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メモリーに

フランスへ

毎月送られてくる手紙を読んで、僕自身何かを感じたのか、どうしても会いに行かなくてはいけない気がしてフランスに。
パリとは違って、ひまわり畑やラベンダー畑で有名なちょっと文明とは離れた田舎街へ。
もちろんしっかり検査を受けて隔離期間を設けて「入っていいよ」とお墨付きをもらってから。
ただ今の状況では、アジア人だからという理由のみで攻撃をしてくる人もいるので、なるべくアジア人と思われない様に金髪に染めるなど準備も抜かりなく。
社会人になって髪を染めるって、日本ではなかなか難しく、下手なレッテルを張られがちだけど、ここは外国。
何の違和感を持たれる事も無いので、そこは自由な環境で良かったと思う。

ただ、髪色などの偏見とか日本は多いけど、良い所もある。
外国みたいにアジア人だからといって、無意味な攻撃をしない。
お店の接客とか、礼儀正しい日本という国の良さも分かるし、外国に住んでると、母国に対して色々な発見を感じられるので面白い。

海外の一人称は大体が「I」みたいに一つのみだけど、日本は色々と種類があったりするし、外国の友達から「自分の事を日本語では何と言う?」と聞かれると、私だと友達同士ではおかしいし、俺だと公や上司相手に失礼にあたる。
全般通して無難に使えるのは「僕」だろう。
というわけで「僕」と教えていくと、外国人仲間同士でそれが広がり、いつの間にか自分も「俺」から「僕」を使う様になり、今では「俺」と言うと何でか恥ずかしさや違和感を覚えるまでになるという。

しかし、改めて日本語の難しさも感じている。
本当に日本語は難しいので、こうやって長文の文章をたまに書くのも、日本語を忘れない為には必要な事で、自分の中ではLessonの様な感じなのかもしれない。

ジャパニメーション

とある田舎街に行く途中に、パリに寄ってみたけど、フランスでも「鬼滅の刃」が人気だそうで、映画も絶賛上映中。
ポスターに「De ta lame,Pourfends Le Cauchemar.」なんて一文があって、ふと「De ta lame・・・デタラメ?」となったが、ここはフランス。
英語出来る人がいたので意味を聞くと、「あなたの刃に」という意味で、全文は「お前の刀で悪夢を断ち切ったりなさい!」という事を言ってるんだそうな。
ぜんぜん「デタラメ」の意味と違って、なんか安心したというか面白いというか。

でも映画館が営業再開されるってのは、どの国でも良いニュース。
フランスの人も心の中で「煉獄さ〜ん」と泣いてる人が続出してるそうで、やはりジャパニメーションは偉大だ。

ジャパニメーションといえば、日本のアニメ。
日本のアニメというか漫画で、「進撃の巨人」が遂に最終話を迎えた。
僕としては、登場人物のライナーには心から報われて欲しいと思っていたのだが、最後の最後でちょっと気持ち悪い感じの事を言っていて、「なんだかな~」となる。
それでも少し報われたとすればよかった。

物語冒頭にある「いってらっしゃいエレン」という大人風なミカサの台詞。
その意味が何なのか?最後まで謎だったけど、最後の最後で何となく意味が繋がり「そういう事だったのか」という感動も覚えた。
「座標」という存在を知らなければ、決して解ける事は無かっただろうこの謎。
「進撃の巨人」と「始祖の巨人」
この二つの巨人の能力の核心に触れて、そしてミカサの「エレンは口の中にいる」という台詞。
「あの時、なぜミカサはエレンの居場所がわかったんだ?」という疑問を解消するために、また1巻から読み直す。
ネットにあるサイトで購入したマガジンで続きを読み直したりもして、なんとなく自分なりの考察が出来上がったが、「そういう事だったのか~」となった時、思わずミカサとエレンの物語の悲壮さと壮大さと純愛にボロボロ涙がこぼれ落ちる。

そしてアルミンの最後の言葉。
アニメの冒頭、1巻の始まりの言葉は、最終話から続く大人になったアルミンの回想というか、世界に向けたメッセージの始まりの言葉だったのでないだろうか。

という事を漫画読み終わってずっと考えていたわけだけど、この3人の純なままで運命に立ち向かう姿には「こんなんアカンわ」と久々に関西弁で漏らしながらのボロボロと。

とにかく、あんな壮大なストーリーをもって心から楽しませてくれた事に、作者さんへ感謝の気持ちしかありません。
お疲れ様でした。

再会

ジャパニメーションはいいとして、そんなこんなで少し長い距離を移動して、ようやく田舎街に到着。
「会いに来た」といきなり登場したらびっくりしていたけど、両手で口元を隠しながらこっちを見つめる顔になんだか嬉しくもなり、ちょっと照れ臭くもあり。

