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おもしろい≠コミュニケーション能力

おもしろい先生は人気があるけど

学校の先生や、習い事の先生。
人気のある先生の典型が「おもしろい」。

おもしろいと、人気が出る。

ただ、おもしろい先生ほど、面倒くさいと思っている子がいることに気づいていないことが多い。

かつて僕自身が「おもしろい」至上主義だった。

おもしろければみんなと仲良くなれる。すべて許される。
そんなふうに思っていた。

子どもたちに歌や芝居で指導してきた先生の経験もある。

実際におもしろいと慕われた。

でも、一部、距離をとっている子もいた。

合わないんだな・・・

それで済ませていた。

「元気出せー」「大丈夫だよー」

根拠もなく励ますことばも、きっと面倒くさかったんだろうな。
ある男の子を泣かせてしまったこともある。

え?なんで泣いてんのよ?

理解もできない3流の大人だったことを振り返る。

大人同士のコミュニケーションでも同じことが言える

年配の方と地域興しの企画に参加したときも明るく元気にジョークを言って存在をアピールしていた節がある。
今、振り返れば失礼極まりない態度だった。明るければ礼儀もいらないとさえ勘違いしていたこともあった。

明るくはつらつとしていると、知らず識らずに枠から追い出している人がいる。そのことを早めに気づいたほうがいい。

別に面白いキャラクターが上位階級なわけではない。

その価値観は高校生で終わる。確実に終わる。「おもしろい」でマウントはとれなくなる。

コミュニケーション能力とはこういうこと

すべての人に思いやりを持って、その時その時、その人にフィットした自分を出せる人こそがコミュニケーション能力の高い人だ。

過去を振り返っても「おもしろい」と慕われたいた教師ほど稚拙だったと思う。落ち着いていて、場の空気を読んで、多様性を重んじて、その時その時に合った自分を出せる「引き出し」の多い人。

そうなってほしい。

「おもしろい」至上主義で僕は間違いを繰り返していた。

もちろん、時として「おもしろい」はコミュニケーションを円滑にするし、その場の空気を明るくする。

言いたいことは「おもしろい」は上に挙げた「引き出しの中の一つ」でしかないということ。

「おもしろい」コーチに傷ついた我が子の心を包んでくれたのは、思いやりのあるやさしい担任の先生でした。
こういうタイミングでこういう方に巡り会えるんだな…人生は。


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