木のこと、山のこと
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木のこと、山のこと

つながるサウナ3.0

地産地消
地域で採れた野菜を、その地域で食べる。採れたてで鮮度もバツグンで美味。野菜などの食べ物では当たり前に行われていることが、【材木】の世界では気軽にはできなくなってしまったのです。

昔の昔は、今みたいに移動手段が無かったので、地元で伐られた木しか使えなかったのですが、現代では海外から安い値段で輸入されて流通しているのです。

こんなにも周りにたくさんの樹があるのに。

・三重県の森林面積は県内全域の面積の約65%で、ヒノキはその森林面積の中でも48%を占めている。
・三重県内の木材需要を見ても三重県産材の供給量はピークの約30年前と比較すると25%減少。
・製材出荷量も年々減少傾向で、ヒノキの木材価格も40年前と比べると約50%の価格。
(出典:三重県)

とまぁ、減少づくめなのですね、、、
『なぜ、そうなった?』
時代は江戸時代前に遡ります。
古くから森林資源を建築用材や薪炭などの燃料用、農業用の肥料、家畜の餌などとして利用されてきました。これに対して森林整備の取り組みは、造林の記録が残ってはいるものの、その多くは河岸や海岸を守るためのものや、村や街道や建物の防風や美観などが主でありました。

材木の使用量として圧倒的に多いのは建築用材。日本最古の木造建築と言われる奈良県に在る『法隆寺』。
創建は西暦607年と言われておりますが、日本書紀によると670年に落雷による火災によって焼失してしまいますが、奈良時代が始まる710年には再建されたと言われており現代まで1300年あまり建立しています。建築用材以外でも塩の生成やタタラ製鉄などの産業に使われる薪用材としても森林資源が利用されてきており、奈良時代、平安時代と寺社建築の建築ブームや産業利用などによって森林の乱伐が起こり当時の天武天皇が近郊の山野の伐採を禁止する勅を発令したほど。

そして、江戸時代を迎える頃になると、これまでの戦乱からの復興による建築需要や人口の集中した江戸や大阪の大都市部で、城や寺社をはじめとする、建築用材の木材需要が増大し、全国各地で生活用、農業用、建築用などのための森林伐採が盛んに行われるようになり、この頃は日本中の山々が禿げ山になるほど森林資源の過剰利用により森林資源が枯渇し河川の氾濫や台風被害などの災害が深刻化。そうすると、江戸幕府は治水事業と森林の保全に着手し、『留山』と言われる制度が定められ、かなり厳しい制度だったようです。

こういった江戸幕府の政策や積極的な造林事業の甲斐あって、日本の森林資源は回復してきます。

といってもその期間は100〜200年。
こうやって回復してこれたのも日本という温暖湿潤で雨の多い気候、起伏の多い山脈地形、信仰の深い山林への古くからの立ち入りの制限、などの環境が大きな要素なることは言うまでもありません。そう、日本という地域はこういうポテンシャルを古から秘めている地域なのです。そして驚くのが、人口100万人の江戸の街は武家屋敷や寺社の周りを林や森が広がり、江戸市域全体の緑被地率(緑地面積が占める地域での割合)が42.9%という緑豊かな都市だったと言うこと。

明治時代になると鎖国が終わり開国とともに文明開花による産業発展により、燃料としての薪炭や開発に伴う建築用材の利用によって森林伐採が進み、明治中期になると森林が荒廃した状況に、明治政府が『森林法』を制定し、荒廃してきた山林の治山事業を行い森林の伐採が本格的に規定されることとなります。

森林警察というものまであったそうな。
ところが、昭和の時代に入ると世界が戦争へと向かい日本も例外なく巻き込まれていきます。太平洋戦争が始まる頃には、軍需物資として造船・建築・杭木・薪炭と大量の木材が必要となり、国有林、風致林、社寺林、防風林、幼齢林と見境なく伐採。戦争時にやけ尽くされた山や平地も含め、日本が再び禿げ山となり大規模な風水害が発生、こうした中で、戦後の国を挙げて造林事業が始まります。

『造林臨時措置法』が制定され、長期低利融資制度によって造林が制度融資の対象ともなり、政府に後押しされる形で山主はスギやヒノキの植林が行われるようになります。

この頃1950〜1960年代。
なぜスギやヒノキの針葉樹が多く植林されたのか? 

それはスギ、ヒノキの生育環境にあります。
スギは、ヒノキ科スギ亜科スギ属
ヒノキはヒノキ科ヒノキ属
どちらもヒノキ科の常緑針葉樹。

生育分布としては、スギは北海道南部〜九州までと沖縄を除く日本全国で生育しており、新国立競技場の軒庇には全国47都道府県のスギが使用されています。沖縄にはスギが自生しないためリュウキュウマツ。ヒノキは福島県〜九州まで生育し、生育環境の北限が福島県と言われており、以北の地域では生育していません。生育速度は、スギが30〜40年、ヒノキが50〜60年で一般的な建物の柱材が取れるとされています。1960年に植林されたヒノキですら60年生となっており、伐り旬を迎えています。

杉に関してもうとっくに伐り旬を過ぎているのです。

植林事業でスギヒノキがたくさん植えられたのには理由があり、一つは生育速度の速さ。そしてもう一つの理由は、日本は古来より薪炭用材として材木が使用されてきましたが、薪や炭に適した材木は広葉樹。しかし、広葉樹は生育速度が針葉樹と比べると圧倒的に遅く、伐採できるまで数十年に渡ります。そしてこの頃、石炭や石油燃料の化石燃料が主に使用されるようになって、薪や炭の需要が激減してきます。

植林が盛んになった1950年以降日本は高度経済成長期を迎え、人口も爆発的に増加し一般住宅としての材木が急速に必要となり、植えたばかりの木は用材として使えるようになるまでまだまだ時間がかかるため供給が追いつかず、国内の木材価格は高騰し1955年に木材輸入の自由化が段階的に始まり、1964年には木材輸入が完全に自由化となります。これにより、安価で大量供給が可能な輸入材に押される形で、徐々に国産の材木の需要が減少、林業界の衰退へと繋がっていくことになります。現代では、国産材=ブランド材としての位置付けや、高付加価値として薪ストーブなどの利用などが多くなってきてはいますが、そういった材以外ではまだまだ気軽に近くの山の木を使える環境にありません。

経済成長と大量供給による輸入材木の流通による、日本での植林材過多、
開発や薪炭の利用減少に伴う広葉樹や里山の減少……。

これらは日本人が日本に適した暮らしをする中で活用されてきた資源や生活スタイルのはずなのに、現代では手軽に海外のものも手に入ります。
取り返しがつかなくなる前にもういちど見直して、有効に使える材木や活用の方法を子供たちの世代に残していきたいと想っています。

参考:林野庁
   東京都
   法隆寺

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