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【文字起こし】松岡和子さんとアフタートーク|2022年3月27日『ペリクリーズ』

2022年3月、弦巻楽団演技講座の3学期発表公演「舞台に立つ」として上演した『ペリクリーズ』の終演後に、翻訳家の松岡和子さんをゲストに迎えたアフタートークを開催しました。

この度、より多くの方に本企画を知っていただくべく、松岡さんよりアフタートークの内容を公表させていただくことをお許しいただきました。
ぜひご一読ください。


第一歩は、言葉を信じること

弦巻 それではアフタートークを始めます。ゲストは、翻訳家の松岡和子さんです!

松岡 (出演者に拍手をしながら)あの、言っちゃ悪いけど、皆さん名演ではないんですよ。でもね、泣いちゃいました。本当に素晴らしかった。言葉を信じてセリフを喋るというのが、お芝居の中で一番大事なことなんだと教えてもらった気がする。ありがとうございます。

弦巻 ありがとうございます。

松岡 本当に私、我ながらまさか泣くと思わなかったです。これがシェイクスピアなのよね。自分で翻訳しているから当然ストーリーも全部わかっているし、そもそも『ペリクリーズ』は蜷川演出の上演のために訳したので稽古も何度も見ているし、蜷川さんのシェイクスピアの中でも傑作と誉れ高いから、この作品がどういうものかはよくよく知っているんです。でも、知っていても、やっぱり驚いて、その言葉に動かされて、泣いちゃうんだよね。

弦巻 ありがとうございます。これまでも演技講座では、2014年からほぼ毎年、松岡さんの翻訳でシェイクスピアの作品にチャレンジさせていただいてきました。かなり恣意的に作品は選んでいて、これまでは悲劇、問題劇といわれる『コリオレイナス』や『ヘンリー六世(第二部)』、2年前は『リチャード二世』など、政治色の強い作品を選んできました。

というのも、2014年に『夏の夜の夢』をリーディングで上演したのですが、ハッピーなオーラのあるシェイクスピアの作品ってとても難しくて。そのフィーリングが立ち上げるのが大変だった。なので、これまでは陰惨というか、

松岡 どっちかっていうと悲劇的な、

弦巻 そうです。そういう作品にトライしていたんですけど、今回の『ペリクリーズ』は荒唐無稽で、話がどんどん展開していくタイプの作品でした。

松岡 この作品そのものが長い歳月を圧縮して描かれています。弦巻楽団版では結構みなさん早口でバンバン喋っていて、「早回しペリクリーズ」っていう感じがしたんだけど、それがむしろプラスに働いた。そういう方法をお選びになったんだな、と。つまり、シェイクスピアがその水路を作っているので、それに沿ってやっているから絶対間違った方向にはいかない。

それと、観客の皆さんも耳に残っていると思うんですけど、「想像力を働かせてください、想像力を働かせてください」とガワーがしきりに言う。想像力を働かせるための一つの方法が「見立て」なんですよね。船とそこに乗り組んでいる人がいて、それが大嵐にあってみんな溺れ死ぬという一連を、動きで見せていくという、その「見立て」が、こういう荒唐無稽な物語だとすごく活きる。

『ペリクリーズ』2022年3月@シアターZOO

松岡 それと、最初のアンタイオケの王様が示した謎を解けないことを口実に首をちょんぎられるシーン。ずらっと生首の人形が出てきた演出は傑作だった!あれは、「私たちはこれから抜け抜けと荒唐無稽なことをやりますよ」という宣言なんですよ。

弦巻 そうなんです。

松岡 それやられると、「わかった、リアリズムじゃないのね。私たちもついていきます」ってなるから、早々とああいう演出で抜け抜けとやるのがすごく効いている。考えてみたら、(舞台装置は)この箱だけですよね。これだけで16年くらいの歳月と、海と陸と王宮と、それから女郎屋とを全部表すわけだから、お客さんの想像力がなかったらやってられない作品になっているんですよ。お芝居ってこういうものだと、上手いとかヘタとか以前に、「何かに扮して、何かを描いて、それを届ける」というその一点に絞っているということにね、泣かされたんだよなあ。

弦巻 ありがとうございます。

『ペリクリーズ』2022年3月@シアターZOO

松岡 弦巻さんがずっと私の翻訳を使ってくださっているのはありがたいって思ってましたし、でも作品を劇場で拝見する機会がなく、今まではYouTubeで見させていただくだけだったんですね。正式な弦巻楽団の舞台ではなくて、演技講座、しかも3学期でって、何のこっちゃいって感じだったんです。

