リハビリSS ふざけんな世界、ふざけろよ

「やってらんない!」
ビールジョッキを机にたたきつけて叫ぶ。テーブルの上の枝豆が微かに跳ねた。それほどの勢いで怒りを叩きつけないと、正気を保てなさそうなほどイラついていた。
「荒れてるねえ」
向かいに座っているカナデちゃんは苦笑いしている。仕事終わりに突然カナデちゃんの部署に飛び込んで、「飲みに行こう!」と強引に誘った挙句、ろくに説明もせずに生ビールをがぶ飲みして怒り狂うような友人相手に、他に何を言えるというのか。
「荒れもするよ、私が一体何したって言うのよ」
ジョッキに残ったビールを飲み干し、丁度だし巻き玉子を持ってきた店員さんにもうひとつビールを頼む。店員さんは、綺麗にセットされた前髪がツヤツヤで可愛い女の子だった。
「私もあのくらいの年に戻りたい」
本当に、心底羨ましい。あのくらいの歳の頃は、バイト先の店長の悪口を言いながらケラケラ笑っていれば楽しかった。課題だ卒論だと言いながらカフェでパンケーキを食べていれば幸せだった。なんでこんな大人になっちゃったんだ。
「まぁまぁ…気持ちはわかるけど。それよりなんでそんなに荒れてんの」
カナデちゃんの優しい口調に、待ってましたとばかりに私は愚痴を言い始める。
事の発端は少し前、婚約者だった男が私の目の前で正座した夜に遡る。
この男は私に指輪を渡しながら、ほかの女ともよろしくやっていたのだ。しかも、よりにもよって私と同じ部署の新卒。
大きな目にぷっくりとした涙袋、白い肌に桃色の唇。いつも綺麗に巻かれた髪と、伸びきったところを見た事がないネイル。鈴を転がすような声。
人目見ただけでわかる、モテ女の頂点みたいな子だ。ちょっと仕事でミスしても、自分が涙目で謝れば誰かがフォローしてくれると理解しきっているような子。その子と夜の繁華街から出てくるところを私に捕獲され、半同棲中だった部屋に無理やり連れ帰ってきたカズトは膝に手を置いて項垂れている。バレてビビるくらいなら、初めから浮気なんてしなければいいのだ。
「ごめん…」
「謝って済む話なら良かったのにね。婚約中の不貞行為って普通に慰謝料取れるの知ってる?」
慰謝料、という言葉を聞いて、青かった彼の顔が今度は白くなる。手が震えているのが見てるだけでも伝わってくるし、私を見ることすら出来ないであ、う、と言葉を探して声を絞り出している。なんて情けない姿。
「明日になったらうちにもそっちの家にも連絡するから。弁護士も入れるし、絶対許さない。荷物もまとめて今すぐ出てって」
何も言えずにただ座って震えてる男の姿って、本当に…情けない以外の言葉が見当たらない。見ているだけで毎秒嫌いになっていく。そうやって反省していれば、私がいつか許してくれるとでも思っているのか。
「何してんの?早く出てって」
そう冷たく言い放ったところで、やっと諦めて立ち上がった。勿体ぶるようにノロノロと荷物をまとめる気配にイライラしながらスマホを開いたら、さっき繁華街に置いてきた後輩からとんでもない量のLINEが来ていた。知らなかった、ごめんなさい。カズトさんが素敵だから舞い上がった、許してください。馬鹿みたいな言葉の羅列だ。既読をつけてしまったことで追撃が止まらなくなり、スマホを持っていることすら嫌になって通知を切る。冷蔵庫からビールを3本取りだして、次々胃袋に流し込む。3本目の缶を開けた頃に、寝室からカズトが顔を出した。何か言いたげにこっちを見てる。
「えと…荷物、持ちきれなくて…」
「生活と仕事に必要なものだけ持ってって。あとは全部送るから。着払いで。」
カズトは小さくため息をついて、目を逸らして言った。
「泣きもしないのかよ、血も涙もない女だな」
…私はこの言葉にキレて、カズトが持っていたカバンを引ったくり、靴と一緒に玄関から外に投げ捨て、本人も蹴り出したのだ。涙も引っ込むほどの裏切りをしておいて、私の人間性を否定するなんて頭がおかしいとしか思えない。ふざけるなと叫んでぶん殴りたいのを、我慢して荷物をまとめる時間をやったのだから感謝して欲しいくらいだったのに。
そして翌日、あの後さらにビールを3本開けて完全に二日酔いの私が出社すると、浮気相手の女は来てなかった。欠勤の連絡の電話口で「キョウカさんに怒られる」と泣いたらしく、御局様からたっぷり絞られた。あの子が何をしたのか、と詰められたけど、理由は頑なに話さなかった。どうせしばらくしたら婚約破棄だの退職だの、そんな話で持ち切りになるのだからわざわざ今言いたくなかった。あと普通に御局様の声が二日酔いの頭に響いてこれ以上その声と接したくなかった。
その後、私が突然有給を使ったり、出社してきた浮気相手が突然私の前で土下座してきたり、部長と面談になったり、まぁ色々あって浮気されてブチ切れた私が、婚約者と浮気相手をラブホの前でぶん殴って大暴れしたことになっていた。なんでそんな尾ひれがつくのかと思っていたけど、どうやら3日間欠勤した後に出てきたカズトが顔面に大痣を作っていたことが原因だったらしい。本当はその痣を作ったのかカズトの父親だったのに、何故か私がやったことになっていた。納得はいかなかったけど、自宅からカズトを追い出した時その尻に一発蹴りを入れてやった事は間違いないので、噂には自由に独り歩きしてもらうことにした。
噂に限界まで尾ひれが着いた頃、好奇と同情の目に晒されつつ退職願を提出した。その裏では弁護士交えて婚約破棄と慰謝料請求。義両親になるはずだった人たちと浮気相手の両親に頭を下げられながら受けとった合計一括300万円が、私の手元に唯一残ったものだ。
これだけでもやってられないのに、引き継ぎ作業をしつつ通常業務もそれなりにこなしてキャパがパンパンになってる私に御局様が放った一言。
「アンタの身の振りで、この忙しい時期に一気に3人辞めるってどんだけ迷惑かわかってる?」
知るか!とその場にあった書類全部を花吹雪みたいに撒いてやりたかった。私がどんだけ気を張りつめて過ごしたか、分かりもしないくせに!
