大好きなお兄ちゃんはいつだって私のヒーロー。
ベランダのマーガレットが咲きそうだった。
マーガレットは冬の間休眠する。
冬のはじめ、日陰の多い庭先に置いていたせいで寒さにやられたらしい。
11月頃うちにきた蕾だらけのマーガレットは、その後花を咲かせることはなく早々におやすみにはいってしまった。
春、暖かい季節がやってきた時に咲いてほしい。
そういう思いから、母が寒い庭先から日の当たるベランダにマーガレットを移動させ早4か月。
遂に数日前から蕾がひらいてきたのだ。
ああ、春がついに来たのだ。
隣の公園に咲き誇る梅の花や、先日訪れた城の周りに咲き始めた桜を目にした時以上に、私はベランダにある小さなマーガレットの蕾で春が来たことを感じた。
春
新しいことが始まる予感、ワクワクする季節。
中学3年生になる春に、「高校生活では長いストレートヘアをなびかせブレザーを着て歩くのだ」と、くるくるのくせ毛にセーラー服を身に着け近い未来を夢見たものだ。
そんなワクワクを胸に受験生の扉を開けた春だった。
小学校を卒業した春は、「中学生になったら吹奏楽部に入部してドラムをたたく格好良い女になりたい」と夢見て、親にお願いしドラムを習い始めた。
結局、ドラムも沢山叩いたが、今も現役で続けているのはティンパニというTHE オーケストラ楽器である。人生は思い通りにはいかないものだ。
幼いころの記憶でいえば、幼稚園の時、「私は幼稚園の子供としてこの世に生まれてきたから小学生にはなれない」と思い込んでいた。
兄が入学すると、「ああ、私も小学生になれるのか」と察したものだ。
赤いランドセルを背負って、兄と一緒に学校に行けることがわかって嬉しかった。
今、この時代で、「ランドセルを選んでいいよ」と言われたら、私は何色を選んだだろうか…。
赤を選んだだろうか。
それともやっぱり黒や青だろうか。
兄を見て育ったからか、昔から格好良いものが好きだった。
おジャ魔女どれみやセーラームーンなんて見たこともなく、見るのはいつも戦隊シリーズやポケモンだった。
2次元への初恋は兄の持っていた漫画に描かれた遊戯王だった。
三国志が歴史ものだと知らずに、お兄ちゃんのやってるゲームと同じタイトルの本がある!と喜んで三国志の小説を借りて帰ったこともある。
とにかくお兄ちゃんが大好きだった。
兄が反抗期で優しくなくなって、怖い存在になった時も、兄を嫌いになることは一度もなかった。
大人になった今、大好きな兄は結婚をして家を出て行った。
それでも私にとっては大好きな兄に変わりはない。
実は、私が鬱の診断を受けるときも、助けてくれたのは兄だった。
日曜日の夜、会社に行きたくなくて行きたくなくて…ボロボロに泣きながら兄に電話したものだ。
どうしたら明日会社を休める?
今考えれば、仮病なりなんなり、(それが社会人として正しいかはさて置いて)理由なんて適当につけて休めばよかったのだけれど、それさえも簡単には考えられない位ボロボロだった。
明日休んだとして、おまえはそれで大丈夫になるのか?
診断が出るかどうか悩んでないで病院行ってみろ、そう背中を押してくれた。
本当に感謝している。
当時、自分は甘えているのだと思っていたため、病院に行ったところで鬱だと言ってもらえない、辛いのは私の心が弱いのだと言われてしまう、と病院に一歩踏み出せなかった。
頭の片隅にはちらついている「病院」の文字。
わかっていても「甘えてはいけない」「周りはみんな頑張っている」と自分で自分を呪っていた。
あの日病院に行かなかったら。
いつも通り会社に行っていたら。
「ほらボロボロになっても働けるんだから、昨日の涙は甘えだわ。」
そう思って今もボロボロになりながら働いていたと思う。
そうして、まだいける、まだ大丈夫、まだ、まだ…
気付いた時には「もうだめ」が言えないところまで進んでしまっていただろう。
鬱とは怖いものだ。
早期発見が本当に大切で、でもそれは当人だけのチカラだけでは本当に難しいことだと私は思う。
あの日、助けてが言えた私は、ものすごい努力をしたと思う。
いつもの辛いとなんか違う。ダメになる。
落ちる感覚を感じ取り、助けてと言えた私は頑張ったと思う。
そしてそれをちゃんと受け止めてくれた兄。
甘えるな頑張れと言わず、本当にそれだけで大丈夫になれるのか、と問うてくれた兄。
何年たっても、離れて暮らすようになっても、私の大好きなお兄ちゃんはいつまでも優しく格好良い私のお兄ちゃんなのだ。
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