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感動と余韻を3日で終わらせない子が次のオリンピック選手なのだろう

オリンピック漬けでした?

オリンピック漬けの日々が終わった。

オリンピック容認派と反対派が錯綜するなかで、ツイートは避けていました。仲の良い友人知人も真っ二つに別れていたので、波風立てずに過ごそうと思っていたからです。

自分の立ち位置を明確にしない時点で凡人である。
そんなことはわかっている。

スポーツ観戦症という「麻薬」がある?

スポーツ観戦が趣味の人は人生の多大な時間を他人の人生の追体験に使ってしまう。

僕自身がそういう嗜好がある。
ある意味これはスポーツ観戦症という麻薬のようなものだ。
自分自身、そろそろ度が過ぎていると反省し始めた。

これだけのスポーツを見ている

Jリーグはもっぱら湘南ベルマーレのファンでスタジアムにも行くし、行けないときはDAZNでフルタイム観戦する。
リーグ戦の順位が気になるので拮抗しているチームの試合も片っ端から見てしまう。拮抗していなくてもダイジェスト版ですべての試合は見る。

F1はもう30年以上全GP見続けている。
DAZNで見るようになると、F1のひとつ下のカテゴリーF2を見出し、終いにはF3まで見始めてしまった。

甲子園大会が始まれば高校野球を見る。

元バレー部なだけにワールドカップバレーも男女すべて見る。
どんな競技でも世界戦は見たい。

とにかく多大な時間を他人が頑張る姿を見ることに使ってしまう。

そろそろ自分に言いたいこと

応援女

お前が頑張れよ

ということ。

スポーツを見ると、追体験をしてしまい、充実感が半端ない。
いやぁ~~~見たぜぇ~~~

そうだ、見ただけなのだ。
社会になにか影響を与えたか?影響を与えたのはビールとつまみで少しだけ経済を回しただけだ。

しょぼいだけでなく、自分に投資する時間がどんどん失われている。

これはいよいよまずいぞということであります。

スポーツ観戦にハマりすぎるな

そんな悩みを抱えているとき、思い出したことがある。

受験生のとき、Jリーグが開幕した。
浪人生のときにドーハの悲劇があった。

当時は横浜市民で横浜マリノスを応援していた。
当然、前後半見ると90分はテレビの前。受験生にとっての90分は大きすぎた。

それでも見たいという衝動は収まらない。
当時、僕は代々木ゼミナールに通っていて、予備校の湯浅先生という国語の先生にくっついていた。授業の後は一緒に御飯をごちそうになったりする信者だった。先生は鹿島アントラーズファンで、当時のストライカー、アルシンドが自分の髪型と同じということで彼の大ファンだった。

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その先生が言った一言。

後半だけ見なさい

そんな殺生なーと思ったが、こう付け加えた。

前半は選手が頑張ってるんだから自分も頑張るんだ。
そして、後半から一緒に戦うんだ。

なるほど。

シンプルな提案だったけど妙に腑に落ちた。

それから僕はサッカーを後半から見ることにした。
ドーハの悲劇も後半だけ見た。

当然、ドーハの悲劇の後は放心状態になったけど、すぐに立ち直って勉強を始めた。

この助言もあったせいで高3で30台だった僕の偏差値は60台にあがり、出身校からは当時トップの大学に入ることができた。

何事も too much は良くないことだ。

頑張ったのはオリンピック選手だ。
自分ではない。

次は自分だと思うことに意味がある。

そして、だいたいこの思いは3日で終わる。
感動と余韻を3日で終わらせないような子どもが次のオリンピック選手になるんだろう。

皆さんもこの感動を3日で終わらせないように、選手の頑張りを自分の力に変えて、より良い未来をともに!

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