私が怒りに任せて机をバン!と叩いた音を聞いて、課長が飛んできたのでその話はそれ以上されなかった。けど、この課長がまたとんでもなく空気を読めなくて、呆れるほど仕事をしない人なので余計に腹が立った。そもそも御局様が私に言い放った嫌味が耳に届いた時点で、同じ勢いで飛んでこなきゃダメだろうが、この能無し。
御局様の一言で私のストレスは完全に溢れ出し、今日も残業していく予定だったものを全て放り投げてカナデちゃんのところに飛び込んだというわけだった。
「正直噂は耳に入ったけど、大変だったね…尾ひれがついたことも含めてさ」
優しいカナデちゃんは、多分私が今大変なことになってるのを知った上で放っておいてくれたのだ。私がいつかキレて、自分のところへ飛び込んでくるのを知っていた。そしてその時は慰めてやろうと決めてくれていたのだ。私はそこまでわかっていたから、今日こうやって遠慮なく甘えている。軟骨の唐揚げを乱暴に口に入れて、ビールを流し込む。油とコリコリの食感、ビールの苦味が最高に美味しい。
「大変だった。けど結婚したあとじゃなくて良かったとも思ってる。離婚となったらもっと大変よきっと」
「確かに、婚約破棄なら苗字変える必要とかは無いしねぇ」
カナデちゃんもゆっくり軟骨を食べながら、ハイボールを飲んでいる。酔った時だけちょっと口が悪くて不謹慎なことを言うところも大好きだ。
居酒屋のテレビでは最近不倫がバレた芸能人を叩き、さらにパワハラで訴えられた議員を叩き、これは良くないことですねと神妙な顔のコメンテーターが顎下で手を組んでいた。バカバカしい。それがダメなことくらい日本中が知ってる。毎日のように繰り返し言わなくても全員。
「バカみたい、このニュースも、私の3年もよ!ふざけんなって」
「ちなみに浮気の理由なんだって?」
「結婚決まって今までみたいに遊べないんだ〜って思ったら、現実逃避したくなったんだってさ。理由まで馬鹿らしいでしょ」
カナデちゃんがげぇ、と声を上げて顔をしかめる。
「それは馬鹿だわ。その理屈なら一生独身貫いて欲しいね」
「こういうことした側の奴が案外サラッと結婚するんだよね。この世ってさ」
「世知辛いね〜」
カナデちゃんのまるでおばあちゃんのような言い方に吹き出して、それから2人で顔を見合せて大声で笑う。
この世は世知辛い、ふざけんな!って叫びたくなるようなことが死ぬほど転がってる。
だからこそこうやって笑い飛ばさないとやってらんないのだ。
その後も豪快にビールを飲み続け、色んな人の悪口や下ネタで盛り上がって、お会計をする頃にはもう足がフラフラになるほど酔っ払った。
「キョウカちゃん飲んだねえ〜」
そう言いながらニコニコしてるカナデちゃんも、足取りはまっすぐじゃない。
「カナデちゃん、カラオケ行こ!もうちょっと大声出したい!」
「行こーう!!!不倫のうた歌おう〜!」
「不謹慎〜!!!そこが好き!」
大声で笑いながら、肩を組んで近くのカラオケになだれ込む。大声で歌って、笑って、ビールの海で溺れ死にそうなほど飲んだ。
翌日の二日酔いなんて今は知らない。こうやって酒とユーモアで笑い飛ばしてやらないと、私の数カ月が浮かばれない。
終電ギリギリまで、声が枯れるまで歌って騒いで、ご機嫌で家路に着いた頃には今日の苛立ちなんてすっかり忘れていた。
人間は忘却の生き物だから、こうやってたまに本気でふざけて、ユーモアの弾丸で日々のストレスを撃ち殺してあげれば愉快に生きていける。
喪失に慣れることが大人になるということなら、私だって立派な大人だ。
傷ついても、ムカついても悲しくても、きっと生きていける。

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