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初演の頃|#わたしと出停記念日

札幌を拠点に活動する劇団・弦巻楽団が、2021年に上演する『出停記念日』。高校演劇の名作をみずみずしい演出で上演します。現在、苫前公演に向けて稽古を再開し、さらに磨きをかけた舞台を目指しています。
この度、原作者の島元要さんより、初演時の思い出について綴った文章をいただきました。

脚本家・島元要の #わたしと出停記念日②

「出停記念日」。タイトルは、学園生活最悪の日が実は輝かしい日であるという逆説(?)。高校教師であった私は、管理社会の縮図のような勤務校(普通高校)で、既成概念をひっくり返す楽しさを生徒たちと追求したかった。

話は20年ほど前。沖縄本島の南にある高校で、顧問として演劇同好会を立ち上げた。実はその1年前、私が顧問を務めていた演劇部は、3年生の卒業と同時に廃部になっていた。廃部になると復活するには同好会から始めなければならない。発足1年目の同好会は、学校からの部費はない。そのかわり活動の自由度は高い。

顧問としては、あれこれ制限の多い(特に上演時間1時間というルール。この時間に収まる既成の作品はあまりない)高校演劇のコンクールより、マイペースな自主公演主体の活動を考えていた。

しかし、「コンクールにも出たい」と会員たち。考えてみると、県内の高校生と芝居作りで切磋琢磨出来る機会。また、学校からは、同好会でも大会参加費や交通費はもらえる。なによりも技術者の方々がいる本格的な音響や照明のある劇場で、大人(プロ)の胸を借りて作品作りや上演ができるのは魅力だ。

「分かった。基本的には自主公演と変わりない。自分たちがやりたいこと、出来ることで最高の芝居をつくろう」と会員に返事した。

さて、内容。何をやりたいか全員で話し合った。会員たちが手分けして既成の脚本の中から、自分たちの思いにぴったりくるような脚本を探すことにしたが、脚本というもの、読みやすい散文とは違うので慣れないと読みづらい。すぐ頓挫した。

創作脚本で、等身大の自分たちの物語でいくことになった。学校での日常を切り取った作品。しかし、脚本担当には誰も手を挙げない。顧問の出番か。しかし、1年前、旧演劇部が廃部になって以来、顧問であった私は全く脚本が書けなくなっていた。「やってみるけど、書けるかどうか。俺は女子の気持ちがよく分からない」。手探りで始めた。

演劇は、小説や詩とは違って、舞台の上で具体的に「見せるもの」が必要。そこで、練習場所である教室で、会員にいろいろ動いてもらって絵になる場面を探した。

物語の中盤、「数人の女生徒が机の上に立って外の景色を眺める」場面はそうやって決まった。佇まいが美しかった。狭い机の上に女生徒たちが小動物のように体をくっつけ合う可愛らしさ。水平線やその海の彼方を見つめる姿の透明感に胸が高鳴った。少女たちは永遠というものの前に立っている。実感した。

普段とは違う視点。机にあがることで、高さや視点が変わる。日常の中にふと非日常が生まれる。非日常から何かを発見していく物語。それが物語のトータルイメージになった。

同じ景色を見ているようでいて、それぞれ発見がある。彼女たちはどんな言葉を発するのだろう?または言わないか?言えないか?

この場面が、脚本作りの起点になった。テーマはまだない。ストーリーも。具体的なセリフも。作品作りの中で見付ければいいと思った。この場面を1枚の絵にして、その前後の場面を考える。「なんで、机の上にあがっているのか?」。理由が必要。文化祭の会場になり内装や照明をいじった教室で、点きにくくなった蛍光灯を直そうとして机に上がるという展開を考えた。その他、「教室にいる人数がすくないのはなぜ」「残りの人たちはどこに居るの?」「この子たちの関係はどんなもの?」と自分に問いかけながら、大まかに全体像がイメージできるようになってから、脚本を書き出した。

脚本は難産だった。大会が近づいても進まない。大会一週間前になっても半分も出来ていない。会員たちと校内の宿泊施設で合宿をした。彼女たちが基礎トレをしている間に、脚本を書いた。脚本が出来たところで読み合わせ、彼女たちの心身をくぐらせて、違和感があればその場で直した。稽古後、深夜私が書きなぐった手書きの原稿を翌早朝、ちかこがワープロで打って、会員たちが起き出す時間には活字原稿に仕上げた。書いた本人(私)ですら読めない字をちかこは読めるようになっていた。

役は、会員にそれぞれ当てて書いた。それぞれが、自分によく似た人を演じることになった。目を輝かせて演劇を始めた生徒たちに応えたい。物語の魅力より、出演者それぞれの魅力を引き出すことに心血を注いだ。淡々とした日常を切り取った物語ではあるが、この作品ならではの、エンタメの学園ものに出てくるスーパーヒーローたちとは違った魅力、普段あまり表沙汰にならない彼女たちの美質に迫りたい。そう思った。

脚本のイメージは、昔、映画産業華やかなりし頃の、盆と正月、ゴールデンウィークに向けて作られたオールスター映画。主役級の俳優さんの見せ場やセリフがきちんとある作品。私は映画少年でした。(私も、エリセのエルスール、大好きです)見た演劇より、見た映画のほうが圧倒的に多い。役者を見るために映画を見るという感じ。あの幸福感を書きながら味わった。ひいきの役者に贈るファンレターを書くような喜びを感じた。

