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死、というもの、について

たからとみこ

2007年6月、私は母を亡くした。

2006年の7月にすい臓がんが分かり、8月から抗がん剤を開始した。手術ができる状態ではなかった。抗がん剤をしなければ余命半年と言われていたが、抗がん剤をしても10か月で命尽きた。

苦しい思いをして抗がん剤をしたことが正しかったのか、抗がん剤の副作用に苦しまずに、QOLを保ちながら余命半年を全うしたほうが良かったのかもしれない、といろいろと考えてしまう。

父は、母に抗がん剤治療をさせなければよかったとずっと言っていたし、自分が大腸がんになったときには、手術以外の治療をすべて断った。そのおかげかわからないが、父は亡くなる1か月近く前まで車を運転していたし、具合が悪くなって普通の生活がままならなくなったのは、最後の1か月くらいだった。

父のことはまた改めて書こうと思う。まず先に亡くなった母のことを書こう。私にとって人の死(とそのプロセス)を間近で見るのは、母が初めてだった。

母は亡くなる1か月前くらいからホスピス医の往診を受けるようになったが、最期の10日くらいは、自宅での痛みのコントロールが困難になり、ホスピスに入院し(正確には救急車で運ばれた)、もうそのときから亡くなるまでほとんど動けなかった。

母を看取って、私は「死」というものを深く考えるようになった。闘病の在り方、ホスピスという場所、死に方、生と死を分けるもの、死の瞬間、死のその先にあるもの、などなど。

そんな時に、ちょうど私が住む市で死生学の6回連続講座が無料で開かれた。講師はいろいろで、特に前後の関連性はないので、今回は第6回目の講座について、私の過去のブログから少し変更を加えつつ転載したい。転載したブログ記事は、非公開にしていき、徐々にnoteに引っ越してくる計画でいる。

このブログ記事は「死ぬ直前」と私が題し、2008年、その講座を受けた翌日に書いたもので、かれこれ12,3年前のものだが、私のブログ記事の中で、いまだに1位、2位を争うアクセス数である。多くの人が「死ぬ直前」に起こることに関心を持っていることがわかる。

↓↓↓ここからはその記事の転載(変更、加筆あり)となる↓↓↓

さて、昨日の6回目の講座は、「自宅で安らかな死を」と題して、在宅ホスピス医が講義されました。この人の存在は、母がまだ生きていて、私がホスピスについて調べていたときにネットで存じ上げていました。私と同じ高校の出身だったので、特に覚えています。昨日、機会があれば講義後に声をかけたかったのですが、お忙しそうだったので、諦めました。

お父様を肝臓癌であっという間に亡くされて、末期医療のお粗末さを身を持って体験し、緩和ケア医療に携わることを考え始めたそうです。もともとは麻酔科の医師で、専門的にも、緩和ケアで使う薬のことなどには詳しかったので、自分に向いていたそうです。ただ、麻酔科は患者と直接話したりすることは一切しないので、緩和ケアを始めて最初のころは患者さんとコミュニケーションをとることに苦労したそうです。

でもそれから8年くらい、死に際の人たちに接し、多くの人を看取ってきたわけで、人間が死ぬ瞬間というのにかなりの回数立ち会ってこられていて、昨日はスライドの中で死ぬ直前の人間の様子を言葉で表現されていました。誰もがこうなるというわけではないのでしょうが、たいていの人は病気や老衰の場合こうやって死んでいくようです。

死の数分前~死まで

水からあげられた魚のような呼吸になる。一度か二度長い間隔をあけた呼吸に続いて、最後の呼吸がみられ、全く反応がなくなる。

とのことです。でも私の母の場合は、たしかに水からあげられた魚のように、ぱくぱくと口を大きく開けたり閉じたりして一生懸命呼吸をしていたのですが、そのままだんだんと口の開け閉めが小さくなっていって、「あれ?もう息をしていないように見える」と思ったのが私が気づいた母の生と死の境でした。だから最後の呼吸には気づきませんでした。

加筆:ちなみに父の場合は、死の40分前くらいから下あごが上下する呼吸、つまりはパクパクと口を開け閉めする呼吸になり、最期に1度か2度長い間隔をあけた呼吸があり、亡くなりました。最期の大きな1回目の呼吸で私はナースステーションに呼吸が止まったようなので死亡確認をお願いしますと言いに行ったほどでしたが、その後また大きな呼吸をして、本当に呼吸が止まりました。)