弦巻 あははは、そうですよね。

松岡 でも、今日ここで初めて体験させていただいて、なるほどなって思った。出演者の中には、多分演技経験がある方もいらっしゃれば、そうでない方もいらっしゃるんだと思うんですけど、そこが違和感がなく作られているんでよね。
私は、変に感情移入して名優ぶって演じているよりは、こういう風なのがよっぽど良いって信念を持っているんですけど、その信念の証明をしていただいたような気がするんです。

弦巻 嬉しいです。

松岡 まず第一歩は、言葉を信じること。変にもったいぶったり、悲しいシーンだからといってまず悲しみを作っちゃうとかしないで、「悲しい」って書いてあったら「悲しい」って言う。言ったら悲しみがあとから自分の中に湧いてくる。その方が、少なくともシェイクスピアをやるときは絶対正しい方法なんですよね。

弦巻 そう思います。

松岡 みんな一人一人がそれを証明してくれました。

弦巻 本当ですか…!俺が泣いちゃいそう。いいかい、みんな!俺が言ったんじゃないんだよ、松岡さんが言ったんだからね!

講座生 (笑)

松岡 もちろん、この段階を過ぎるとやっぱり上手さっていうのはあるし、演技力っていうのがあるから、次の段階としてそれを目指そうとか、そこに向かって一歩でも二歩でもとお思いになるのかもしれないけど、最初っからそれやっちゃダメなんです。絶対にダメなんです。

弦巻 だからこそ、演技講座ではシェイクスピアの作品でやらせていただいているところがあって。

松岡 そうなのね。YouTubeを見て思ったのは、だいたい1時間半とかすごく短くされていたので、ばっさりカットしているのかと思ったら、そうじゃなくて、早口で全部言っちゃうっていうのがね。

弦巻 そうなんです、細かくはカットしているんですけど、シーン丸々無しとかはほぼ無い感じです。

『ペリクリーズ』2022年3月@シアターZOO

松岡 私が訳していてすごく好きなセリフがあって、ライシマカスに向かって、マリーナが「鳥になりたい」っていうところ。(講座生に)ちょっともう一回言ってみてくれる?

マリーナ 私は純潔です。むごい運命のせいでこんな汚れた所におりますけれど。ここでは薬よりも高い値段で病気が売られている——ああ、神々が私を鳥に変えてこの罪深い場所から解き放ってくださったら!一番いやしい鳥でもかまいません、澄みわたった空へ飛んでゆきたい。

シェイクスピア『ペリクリーズ』松岡和子(訳)2003年、筑摩書房、146ページ

松岡 なぜだかわからないんだけど、すごく私はこのセリフが好きで。今日聞いていて、自分はこれが好きだったなってことを思い出しました。

あと、やっぱりなんと言ってもペリクリーズが、マリーナが自分の娘だとわかるあの瞬間。シェイクスピアの最晩年には、後の人々がロマンス劇と名づけた4つの作品があって、その第一作が『ペリクリーズ』なんですけれど、4つのロマンス劇に共通しているのが、登場人物が本当に不幸な目にあうことです。そして、それと同時に——それが荒唐無稽の一つの表れなんですけど——超自然な現象が起こる。このお芝居で言うと、女神ダイアナが夢に現れてお告げして、その通りに行動したら死んだはずの家族と再会できたという。

やっぱり人間の究極の願望は、「死んじゃった人にもう一回会いたい」だと思うんですね。心残りだし、一言ありがとうって言うだけでいいから、ごめんねって言えるだけの瞬間でいいから生き返ってほしいというのが、人間の究極の願望じゃないかと思う。シェイクスピアのロマンス劇とか、『十二夜』みたいなお芝居の中では、それが実現するんですよね。

ペリクリーズは、妻・タイーサも娘・マリーナも死んだと思っているんだけど、実は死んでいないことをお客さんは知っている。ペリクリーズはマリーナのお墓までお参りしているわけだから、彼にとっては、生きていた人と再会したのではなくて、死んじゃった妻と娘が、なぜか知らないけど蘇ったんです。

所詮お芝居ですよ。でも、人間の究極の願望が、作品の中で実現する。私は、これが、特にロマンス劇の一番大きな力じゃないかと思う。

だから、さっきも私泣いちゃったんです。ストーリーや展開は知っているんですけれど、でもやっぱりその瞬間になると、「ああこの人にとって、死者が蘇ったんだ」と。あの瞬間が本当に彼(ペリクリーズ役=井上嵩之)良かったと思うし、泣いちゃうんですよね。

