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私的なnoteです。
タイトルは今日という日にこめてだけど、偶然にも、平成という時代に向けた別れの挨拶ではないのです。でも、ちゃんと書き留めておきたい、ひとつの別れの日でした。平成31年4月30日は一生忘れられない日となりました。それは大事な友人の葬儀の日だったから。

だったから、というのは今まさにそれを終えて家に帰って、とるものとりあえず、喪服を脱いで買ってきたおにぎりをおなかに放り込み、何かのドラマで安田成美が言っていた「大事な人が死んだってこういうときにも、おなかはすくものなのね」という台詞を思い出しているところです。

わたしより若い友人でした。謙虚でやさしくて、どんなに褒めても「そんなことないよぅ」と笑いながら否定し、それでいてどんな目に遭っても人を悪く言うことのない人でした。わたしは多少それが歯がゆいときがあって、「それで悔しくないの」なんて責めてしまうことも何回かあり。でもそんなときもわたしに怒るでもなく、変わらずやさしく笑う子でした。ああ、過去形で書かねばならないのが本当に悔しくてたまらないです。

そして、告別式では友人の同期の子達が弔辞に立ったのですが、みな同じことを彼女に涙ながらに告げていました。「あなたはそんなにいうと“そんなことないよぅ”と言うだろうけど、あなたほど優しい人はいなかった」と。

あぁ、やっぱり、そうだったんだ。そのときわたしの目からは涙がどわぁと出てきてしまって、止まりませんでした。一緒に参列した夫(夫婦そろって交流があったので)は「あの子の声が聞えたみたいだったよね“そんなことないよぅ”って、あの声が」と雨の中の帰路、ポツリと言いました。

わたしは、頷くことしかできず、あとはひとり(夫は会社にトンボ帰りだったのです)電車に揺られながら、神様の残酷さと、あんなに怒らねば良かった、せめてもう一回会いたかったなぁ…という想いを抱えるばかりで、今現在に至ります。

種を沢山蒔いてくれた子だったとも思います。わたしがいまこういったハンドメイド変態ぶりを発揮しているのも、ギャラリーをやっているのも、彼女の存在の影響はとても大きいです。たぶん、それもあまたの人にとってそうだったのだろうと想像します。彼女自体も才能豊かな子でしたが、それが、そしてわたしをはじめとした他の人にも蒔いてくれた「種」が「花」となり咲き誇る様を、一緒に「きれいだねぇ」と見ることがもう出来ないのが、何より悔しく心残りでなりません。

同時にそう思うとき、彼女の蒔いてくれた種をそっと、じっくりと、育てていくこと、それが遺されたわたしたちのこれからの生き様なのではと思わざるを得ません。
彼女が生きてる間に振りまいてくれた優しさをも含めて、それをかみしめて、せめて自分もそうありたいと念じ(出来る自信は正直無いのですが、念じたいとは思うのです)、明日からの人生を踏みしめていく。日々を大事に生きていこうと誓う。

それでしか、彼女の遺してくれたものに感謝の念を注ぐ手段はないのだなと。そのために出逢い、早くして別れたのだと。だから、わたしは明日から、敢えて言うなら令和という新時代を、きちんと生きようと思います。わたしにとっては、そのための平成であったようなものです。

「ありがとう、ありがとう、わたしちゃんと生きるよ。今日一日は泣くかもだけど、明日からはちゃんと生きる。だから、虹の向こうで安らかに過ごしてね。そっちにいつかわたしも行くから、そのときは“よっ先輩”って挨拶するから。そしたらあなたはきっと“そんなことないよぅ”と笑って出迎えてね。その日までさようなら。ありがとう。愛してるよ」。

…今思うことはそんな想いです。命はリレーだなと思います。彼女の命のバトンは、いま、ちゃんと、わたしの手にあるのです。きっと、わたし以外の親しかった人の手にもたしかに、あるのでしょう。

しっかり生きて、わたしも、他の誰かに命のバトンを渡せるようにします。そして、いつの日か、やさしい彼女の元に逝くことができますよう。

いろいろがんばって日々の濁流の中生きてます。その流れの只中で、ときに手を伸ばし摑まり、一息つける川辺の石にあなたがなってくれたら、これ以上嬉しいことはございません。