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筑前道中記 #3

前回のお話→筑前道中記#2

2019年7月16日(火) 3日目

この日の目的地は小郡市にある如意輪寺(通称:かえる寺)と黒田藩の支藩であった秋月。

かえる寺はSNSで話題となり、外国人観光客も多く訪れるほどの人気のお寺です。
なんとも不思議なこの呼び名は、境内を見ればその理由がわかります。
ゆっくりと写真を撮りたかったので、人の少ない朝の時間帯を狙って行きました。
シコさんのご厚意でかえる寺まで送ってもらったのですが、スクーターの二人乗り、スリルと開放感でドキドキしますね。風が気持っち〜い!

住宅街の中の小高い丘に建つこのお寺、かえる寺という呼び名が表すとおり、カエルのオブジェがいっぱい(3-3)(3-4)。
その数なんと、5,000体を超えるとか。
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加えてこの時期はたくさんの風鈴が奉納され、幻想的な光景を目にすることができます(3-2)。
カエルの他に朝顔や金魚など、夏らしい絵柄の風鈴がそよぎ、澄んだ涼しげな音を奏でています。
降り注ぐ蝉時雨の中、慎ましやかな願いを込めて私も一体奉納してきました(3-1)。

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お寺の近くに気になるパン屋があったのですが、あいにく開店時間前だったため泣く泣く後にし秋月に向かいます。
西鉄で小郡駅まで出て、乗り換えて甘木駅へ。せっかくなので甘木鉄道を使ってみました。

秋月までは、甘木駅発のバス(3-5)で20分程、乗客は私のほかに老齢夫婦一組のみ。駅前も街中も車内もしんと静かです。
バスが進むにつれて車窓の緑が濃くなってゆきます。

その美しい城下町の景観から、筑前の小京都とも呼ばれる秋月。
城下町としての歴史は、鎌倉時代に秋月氏が古処山に城を築いたことから始まります。秋月氏16代によって治められ、江戸時代になってからは黒田官兵衛の孫にあたる黒田長興が初代藩主として城下町を形成し、黒田氏12代に渡り治世が行われました。
そんな長い歴史を持つ秋月は現在も多くの史跡が保存されており、重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

秋月に着いた私を出迎えるのは、国内でも珍しいアーチ状の石橋「目鏡橋」。
かつて野鳥川の氾濫によりしばしば橋が流され、住民や藩はその都度架け替えに手を焼いていましたが、「長崎で見たあの石造りの橋を架けよ」との8代藩主の命により、悲願の「洪水でも流されない橋」が造られました。
架橋から200年近く経ってなお、その姿を今に残しています。画像7

秋月の街の中心は、眼鏡橋から少し進んだところにあります。
ピカピカの晴天の下、汗を滴らせながら城下町を散策することにしました。

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あいにくこの日は祝日の翌日ということで定休日の施設が多く、今回見学したいと思っていた久野邸も残念ながら閉まっていました。
久野邸とは秋月黒田藩の初代藩主に直接仕えていた上級武士の屋敷で、秋月の武家屋敷の中でもとりわけ広い敷地を有していることから武家としての格式の高さを窺い知れます。
屋敷内は当時の様子をそのまま忠実に再現されているそうです。またの機会に訪問できればいいな!

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秋月にはもう一軒一般公開されている武家屋敷があり、そちらを見に行きました。

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こちらは、藩家老を勤め上げたこともある上級武士の家系である田代家の邸宅です。
主屋の中には立ち入れないため、玄関から建物内部を覗いてみます。画像13

この建物は武家屋敷としての遺構が多く残る江戸後期頃の状態を再現しているそうで、電気が引かれているはずはなく採光は外の光のみ。
この光と陰のコントラストを見ると、谷垣潤一郎が著書『陰翳礼讃』で純日本家屋を褒め称えていた気持ちがよく理解できます。

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天井はこんな感じ。立派な梁と、茅葺屋根の裏側が見えます。画像16

主屋の裏手には土蔵と小さな稲荷さん、井戸が置かれています。
敷地はぐるりと土塀で囲われており、これが武家屋敷の基本スタイルだったようです。

江戸時代の成人男性の平均身長が約155センチで、当然それに合わせた造りなので屋敷は全体的に小ぢんまりとしており、約168センチ(青江や肥前と同じくらい)の私の背丈では門をくぐるにも少し屈まなくてはなりません。
雰囲気は男士たちが暮らす本丸っぽいのですが、偉丈夫の多い男士たちを実際に住まわせるとなるとかなり手狭になりそうですね・・・
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旧田代家住宅を後にし、緩やかな坂を上り秋月城址へ向かいます。