死の兆候というのも紹介されました。
死の2週間から1週間前の体の変化だそうです。
血圧が下がる、心拍数が増えたり減ったりする、体温が上がったり下がったりする、を多くかく、皮膚の色が青ざめたり、青白くなったりする、呼吸が不規則になる、が増える、眠っていることが多くなる、食事をせず、水分をわずかに摂るのみとなる。など。

体調に波が出てきて、一見元気になったようにも見えることがあるのだそうです。

母の場合は、血圧、汗、眠っていることが多くなる、水分をわずかに摂るのみとなる、などが最後の1週間くらいに見られた死の兆候だったかと思います。死の当日は、足先が青ざめていたようにも思います。痰や呼吸で苦しむことは幸いなかったけど、痛みは本当にひどかったです。でもこの講師は、呼吸の苦しさが一番かわいそうと言っていたので、母はその点では良かったと思います。

老衰も含めて末期になってくると、人間は枯れていこうとするので飲み食いがあまりできなくなるのは自然なことであるのに、家族は元気になってもらおうと、食べさせたり飲ませたりしようとするそうです。胃に直接流動食を流し込む処置(胃ろう)は、治る人なら必要だけど、もう枯れるだけの人にとっては虐待に近いそうです。「胃ろう」は一種の流行で、点数が高いので病院はこれをしたがるのだとか。

人間が最も安らかに死ぬということは、きれいに「枯れて」いくことだと、この医師は言っていました。腹水などがたまってきても、呼吸を圧迫したりしない限りは無理に抜いたりせずにいると、食べたり飲んだりできなくなったときに、腹水に豊富に含まれる養分を体が使い始めて、しまいにはお腹はぺちゃんこになるそうです。

母も少し腹水があった時期もありましたが、最後は本当にきれいに、痩せてミイラのようではありましたが、お腹はぺちゃんこになりました。抗癌剤やモルヒネの副作用で便秘にもそうとう苦しんだのですが、死の数日前から便通がかなりあり、母の体は本当にきれいに枯れることができたと思います。手先や足先のむくみは取れなかったのですが。。。

この人は在宅専門のホスピス医なので、特に在宅で安らかに死ぬということについて話されました。在宅で看取る時には、定期的に診てくれる医者が必要であると、ちょっと宣伝かとも思いましたが、おっしゃいました。つまり、家で看ていた人の呼吸が止まった時、定期的に診てくれている医者がいる場合には、その人に連絡して死亡確認をしてもらえばいいけど、かかりつけ医がいない場合、呼吸をしていないといって救急車を呼んだりする人がいて、救急隊が救急病棟に運ぶと、呼吸の止まった人が老衰であろうと末期がんの患者であろうと、救急医療チームは心臓マッサージをしたり、とにかくできることを一生懸命やってしまい、結局「安らか」とはかけ離れた死に方をする上に、高額の医療費を請求されてしまう、ということでした。

救急隊が到着した時にすでに死亡している場合は、救急隊は警察を呼んで帰っていき、どうみても病死なのに変死ということで、家族の事情聴取などが行われるそうです。だから「安らかに」逝ってもらいたいという気持ちがあるなら、そのために必要な知識をもって行動すべき、ということをこの医者は言いたかったのだと思います。

とはいっても、24時間365日対応の在宅ホスピス。スタッフ不足だと思います。このように犠牲的な仕事に関わっている医療従事者には本当に頭が下がります。ご自分の家族もかなり犠牲にされていることと思います。ただでさえ医者不足で、若者の医学部離れが「仕事がきつい」ということなので、これからなおさらスタッフが足りなくなるのではないかと思ってしまいます。医学部に入れる頭脳がある人たちに、命を尊ぶ心と、激務に耐えうる体力も備えられますようにと願います。

それから

癌という病気は、死ぬまでに時間がある病気だ

とおっしゃったのが印象的でした。心筋梗塞などに比べた場合、ということだと思います。ほかにも突然死や事故死など、死の準備ができない死に方がたくさんあります。だからだれもが願う「安らかに死ぬ」ということを、癌の場合はできやすい。ただ、人は自分の力で安らかに死ぬことはできない。痛みをとったり、苦痛をとったりという医療の力を借りて安らかに死ぬことができる、と、おっしゃっていました。

転載おわり。

長文をここまでお読みいただいて、何か参考になる情報を提供できていたら幸いです。引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

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たからとみこ

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