見出し画像

気になるということ「嫌だなベクトル」

前回「びじゅつやってみよ その3」で、気になるもの集めをした後の注意点についてお話ししたいと思います。

要約すると、前回は何かを始める時の「とっかかり」の話でした。とりあえずハードルとかいいからやってみよう始ようart筋トレの第一歩!その一つの方法という記事だったです。

物事って、はじめてしまったら自己責任みたいな感じのことを言う人が多いんですよね。美術でもそう言う先生や教授多いです。だいたい想像できる穴に対して何にも言わないのは何だかなぁと思うところもあるのでちょっとだけ書いてます。まぁね、何かにぶつかるのも大事だけどね、、、、、そこから帰ってこれなくなるってとこまでいっちゃう人いるんですよ。ほんと。特にこの手の世界に憧れる人に多くて、若いうちに穴に入り込んでも戻れる方法を残している人ならいいんですけど、、、、、

と言うわけで、見えない世界の話になるのでわかりにくいかもだけどおつきあいくださいませ。



この「気になるもの集め」、前向きで、ちょっとした一歩には大事なんですが、

脳や体が(嫌だなぁ)って思って警告出してるものにも「気になるわ」と注目しちゃうんですよね。
カリギュラ効果だと生徒たちも冷静に言ってはくれるんですけどなんだかやっぱり「嫌ベクトル」でもあるので本人自身を探したり整理しているときにはマイナスワールドに突入する入り口にもなっちゃう。

ま、「嫌だなセンサー」も「嫌だなベクトルのもの」も確かに自分ではあるけれど、「嫌だなベクトル物」を注視しちゃうってことは、最悪だと「気になるもの集め」作業すらぶっ壊しちゃいかねないです。

つまり、要領よく自分の地固めをしようとしているのにもかかわらず、その行為自体を「嫌だなベクトル」で打ち消してしまうし、せっかく構成する自分の要素を暗く猟奇的なイメージで埋めることになります。
あ、この後者のイメージが悪いとは言ってなくて、この「嫌だなセンサー」に引っかかってくるものって、人間の生理的な感覚って共有の物が多いからどうしてもその中に個性が見えないとアンバランスになりかねない。

表現するものにとっては没個性にもなりますし、豊かに暮らすart脳を鍛えたい人にとっては要領が悪くなっちゃうような気がするんですよ。




よくやっちゃうんです。キモい物集め。
そして自分を見失ってく。だって、それは自分かどうかわからない、生物として避けようとしているものかもしれないのに、漠然とそればっか集めちゃうんですよ?そこに、「自分」あるんですかね、、、、、

artっぽいいから、演出として引き出し増やしたいからっていう残念な言い方で集める人もいる。、、、
もうそれ、自分でもなんでもないよ。
(知識としてはいいのかもしれないけどね)

なんっていうかな

自信もってベクトル並べてって調べてけばいいんだと思うんです。自分の感覚に自信をもって。
これが究極のart脳トレだと思います!



どうぞ、楽しく、ご自身のものとして脳を活かそうではありませんか。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?