外に出れない、満足に移動もできない。
仕事的な不安もある。
何に手をつければいいのか分からなくなり、手詰まりになり落ち込んでいた感じが手紙から読み取られたけど、それは誰もが今は感じ、不安の渦に飲み込まれても仕方がない事だと思う。
だから今の時期は危険が多いけど、でも会いに行こうと衝動的に行動したんだろう。
僕自身が辛いとか感じたりした場合は、「あ~そうなのか、今の自分はこうなのか」と、少し頭の上から俯瞰して状況を見つめてるところもあり、感情的に行動に移すなんて事は無い。
今まで自分の事で涙したのって、爺ちゃんと一緒に行ったスペイン以来思いだせないので、もうかれこれ10年以上は自分の事では泣いてないし。
だけど、他人というか自分にとっての大切だと思える人。
そういう人が悲しいと感じていたり、涙を流していたとするなら、俯瞰なんて入る隙も無く「護ってあげたい」の想いが衝動的な行動へと繋がったのかもしれない。
こうして振り返ってみると、自分の中では驚きの行動なんだけど、そんな自分が僕の中にいるという事も知れたわけで、また一つ歳を重ねながら発見を積み重ねておる最中です。

「LINEとか電話でよかったのに」と言ってくれたが、「電話だったら不安を話してくれた?」と聞くと、黙って首を横に振るわけで。
手紙読んだ時に不思議と確信を持った事だから、電話では絶対に心配かけない様な態度をとるだろうという事を。
手紙の内容もはぐらかすだろうという事を。

リモートですべてが解決するわけでもなく、やはり僕らの仕事は、自分の足と手をつかって実際に触れて体験してみないと分からない事が多い。
「感覚を研ぎ澄ませろ」と言われたとしたら、リモートのバーチャル世界でどう感覚を研ぎ澄ませればいいというのか。
映像だけでは手に入れられない感覚を積み重ねていくには、自分の足を使って出掛けないといけないわけで、それに対して出来ないフラストレーションいっぱいで落ち込んでいただろう人に僕は会いにいっただけの事。

手紙の文字だけの自分勝手な確信だったけど、実際にやっぱり落ち込んでいたので、会いに行けて良かったと心から思う。
色々と大変だったが💦

紫の世界

ちょっと散歩がてらに、辺り一面緑色な草原へ。
座れる場所を見つけて、作ってくれたサンドイッチとコーヒーを飲みながらゆっくり話をする事に。
そこは、夏にはラベンダー畑で辺り一面「紫」の世界が広がるという。

昼間は、紫のラベンダーと青い空。
夕焼けになると、紫とオレンジと赤と黄色が混じり合う世界。
そういう景色を観て育ってきた話を聞いてると、僕が留学中に出会った一つの同級生の作品。
「なんだこの色使いは」という衝撃と、心からの尊敬と、初めて嫉妬した作品のルーツを知ったわけで。

「こんな感覚の持ち主が同級生に?あり得ない!勘弁してくれ」
という感じで、落ち込みながらも虜にさせてくれた人。
そんな人が隣で普通に喋ってるのも、当時は思いもしなかった。
語り合える言葉なんて持てるはずもなく、自分の中には劣等感めいた感情でしか、その人を見れなかったのだから。
ただ向こうも偶然に僕の作品に注目していたらしく、僕がコーヒー飲みながら本を読んでると、「君の作品、どうして縦ラインが朱色なのか?」といきなり話かけられ、自分にとって驚愕な展開にコーヒーをぶちまけるという二次元的リアクションをしたのも懐かしい。

普段はクールであまり笑わない人が、故郷だからか普段と違い結構笑いながら喋ってくれる。
そんな人のルーツとなる世界を、しっかり自分のメモリーに残すために、夏がいまから待ち遠しい。

ちょっとテクノロジーから離れている場所にいるので、不便な面もたくさんあるけど、何でだろう文明の中にいると不便さがフラストレーションに繋がるのに、ここではまったく繋がらない。
逆に、不便さが楽しいとも思えるわけで。
環境って面白いもので「こういう感覚もいずれ建築に生きてくるのかもしれないな~」なんて思いながら土いじりを手伝う日々も良い。

初対面の妹さんとも仲良くなるが、年齢を知られて驚かれる、僕の中での恒例行事は毎度変わらず。

故郷を教えてもらったので、僕の故郷の話も少々した。
僕の本当の故郷は兵庫だけど、実際にはほぼ京都で暮らしてるし、想い出は京都の景色の方が多い。
そこにある哲学の道。
桜の季節になると、桜の花でピンクの道に変化する話をすると「嘘だろ」と会いに行った人の家族誰も信用してくれないので、写真を見せると驚かれたと同時に「こんど連れてけ!」の大合唱。
みんなでゆっくり安心して行ける日が、一日も早く来てほしい。

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現在地

紫の世界もあれば、ピンク色の道もある。
世界は広いし、まだまだ知らない事も多い。
僕を今の僕に繋げてくれた言葉。
「無知の知」
「無知だという事を自覚しておけ」という意味なんだけど、まだまだ「へ~凄いな」という言葉を30年経ってもたくさん使ってるので、これからも使っていくのだろう。
何色に染まってるのかも分からない自分だけど、今まで出会った様々な人の繋がりがあるからこそ、今この紫の世界を待ち遠しく思える場所にいる。
「炎の水や、氷の大地、砂の雪原」を見る事を夢見たアルミンやエレンの様に、たくさんの別れも出会いも繰り返しながら、いつか夢見た景色にたどり着くのだとも思う。

今いる現在地。
もちろん座標はしっかり確認している。
出会いに感謝しながら、紫の世界を心待ちにしながら。



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