「全員が主人公だ」と宣言。もちろん出番(舞台での滞在時間)やセリフの量は違う。出番やセリフが少ないことで、かえって観客の印象に刻まれることもある。

場面ごとに一まとまり書いた時点で、登場人物5人の視点から場面を見直した。例えば同じ場所に居ても、さやかとちあきでは、見ているもの感じるものは違う。当たり前だが、5人いれば5通りの物語がある。それを編集して一つの物語にする。

役名は、会員の実名をそのまま使った。本来なら、同じ「ち」で始まる「ちかこ」「ちあき」というネーミングは紛らわしいので避けたほうがいいが、会員たちの言いやすさを優先し普段とおりの呼び方にした。

自分の中にない言葉や視点は、生徒たちがもたらした。

「夕方になるとグランドは海の匂いがする」は稽古終わっての帰路で実際にちかこが呟いた言葉。普段は目に見えなくても、自分の居場所が海と繋がっていることを想起させる大事な言葉になった。

再再演時には、級長役の絢子(翔子、涼子と変遷)が、「グラウンドにいるみんなにエールをおくる」ことを稽古中に提案。この居場所(教室)と外(グラウンド)との隔絶感が際立つ大事なシーンになった。

ちかこの最後の台詞。なかなか書けなくて、ちかこ本人とアイデアを出し合ったが、二人とも納得できるものが出てこない。当日本番直前にやっと決まった。これは、物語の最後の言葉でもある。物語の着地点が見えた気がした。何気ない言葉ではあるが、作品全体を象徴する言葉。観客の皆様にはぜひ上演会場で確かめていただきたい。

劇伴や効果音は使わないと決めていた。演技の延長としての生演奏はあり。観客が言葉に耳を澄ませられるために。苦労して作った効果音が場面や物語から浮くことも、頑張って選曲したかっこいい音楽が劇を壊すこともある。舞台上に生き、語り合う言葉が、音楽以上に音楽になるのが演劇の醍醐味。

大道具は作らない、凝らない。身の回りにある物を使うことにした。背景は建て込まず、「机と椅子」だけでいく。

幸いなことに、「学校の机と椅子」は、優れた舞台道具。学校には当たり前にあるが、学校以外の場所で見かけることは稀。これを何組か舞台に置くだけで、教室を表現できる。努力して、教室のセットを組んでも、不出来だとリアルさを損なう。観客の想像力を信頼して、必要なものだけを舞台に置くことにした。逆に言うと、舞台に置かれた物は、すべて意味を持ってしまう。存在感がある。ならば、「机と椅子」が活躍する物語を作ろう。「机と椅子が人と共に徐々に消え、最後は空っぽの教室になる」という物語の線が出来上がった。脚本を読んだ同僚に聞かれた。空っぽの教室は、喪失感のメタファーなのか?そんな説明しやすい一筋のものではない。何かが無くなっていくことの喪失感、空虚感や切なさだけでなく、何もないことの豊かさをイメージしていた。(今回、弦巻さんと皆様がつくられたPVでも、この「机と椅子」は活躍し、印象深い。大いに共感しました。)

照明も出来るだけシンプルにする。舞台上に机と椅子が数組まばらに置かれ、背景幕(ホリゾント)に、澄んだ青の照明を入れた。「青空教室」のイメージ。70数年前の沖縄戦。鉄の暴風にさらされ廃墟と化した戦後の沖縄で教育が再開された時、教室もなかったので青空の下で、焼け残った道具類を駆使して学校を始めた時の記憶。そのイメージ。

「出停記念日」初演の2001年は、米国では同時多発テロがあった。高層ビルが倒壊し廃墟になった場所に人が集まり、アメイジンググレースを歌う光景をブラウン管を通して見た。目の前にある悲しみや喪失感。いつか更地になるその場に、青空教室を重ねていた。

人を描くこと。人とは、物語に貢献し面白くする要員ではなく、リアルタイムで身に降りかかったシチュエーションを生き、何かを発見し考える人を描きたい。

演劇は総合芸術で、様々な芸能、芸術の要素が入った芸能の王と言われることがある。しかし、そぎ落として行くと、人を描くその表現の核心は、言葉と人との出会いの中に集約されそう。シンプルな装置、音響、照明でも、自分たちの表現したいものを、十分に表現できる。そんな確信を得た。あれもこれもではない。豪華な幕の内弁当ではなく、極上のタン塩ひとつ。それを目指す。

初演の舞台は、2001年11月8日の高校演劇の県大会。これは、関係者以外の観劇はない。翌2002年1月11日の自主公演が事実上の初演。

そのエンディングは、現在の脚本とも、今回の上演とも異なる。舞台にぽつんと残された机と椅子。その傍らで友人のためにバイオリンを弾くちかこ。ホリゾントの青を残したまま、地明かりをゆっくり落とすと、澄んだ青をバックに、シルエットになって浮かび上がる。こんな美しいエンディングは、二度と作れないかもしれないと思った。

島元 要


公演情報

ティザー映像


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