山あり谷あり
こんにちは。白根虹太郎です。
先日の朝、自転車に乗りながら感じたこと。
大きな道路との交差点を、歩行者・自転車用の跨道橋を通って渡った時のこと。その跨道橋は山なりの形状になっていて、橋のふもとから一番高いところまではなかなかの傾斜で、立ちこぎしながら登っていった。そして、最高点から先は一転して下り坂で、ペダルをこがなくともけっこうなスピードが出た。
それまで一生懸命登った甲斐を感じつつ下っていきながら、ふとこんなことを考えた。
「登りには時間がかかったとしても、こんなに早いスピードで下って行けるなら、跨道橋を渡らずに平坦な道を行った場合と時間はさして変わらないのではないか。」
そして、
「人生も、これと同じではないか…」
登り坂のような困難な問題にぶつかったとしても、試行錯誤しながらでも、最後まであきらめずに克服しさえすれば、自転車が下り坂を勢いよく下るように、問題を解決する過程で身につけた経験や蓄えた力をもって勢いよく進み、それまでの遅れを挽回できるようになるのではないか。
今、私たちは、コロナ禍という、長く、険しい、しかもなかなか頂点が見えない登り坂のただ中にいる。一方で、この登り坂を登る中で私たちは様々なことを学び、様々な変革も起きるようになった。いつかこの坂を登り切った後には、勢いに乗ってそれまでの遅れや落ち込んだものを取り戻し、さらに高い次元まで上がっていくことができる。そして、今はまだはっきり見えないけど、そのような時は必ず来る…
そんなことを考えながら、心に希望の火が灯った朝の自転車タイムでした。
順境の日には楽しめ。逆境の日には考えよ。(伝道の書6: 14)
それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。(ローマ人への手紙5: 3-4)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?