(13)「日本」の異称から見えてくるもの

画像1

「倭」も「日本」も中国が設営した交易市場への入場証であり王統の名乗りですから、自称であれば命名者は王権の主体者、他称であれば中国か朝鮮半島の王権です。そこで他称自称を問わず「日本」の異称を調べると、次のようなものが見つかります。

(1)委奴 (2)委面 (3)委面土 (4)倭 (5)瀛州 (6)東瀛 (7)君子国 (8)東海姫氏 (9)東海女国 (10)女子国 (11)女王国 (12)若木国 (13)日域 (14)日東 (15)烏卯 (16)阿母 (17)扶桑 (18)大八洲 (19)葦原中国 (20)豊葦原 (21)瑞穂國 (22)秋津洲 (23)蜻蛉島 (24)日下

(1)〜(3)は『後漢書』に出てくる弥生時代の邑国で、「委」は(4)の「倭」と同意と考えられています。

(5)(6)は中国の人たちが空想した不老長寿の神仙国で、「蓬莱」とともに東海の彼方にあると信じられていました。秦の煬帝の命を受けた徐福がたどり着いたという伝説が、和歌山県の熊野、京都府伊根、佐賀市、長野県佐久市、鹿児島県出水市、秋田県男鹿市などに残っています。(7)は古代中国で「東海に君子の国がある」とされたことに由来し、不老不死の神仙国とイメージが重なっています。

(8)~(11)は魏志倭人伝の卑弥呼女王が北東アジア世界にいかに強い印象を与えたかを物語ります。(12)は長い歴史を持つ中国を老木に、新興の日本を若木に喩えた表現ですが、日本の別称というのは後付けでしょう。

(13)(14)は北東アジア世界の最東端(太陽が昇ってくる所)にある国の意、(15)は烏を太陽神とする古代信仰に由来しています。(16)の阿母は阿父に対置する言葉で「母なる」の意、(17)は太陽が昇る所に茂生する空想上の聖樹です。

以上は中国が名付けたか、中国における本来の意味から転じたものです。

(18)「大八洲」は『書紀』巻之一神代上と巻之廿九(オオアマ大王)に、(19)「葦原中国」は巻之一と二(神代)、三(カムヤマトイハレヒコ大王)、六(イクメイリヒコイサチ大王)に、(20)「豊葦原」と(21)「瑞穂國」はそれぞれ巻之一、二、三に出てきます。

(22)はともに「アキヅシマ」と読んで、「秋津洲」は『書紀』、「蜻蛉島」は『古事記』に出てきます。トンボが豊かな稲の稔りを象徴していたことが分かります。

ここまでのところ、「日=太陽」にかかわるのは中国から見た日の出の方域を示す(13)日域、(14)日東、(15)烏卯、(16)阿母、(17)扶桑です。しかし「本」の意味に通じる要素は見当たりません。

漢字「本」は「木の根元につけた切り込み」の形です。転じて「根っこ」「始まり」を意味するのですが、視点は木の根元を見下ろす高みにあります。同じく「始まり」の意味を持つ「源」は洞窟の岩から滲み出る最初の一滴のことですので、視点がまるっきり逆転しています。

そこで(24)の「日下」はどうでしょうか。「ヒノモト」と読んで「ヤマト」「クサカ」にかかる枕詞として使われています。これがどうもくさい。

写真は佐渡島のトンボ(筆者撮影)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?