これまで数々の海外戯曲を手掛けてきた弦巻楽団が、2024年11月、日本初演を行います。
日本を代表する翻訳家・青井陽治が亡くなる直前に「これをいつか上演して欲しい」と弦巻に手渡した未発表の翻訳を使用。演出家・弦巻啓太の一つの到達点となる舞台です。
出演は弦巻楽団の劇団員に、豪華俳優陣を迎えたオールスターキャスト。主人公である天才科学者フィロ・ファーンズワースを、これまで何度も弦巻楽団の舞台を共に作り上げた遠藤洋平が演じます。
初日を迎える2024年11月21日は「世界テレビ・デー」。テレビの発明をめぐる二人の《インヴェンション》の日本初上演をお見逃しなく。
キャスト
遠藤 洋平(ヒュー妄)
村上 義典(ディリバレー・ダイバーズ)
深浦 佑太(ディリバレー・ダイバーズ)
井上 嵩之(→GyozaNoKai→)
田村 嘉一(演劇公社ライトマン)
岩波 岳洋
相馬 日奈(弦巻楽団)
木村 愛香音(弦巻楽団)
イノッチ(弦巻楽団)
高橋 咲希(弦巻楽団)
髙野 茜(弦巻楽団)
来馬 修平(弦巻楽団)
温水 元(満天飯店)
町田 誠也(劇団words of hearts)
日時
2024年11月21日(木)〜24日(日)
21日(木)14:00/19:00
22日(金)14:00/19:00
23日(土)14:00/19:00
24日(日)14:00
会場
生活支援型文化施設コンカリーニョ
札幌市西区八軒1条西1丁目2-10 ザ・タワープレイス1F
TEL:011-615-4859
→Googleマップを開く
チケット
【前売・予約】
一般:4,000円
U-25:2,500円
高校生以下:1,000円
ペアチケット:6,000円(当日券なし)
【当日】
一般:4500円
U-25:3,000円
高校生以下:1,500円
【チケット取り扱い】
市民交流プラザチケットセンター
セコマチケット(セコマコード:D24112101)
【ご予約(当日受付にてお支払い)】
メールでの受付(①お名前、②ご観劇日時、③券種、④枚数 をご送信ください) info@tsurumaki-gakudan.com
スタッフ
音楽:加藤亜祐美
舞台美術:高村由紀子
照明プラン:山本雄飛
音響:大江芳樹(株式会社ほりぞんとあーと)
宣伝美術:勝山修平(彗星マジック)
ライセンス:シアターライツ
特別協力:土屋誠(カンパニー・ワン)
制作:佐久間泉真(弦巻楽団)
主催:一般社団法人劇団弦巻楽団
助成:芸術文化振興基金
後援:札幌市、札幌市教育委員会
協力:さっぽろアートステージ2024実行委員会、札幌劇場連絡会