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007 やっと見つけた

「表現するのが好きなんだね」
人から言われて初めて、
「あ〜そうなのかなぁ、そうなのかも」
って思った。 22歳、初夏。

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小さいころから、いろいろやってきた。

ピアノ、ダンス、演劇、放送、デザインに広告。
それと、企画とコピー。


確かに、表現といえば表現なのかもしれない。
でもそんなこと意識したことがなかったので、
「表現するのが好き」という言葉がどうも腑に落ちない。


「本当に私は表現するのが好きでやってるのかな?」
「そもそも表現ってなに?」

【表現】
 ①内面的・精神的・主体的な思想や感情などを,外面的・客観的な形ある
  ものとして表すこと。また,その表れた形である表情・身振り・記号・
  言語など。特に,芸術的形象たる文学作品(詩・小説など)・音楽・
  絵画・造形など。
──三省堂 スーパー大辞林3.0

なるほど。
確かに表現してきたし、今もやってる。

楽しくて続けてるんだし、少なくとも嫌いではない。

でも、昔から表現力の乏しさを
家族の言葉だったり通知表で突きつけられてきたから、
「表現するのが好きです!」
って胸を張ることに今でもとても抵抗がある。

表現を通じて、「好き」と「楽しい」って違うのかと学んだ。


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小さいころから、なりたいものが多かった。

小説家に介護士、学校の先生、カウンセラー、教育関係、
広報、まちづくり、広告、印刷工…

もっと遡ったりふんわりなりたかったものまで書くとキリがない。

好奇心旺盛な私には、どの職業だって魅力的に見えた。
結果、業種も分野も関係のない、色んなものになりたかった。


そんな私はどこへやら、今ではすっかりなりたいものがない。

「将来なにになりたいの?」

なんて聞かないで欲しい。
そんなの私が一番聞きたい。

そんなとき、一本の記事を共有してもらった。


ああ、これだ。と今までにないくらい納得した。

「ありたいすがた」タイプは、自分の価値観の「満たされている度」がしあわせです。そして、それがずっと続いていったらいいな、と思っている。
──やりたいことなんかないけど、しあわせでいたい人の話 より

いま一番自分なりに力を入れて取り組んでいるのが
企画とコピー。

やってて苦しい思いをすることもあるけど、
その気持ちすらとっても楽しい。

だけど、たとえば「コピーライターになりたい」みたいな、
将来的なビジョンは全く見えてこなくて。


じゃあ私は一体どうなったら満足なのか?
どの状態であることが、私にとっての幸せなの?


今一度、立ち止まって考えてみる。

私にとっての幸せは

・健康であること
・健康的な生活ができること
・安心できる場所があること
・帰る場所があること

ざっくりと共通キーワードをあげるなら『居場所』。


それから、どういうときに幸せだと思うか。

みんなと遊んでる時間が大好き。
特に学校で特殊なかくれんぼをやったり、卓球トーナメントをやったり。
どれも10人前後で大きな規模ではないけど、
小さな「やりたい!」を企画して、楽しそうなみんながみれたら大満足。

「居てくれてよかった」とか「聴いてくれてありがとう」って
言ってもらえたとき、『誰かの心に入り込めた』と感じるのが好き。
自分の存在意義を改めて教えてもらえるし、
私が誰かの支えになれたんだな、と思えることほど
幸せを実感できることはない。


きっと私はずっと、誰かにとっての「救い」でありたかった。
(救いというと大袈裟な気もするし、ちょっとどころでなく
恥ずかしいし傲慢だけど一番ピンときたししっくりくる)


私がいることで元気になって欲しい。
私という居場所があることを忘れないで欲しい。


そう思って今までのなりたかったもの変遷をみてみると、
誰かに寄り添う職業が多いことに気がついた。

小説家も、学校の先生も、カウンセラーも、
広告だって企画だって、誰かに寄り添うものだ。


当たり前のことに気づいただけ。
なのに運動もしてないのにすごく心拍数が上がった。

自分のありたい姿に初めて到達できた。

嬉しかった。安心した。
今までうんざりするほど移り変わり続けた将来の夢が、
取り組んできた全てのことが、
どれも大切なものだったって初めてちゃんと思えた。

この気持ちを、私は絶対に忘れたくない。

忘れたくないから、名前をつけて、きちんと保管して、
いつでも取り出せるようにしておこう。


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好きで表現をやってるわけじゃない。
表現は、私がありたい私であるためのツールなんだ。

板前にとっての包丁。
大工にとってのノコギリ。
美容師にとってのハサミ。

しっかりと研いで磨いて、
鍛えていかないといけないもの。

私にとっては、表現。
そのなかでも言葉を自分の道具として、
これからも大事に育てたいと思った。 22歳、晩夏。



あの日見つけた気持ちは、
きっとこれからの私の人生を照らしてくれる。
ラテン語で「光」の意味を持つ『Lux』と名付けて、
大事に大事にしまいこんだ。


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