眼鏡
僕は眼鏡をかけている。
かけ始めたのは高校三年生の冬なので、かれこれ十年以上は眼鏡と共に生活をしている。
しかし、いまだに自分が眼鏡をかけているという自覚が足りない。
その理由も分かっている。
僕は高校三年生の春まで、視力が2.0まであったことから、三十を超えた今も「目が良かった頃の自分」を心に秘めているのだ。
学生時代は他の追随を許さない視力を誇っていた。
校庭の端から時計を見るのも僕。
球場の遠くからスコアボードを見るのも僕。
「この目に見えないものはない」と、石川五右衛門のような境地にまで達していた。
だが、その時代も永遠ではなかった。
高校三年生の春。
僕は試験の為に血眼になって勉強した。はっきり言って、生まれて始めて一生懸命勉強した。
すると、みるみる視力は低下した。それはもう、分かりやすく低下した。
そこで僕は、自分の大きな勘違いに気がついた。
僕は人より目が良かったのではない。
人より目を使っていなかったのだ。
周りが一心不乱に勉強している中、ぼーっとしていた。
周りがこぞって塾に通っている中、あてもなく自転車に乗っていた。
今考えればその時期、一緒に過ごしていた友人も目が良かった。
僕たちは人より目が良かったのではない。
人より馬鹿だったのだ。
そんな青春時代を過ごしてからこそ、いまだに眼鏡をかけている自覚がない。
パソコンに向かった後、眼鏡を外す。それだけならいいのだが、それを無意識にどこかに置いてしまう。
そして数分後、「あれ?眼鏡どこ行ったっけ?」となる。
ここでの僕のタチの悪さは「どこ置いたっけ?」ではなく「どこ行ったっけ?」と思うことだ。
もちろん眼鏡が勝手にどこかに行く訳もなく、僕がどこかに置いている。
にも関わらず、全くに記憶にございません状態。
視力は両目ともに0.4程度なので全く見えないことはないのだが、やはり眼鏡がないと暮らし辛い。
「眼鏡よ……。ごめんよ……。もう二度と離さないから、出てきておくれ……」
そう願っても、出てこない。
おそらく眼鏡は「おいおいおいおい。何回何回繰り返すんだよじじい」とはらわた煮えくり返っているに違いない。
一刻も早く眼鏡を見つけて謝罪しなければ。
その為に、これまでの行動を振り返ろう。
パソコンを閉じて、席を立って、居間に向かい、その後洗面台で……。
そうだ!洗面台で顔を洗う為に眼鏡を外したはずだ!
急いで洗面台に向かおうとすると、妻が声をかけてきた。
「眼鏡、ソファーにあったよ」
こうべを垂れて受け取ると、妻が続けてこう言った。
次、無くしたらお願いします……。
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