長屋門は秋月の中で唯一、建立された当初の位置にその姿を残している建造物で、門をくぐった先の秋月城跡地は中学校として活用されているようです。

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そこから少し進んだところにある秋月城黒門は、戦国時代に古処山城で使用された門を江戸時代に秋月城の大手門として利用したもの(3-6)。
現在は、初代藩主黒田長興を祀る垂裕神社の神門となっています。
あたりにはたくさんのモミジの木が植わっており、秋には見事な紅葉が見られるようです。
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陣屋の遺構を横目に見つつ杉の馬場と称された並木道を通って街中に戻り、ぶらぶらと散策していると、スパイシーな香りが鼻を擽ります。昼食にちょうど良い頃合いだったので、匂いの出所のカレー屋さんへ。
月と亀という変わった名前のこのお店、結構な人気店のようです。店内の雰囲気や、手書きの品書きや食べ方ガイドなどから強いこだわりが伝わってきます。
筑前インド定食をオーダーし、4種類の中からポークビンダルーを選びました。酸味のバランスが丁度よく、スパイスが効いているけれど強烈さはなく滋味を感じる優しい味わい。
そして、こちらで供される水の美味しいことといったらありません。汗をかいて水分の抜けきった身体に染み入ります。
どうやらこのお水は井戸水らしく、秋月の豊かな自然に磨かれた水なのだから美味しいのは当然です。
ミールスの内容にも妥協はなく、非常に満足度の高いランチを頂けました(3-7)。

帰りのバスを待ちがてら、月の峠という、地元で人気のパン屋でパンを数点買っていきました。
天然酵母使用なので少しクセがありますが、地元で愛されているのがよくわかる優しくほっとする味でした。

秋月を後にし、帰りの飛行機搭乗時間まで時間があったので、天神・博多エリアをぶらぶら回ることに。
おやつ時だったので、Twitterで見かけて気になっていたお店、bumblebeeさんに向かいます。
インスタ映えしそうなこちらのソフトクリーム、お味はストロベリーとバニラ、そしてミックスの3つ。+50円でハートやリボン、ステッキを模したチョコプレートひとつをトッピングすることができます。
福岡といえばいちご、ということで、プレミアムストロベリーをいただきました(a-1)。

繁華街を歩いていて驚いたのは、街に女性が多く、しかも美人が多いこと。
恥ずかしながら私は知らなかったのですが、実はここ博多は京都・秋田と並ぶ日本三大美女の街として有名なのだそうです(wikipediaにも博多美人の項目がありますね・・・)。
すれ違う人皆おしゃれな装いで、品の良い香りを纏っていらっしゃったので、博多美人を美人たらしめるのはきっと美に対する意識の高さとたゆまぬ努力なんだろうなとぼんやり思いました。

そういえば「福岡に来たぞ!」といった写真を撮っていなかったなと思い、博多駅前でパシャリ(3−8)。
暑い中を歩き回ってちょっとくたびれたので、駅ナカで買ったあまおうのアイスキャンディーをいただきました(a-2)。
駅前にはひっそりと黒田節の像も建っており、母里太兵衛の右手には大杯が、左手には日本号がしっかりと握られていました(3-9)。

地下鉄に乗る前に、ちょっと気になっていたむっちゃん万十を購入。たい焼きのようにも見えますが、実際に手に取ると厚みがありずっしり重く、フィリングもスイーツ系からおかず系まで様々です。
甘いのもしょっぱいのも食べたかったので、カスタードとハムエッグをいただきました。
帰りの飛行機の搭乗時間が迫ってきたので空港へ向かい、夕飯は空港内のお店でとろうと思っていたのですが、思いの外むっちゃん万十のボリュームがあったので一食抜くことにしました。今思えば、うどんぐらいは腹に収められたかな…
少し空港の中を見て回り、搭乗時間となったので後ろ髪をひかれる思いで飛行機に乗り込みます。
上空から眺める福岡は街の灯がキラキラと明るく、街の活気がそのまま光になったかのようでした。グッバイ福岡。

3日間かけて筑前エリアを巡ったわけですが、今回の旅では回り切れなかったスポットや体験できなかったイベントがたくさんあるので、またいつか再訪したいなと思っています。
おみやげもたっぷり買って大満足(b-1)(b-2)(b-3)。
食べ物もおいしく見どころもたくさん、最高の旅行先です。
というわけで皆さま、福岡よかとこ一度は来んしゃい!

追記
実は、福岡滞在(7/14〜7/16)の前後はずっと雨降りで(しかも避難指示が出されるほどの大雨)、丁度この3日間だけぽっかりと晴れていたのです。
もちろん単なる偶然なのでしょうけれども、福岡の地に歓迎されているような気分でした。
もしかしたら今回会いに行った三振りのご加護があったのかもしれません。


おわり