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その世界はうつくしいか 迷う友人へのわたしの手紙の話

…なんだかまた、連載が途切れるのですが、今何かに迷うひとがいたら、もしかしたら役に立つ、かもれないとあるエピソードを綴ります。ここのところ、いろんなことが続き、統合失調症の調子もすこぶる悪いので、自分の指針を見直すことを兼ねて、ね。

その友人からのメールは唐突でした。ハンドメイド作家として尊敬し、また人としても尊敬している友人が、そんなことで悩んでるとは思いもしなかった…というのは嘘で、なんとなくその直近の様子からもしかしたらなぁと思ってはいたのです。でもそこまで真剣に悩んでいて、わたしに相談してくる程とは意外でしかなく。

その相談とは「ハンドメイド作家としての活動を今後どうするべきか悩んでいる」という内容でした。続けるべきか、やめたほうがいいのか忖度のない意見を、と。
…ハンドメイド変態すぎるわたしは、コンサルタントでもなんでもないのにそういった相談を受けることがここのところ結構あります。
(なかでは有料でもかまわないので、という方もいらっしゃるのですが、そういうときはまぁお茶でもしようよ、できたら奢ってほしいけど、ちょっと高いケーキここぞとばかりに食べても許してね、ということにしています)でもちょっとその友人とはお茶でもというのは叶わなかったので手紙を書くことにしました。

それを書くにあたり、わたしも自問自答したのです。なんで金銭難に何度も陥りながらもハンドメイド変態なのかと。さらには変態が高じて企画展やらハンドメイドライターやらギャラリーやら、やっているのかと。

そこで出た答えは「ハンドメイドは、わたしの人生を豊かに、うつくしくしてくれているから」でした。ここまでの連載を読んでくださってる方には腑に落ちると思うのですが、失意の離婚、人生のどん底にいたわたしを、いまの第二の人生に導いてくれたのは、ほかでもない、ハンドメイドの世界とその周辺のひとたちでした。ハンドメイドは文字通りわたしの人生を照らしてくれたのです。今も照らしてくれているのです。

そこで、わたしは汚い字で綴った手書きの友人宛の手紙をポストに投函しました。このようなことを書いて。
「ハンドメイドを通じて見た、あなたの「世界」は、ひいては「人生」はうつくしいですか?愛しいですか?」と。そこから決めればよいと。ハンドメイドが好きか、ではなく、ハンドメイドが周囲の世界や自身の人生を、うつくしく豊かにしてくれているか、これからもそうでありそうか。それで決めたらいいんじゃないか、と。

…それ以降、わたしも何かに迷う時は、そのこと自体が好きか嫌いか、ではなく、それがいかに自分の人生に作用しているか、自分の世界をうつくしくてくれているか否か、うつくしくしてくれてるとしたら、今後もそうであるか、を考えて決めています。…何事にも当てはまると思うんです。そのことの自分にとっての価値を判断するのは、それが、自分の世界にどう作用しているか。それがもし暗い影を落としているのなら、思い切って一度手放してみて、世界・人生がどう変化するかを確かめてみてもいい。で、やっぱり「あ、この人生はうつくしくないな、豊かじゃないな」と思ったら、またそれに戻ってもいいし、新しいことを始めてもいい。

これの基準はわたしにとって、なかなか得難い視座となってくれています。友人の問いがなければ気づけないことでもありました。だから、その友人には感謝しきりです。(この場を借りて、ありがとう)。

…とか偉そうなことを書きつつも、いまわたしも先に書いたように統合失調症がだいぶよろしくなく、薬でなんとか生きている状態でして、こんなんで企画展とかできんのか、続けられるのか、うおー!!といった気持ちのなか絶賛悶絶中です。でも、いまのところ、それでも、苦しくても、ハンドメイドを通じてみたわたしの人生はうつくしい。ハンドメイドはわたしの世界を豊かにしてくれている。だから、悶絶しつつも、じっくりハンドメイド変態の道をやはり極めたいと思う次第です。

さて、また次は連載に戻れるかしら。
でもnoteをはじめて一か月経ちましたが、ハンドメイド変態への道を連載しつつも、間間にこうやって閑話休題を挟んでいくスタイルがあってるなーと感じてます。なので、閑話休題がよっぽどわたしの主題からズレない限り、これでいいのかなと思ってます。で、今のところの閑話休題は、ズレてないと思っているのですが、どうですかね?


いろいろがんばって日々の濁流の中生きてます。その流れの只中で、ときに手を伸ばし摑まり、一息つける川辺の石にあなたがなってくれたら、これ以上嬉しいことはございません。