弦巻 ありがとうございます。少しカッコつけた言葉なんですが、僕はお芝居って「何かを召喚する儀式」みたいなものだと思っているんです。演技講座で最初に取り組んだ『夏の夜の夢』の時から、少しは台本のカットもするんですけど、「句読点とかはちゃんとその通りに言いましょう」とか「感情込めるよりも、相手にメッセージを伝えましょう。自分の気分の発露じゃなくて(それは後からついてくるんだけれど)、思考や意図や理論を相手に渡すようにしましょう。これは全部のセリフでひとつの長い呪文だから」っていう言い方をしていて。

楽団日記「長い呪文の詠唱なのだ」2014年3月23日
「感情を込め」ようとしてる人を見ると、その人は相手に、状況に何かを伝えようとしてるのではなく、自分の(頭の中の)幻想に向かって話してるように感じます。そこにいる人ではなく、頭の中のドラマに浸っている、そんな感じです。「そこにいる人」を見ていない、その瞬間、その役者は「そこにいる」状態ではなくなってしまう。
「そこにいない」のだから、劇空間はもちろん現れず、「物語」は立ち上がってきません。
そういうことなのかな、と思います。

卵が先か鶏が先か、みたいな話ですが、「自分から」は出来ないのだと思います。
相手役と言葉をかけて、かけて、言葉が巡っていくうちに「舞台上で」産まれた感情以外、何かを持ち込んではいけないんだと思います。それは、全員で長い呪文を唱えてるような気分でした。それでも、本番含めた2週間に幾度か、その瞬間が降りてくることがありました。

全文はこちら→(旧)楽団日記

弦巻 長い呪文全部を、丁寧に辿っていこう。この方針を信じてやってきました。荒唐無稽な展開なんだけど、その荒唐無稽さを欲してしまう、願ってしまうほどの必然、絶望、死の痛みがちゃんと届いていないと、「この結末でよかった」とならないと思って。それをお客さんと共有するにはどうしたら良いか考えた結果、自分の内側に起きた感情だけに共感させようとするんじゃなくて、

松岡 それはその人だけの小さなものだからね、

弦巻 そうです。舞台上で人々が交流する中で、そういう「磁場」が立ち上がってくるように、と考えてやってきました。それを少しでも感じていただけたならとても嬉しいです。

弦巻楽団と演技講座

松岡 弦巻劇団じゃなくて、「楽団」と名づけたのはどうしてなんですか。

弦巻 ちゃんと話すのは恥ずかしいんですけど、「楽団」は、大人数でも少人数でも名乗れる言葉だし、僕は音楽を聴くのがすごい好きで、でも自分で音楽を演奏するのは全然できなくて——今回の作品では取り入れなかったんですけど、2018年の『ハムレット』とかだと、みんなで一斉にガチャガチャ音を鳴らしながらひとつの音楽にしていく、みたいなことをやったりしました。音を発すれば、それだけで音楽の一部になれるという音楽に憧れがあって、演劇でそういうことができたらなって思ってこういう取り組みをしています。

弦巻 演技講座のメンバーには、演技未経験の人もいれば、豊富な経験があって、その中でも、色んなジャンルのお芝居に取り組んできたり、演技の流派も違ったりする人もいます。このメンバーで、松岡さんの言葉を介して、何かポジティブな場を作れたらと思ってやっています。

もちろん、劇団の本公演としても取り組みたいと思っているんですけど、色んな人が集まるこの場で取り組んでいくことに、意義・価値を感じていて。

松岡 自由になれるのかもしれないですね。本公演じゃないから緩いって意味ではなくて、いらない緊張をしないで済むのかもしれない。

『ペリクリーズ』2022年3月@シアターZOO

松岡 今日はこのブレヒト幕がすごくうまく使われていました。これだけ場面が変わるお芝居だと、いちいち転換をやっていられないから、これがすごい有効でしたね。

弦巻 『ペリクリーズ』のセリフ自体が、ブレヒトみたいに先にネタバラシするみたいなところがあるので、そこから連想しました。「彼は苦境を乗り越えます」とか先にガワーが言っちゃうし。

松岡 すごく効果的だと思いました。

弦巻 ありがとうございます。あの幕はガワー(佐藤寧珠)が描いたんです。

佐藤 みんなで描きました!

弦巻 そうだね、ベースのデザインをガワーがやってくれた。

松岡 素敵だった。場面を「めくり」で表したのも、幕の和風な感じと連動していて良かった。

弦巻 僕はビビリで、「それ本当に大丈夫?」って思っちゃうんですけど、みんなでアイデア出し合って、「やっちゃいましょう」みたいな感じでどんどんみんなで考えてくれて。それで僕も「よしやろう、よしやろう」と。

松岡 いや〜、来てよかった!!

