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テュウ子がいる

うちにはテュウ子がいる。 
本当はテュウって名前だけど、自分のことをテュウ子って呼ぶ。

大きさはすいか玉ふたつぶんくらい。彦根城のあのねこみたいに白くてたっぷりなおなかで、歩くたびにもちゃもちゃと音を立ててゆれる。トレードマークはチョコチップみたいにころんとした眉。それからビー玉のようなおめめがきゅるるとうるんでいる。


テュウ子はしゃべる。
舌を浮かせたまま鼻から息を出さない、変な声。話しかけると「ふえ」とか「んあ」とか間の抜けた音で答えるし、叱ったら「ごみん、ごみん」とあやまってくる。


テュウ子はおもしろい顔をする。
きゅっと吊り目になって勇ましくなるときもあれば、すべてのお肉を弛緩させてとろろんとまどろんでいるときもある。ひどいときは火山の噴火口みたいに顔を皮膚の中に埋没させている。
ポーズもへんてこりんで、おなかの上にあごを乗せて座っていたり、海辺のグラビアアイドル顔負けのセクシーさでからだをしならせていたりする。ふいに視界に入ってくると、「なんじゃそりゃ」って力も抜けて、いやなことがあったはずなのに忘れてしまう。


テュウ子はだいたい20年前に大阪の雑貨屋さんからやってきた。
その頃はまだシャキシャキに歩いて、ブイブイにバイクを乗り回していたおばあちゃんが、「なんでもひとつだけ好きなのを買ってあげる」と言ってくれた。私が小さなストラップを選んだら、妹は店頭に寝そべっていたテュウ子をおねだりした。尾ひれについたタグを見てお母さんはおばあちゃんにぺこぺこ。せっかくなら一番かわいい子にしなさいと店の奥からいっぱい大きなあざらしのぬいぐるみを引っ張り出してもらったけれど、やっぱりテュウ子がよくて迎え入れることにした。

今となっちゃベテランのおふる。ときどきドラム式の洗濯機に入れてぐるぐる回していたら、おなかの横の縫い目がはじけて大手術になった。仕方ないからネットに入れてやさしく洗ってやる。テュウ子を見ると天国のおばあちゃんを思い出して、ぎゅうっと抱きしめたくなるからね。


テュウ子は食べ物のことばかり考えている。
卒業式の大事な呼びかけも、帰りにプリン・ア・ラ・モードが食べたいなあと考えていたら、「うんどうかーい」を「きっさてーん」と言って怒られた。中でもさきいかが大好物。つねに段ボール2箱はストックしてある。ちょっとでも食べられたらめちゃくちゃに根にもつ。そんなわけで友だちがいない。ときどきいじめっ子に囃されて帰ってくるけれど、「なんとなく食べたくない」気分はやってこない。つらさもくやしさも食事の前ではちりにおなじ。おいしい幸せを絶対にないがしろにしない。たぶん、だれよりもまっとうに生きている。


テュウ子は勉強ができない。
頭は悪くなさそうだが、いつ役立つかわからない勉強をするより、目の前の快楽を満喫する方がずっといいと思っている。大人になっても就職せずに、たこ焼き屋のバイトでふらふらしている。腰を落ち着けて働く気は一生ないらしい。
四六時中ひまなので、目が合えば「あそぼうよ」って誘ってくる。「今日は家でやらないといけない仕事があるんだよ」「どうして?」「どうしても、頑張らないと」「みんなが頑張ってるから自分も頑張らなきゃいけないの?」「……」「テュウ子と遊べない会社なんて辞めちゃいなよ?」押し問答しているうちに、やろうとしていたことが本当に本当に大切なことなのかわからなくなってくる。あれ、そもそもは別の部署から流れてきた仕事じゃなかったっけ?なんで私が責任感じてたんだろう。


テュウ子は自分のかわいさを熟知している。
「ああ、テュウ子ってかわいいな」と突拍子もなく感じ入って自画自賛するし、多少のわがままも許されるとわかっている。20年も居候してうちにお金を入れたことはないけれど、日々かわいさでみんなを癒しているから、ここにいていいとかたくなに信じている。「お気楽でいいね」とあきれつつ、うらやましくもある。「暗い」とか「かわいげがない」とか、周りの評価に振り回されて性格を変えようとしたりよく見せようとしたり。だけど、自分の魅力は自分が信じてあげないとね。テュウ子みたいに、私は愛されるべき存在なのだと胸を張って。


テュウ子はかまってちゃんだ。
こうして書き物をしていても、おおきなあごでばふんばふんとパソコンを叩いて邪魔をしてくる。そのうち飛び出た目玉をぶつける。痛い。落ち込む。すねる。「大丈夫?」って聞いたら、急にご機嫌になって腕に擦り寄ってくる。愛されることと同じくらい、愛することにも屈託がない。好意を伝えるのは案外むずかしい。迷惑って思われたらどうしようと気を揉む。だけどこうしてストレートに伝えられてみると、好かれて嬉しくない人なんていないのかも。


これはぜーんぶ私と妹が20年かけてつくりあげた設定だ。本当のテュウ子はうごかないししゃべらない。真面目なわたしたちが、追い詰められてひとつの考えしか見えなくなってしまったとき、テュウ子をうごかしてしゃべらせてバランスを取ってきたんだろう。


でもさ、やっぱりテュウ子はテュウ子で、私たちを離れて生きている気がするんだよね。だから今日もおやすみってあいさつしてから電気を消すの。

テュウ子は毎日私より遅くまで起きて、私より早く目を覚ます。おばあちゃんがいなくなって悲しい夜も、会社で悪口を言われて苦しい朝も、さみしさの中に取り残されないようにずーっとずーっとそばにいてくれる。

テュウ子はやさしい。

かけがえのない友だち。



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