弦巻 よかった!この時期に札幌まで来ていただくことに対する責任がすごくあったので。ありがとうございます。

松岡 ありがとうございます、本当に、こちらこそ。

蜷川幸雄とペリクリーズ

弦巻 せっかくですので、お客様から松岡さんにご質問はございませんか?

観客 松岡さんの翻訳は、現在の私たちにとってすごくわかりやすく読みやすく感じます。シェイクスピアの戯曲ってすごい難しいものだと思っていたんですけど、そういう思い込みを取っ払ってくれたような気がしていて。

松岡 それは一番嬉しいですね。蜷川さんに鍛えられたことは、「聞いてわかる翻訳であること」。これに尽きるんですよね。やっぱり難しい言い回しはあるんですけど、舞台を観ていて「今のわからなかったからお家帰って調べよう」はアウトじゃないですか。「わからない」と立ち止まってると舞台は流れていっちゃうから。

だから、もしわかりやすいと言ってくださるとしたら、蜷川さんから、「聞いてすぐにわかる言葉にしなきゃダメだよ」と叩き込まれたのが良かったのかな。

それで言うと、打ち明けますけど、蜷川さんから褒められたことってずっとなかったんですね。でも、蜷川さんの最後の大傑作『リチャード二世』(2015年)のパンフレットの中で、「僕の演出が、松岡さんの翻訳を傷つけないことを祈るばかりです」って言ってくださったんです。私家帰って泣いちゃいました。

実は『ペリクリーズ』はね、初めて蜷川さんから「この翻訳良くないよ」って言われたの。「小田島さんの方が良いよ」って、そこまで言ったの。稽古が始まる前にわざわざ呼び出されたんですよ。私はまだその頃は怖いもの知らずでしたから、「どこが!?」って言い返しました。そしたら、「ここだよ!」って言って、私の勢いに飲まれたのかもしれないですけど、どこか適当な所を指した。見ても別にそんなに私の訳が劣っているとも思えなかった。結果として、ただの一言一句変更しませんでした。私も鼻っぱしが強かったんだと思うんだけど。

でもね、今になってわかるの、なぜ蜷川さんがああいうこと言ったか。蜷川さんの『ペリクリーズ』は、イギリスの演出家=トレバー・ナンが中心となって、全世界の超一流の演出家にシェイクスピア劇を発注して、それをロンドンで上演するという大イベントの中での上演でした。蜷川さんももちろん選ばれて、振られたのが『ペリクリーズ』だったんです。読んでみたら、『ハムレット』とか『マクベス』とかに比べると、はっきり言って傑作と言えるものではない。多分蜷川さんも、喧嘩売られたみたいな気持ちが——こっから私の妄想ですよ、そうだって蜷川さんに確かめたわけじゃないけれど——「これを俺にやらせるつもりなのか」と、すごく不安にもなったんじゃないかと思うんですね。シェイクスピア劇の世界的なイベントですから、やっぱり勝たなきゃいけないじゃない、世界のニナガワとして。でもこれがきたか、と。それで、多分私に八つ当たりしたんだと思う。

やっぱり蜷川さんは海外公演をするとき、いつもイライラしてるんですよね。ちゃんと評価されるかどうかって。でもね、結果として、ロンドンの『ペリクリーズ』は伝説的な舞台になった。蜷川さんの『ペリクリーズ』をもう一度やってくれっていったって、ペリクリーズを内野聖陽、タイーサとマリーナが田中裕子、女郎屋のおかみを白石加代子、亭主を瑳川哲朗、ライシマカスを市村正親がやって、ってすごいキャストで、もう一回なんて出来っこないんですよ。それで、今もなお伝説の舞台として残っていて。演出家のフィリップ・ブリーンさんが、蜷川さんの『ペリクリーズ』を観てらして、「あれ観たらペリクリーズの演出できない」って言ってた。

弦巻 こわいですね、観るの。

松岡 現代の旅役者たちが廃墟にやってきて、壊れた水道から垂れている水を飲んで、『ペリクリーズ』を演じるという枠を作った。外枠も悲惨、中身も悲惨、その中で死んだ人が生き返るという強烈な希望がなおなお立ち上がってきて……。

この作品の持つその強さを、今日はもう一度確認させていただきました。本当にありがとうございます。

弦巻 ありがとうございます、ありがとうございます。まだまだお話聞きたいことはあるんですけれど、お時間もありますので、アフタートークはこれで終了させていただきます。ありがとうございました!松岡和子さんでした!

講座生 ありがとうございました!


松岡さんの愛あふれるお言葉を胸に、これからも取り組んでまいります。

松岡さん、ありがとうございました!!

お問い合わせ
一般社団法人劇団弦巻楽団
tsurumakigakudan@yahoo.co.jp


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