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「人間万事 塞翁が馬」〜負の感情と向き合うこと〜

「人間万事 塞翁が馬」という言葉がある。

「幸」と思えることが、後に「不幸」となることもあり、またその逆もあることのたとえ。

この言葉は会社の上司が格言として教えくれた。他にも、山中伸弥教授が卒業メッセージとして卒業生に対して言っていたのを耳にした。
何度か聞いたことのあるこの言葉の意味が、あまりよく分かっていない。ただ、少しだけわかってきたような気もする。



様々な人の発信をインターネットを通じてみることができるこの時代、楽しそうな出来事や達成した経験といった記録を目にしていると、ふとした瞬間にとても悲しくなる。

自分と比較してしまうのだ。

こんな鮮やかで素晴らしい日々を自分は送れていない。自分にもそういった瞬間が過去にあったかもしれないのにも関わらず、思い返しもせずその場の感情だけで考えてしまう。



悲しさや寂しさといった負の感情は突然やってくる。
僕にとっては人が一緒にいるかどうかは関係ない。
たくさんの友人と集まっている時でさえ、寂しさを感じることがある。

例えば、みんなでキャンプファイアーをした時に寂しさを感じることがあった。
炎を囲み、みんなで眺める。炎を眺める中で、歌を歌ったり、踊ったりと楽しい時間を共に過ごすことができた。
その中で、お互いを励まし合っているような、そんな感覚もあった。

そもそもどうして励まし合わなければならないのか。なぜ辛く生きているのか。みんなの辛さを完全に分かりきることはできない。相手の感情を理解できない。自分の感情もまた然り、完全に分かってもらえることはないんだと思うとふと寂しくなった。

また寂しさとは別に悲しさもあった。みんなで過ごすこの時間はほんの一瞬でしかない。このメンバーでこの場所でこの年齢で経験できるのは、この時だけ。この一瞬が過ぎてしまえば同じ経験ができない。そう思うと悲しさが溢れ出てきた。決して時に抗えない。いつか終わりが来る。



しかし、負の感情のない人生とはどういったものなんだろう。
本当にそれはいいものなのだろうか。

僕は負の感情があるからこそ、幸せを感じられることができるんだと思うことがある。
悩み、くよくよしていることがあっても、考える中で見つかった解、解が見つからずとも少しずつ整理できていく時間は自らを回復させ、成長させていく。

負の感情は幸せを受け取れる器を大きくする

今が苦しくてもその経験から感じた感情や痛みを咀嚼・反芻する。自分と向き合う。周りの人に話すこともまた自分と向き合うこと。自分自身と向き合うことで得られるものが、今後の自分をより幸せにするものだと思っている。

悲しみに浸らなければならないということではない。乗り越える必要も全くない。ただ、負の感情を感じた時に嘘をつきたくない。その感情に向き合わずに放置して置くことの方がよっぽど苦しいと思う。素直になって、向き合うことで自分を理解していく。

そう言った意味では、負の経験は忘れてはいけないんだと思う。今後より多くの幸せを受け取るためにも。その経験があるからこそ、今感じられる幸せがある。自分の原動力になる。今悲しさを感じているのであれば、これから幸せを感じられる瞬間が必ずたくさんくる。今後もし大きく悲しむことがあったとしても、それはより多くのより深い幸せを受け取る準備をしているのだ。そう考えると歳を重ねることが楽しみになる。今後の自分に深みを与え、より幸せを感じられ、それを人に与えさせてくれるようになる。



「人間万事 塞翁が馬」
瞬間瞬間で切り取ってみれば、苦痛を感じたり、快楽を感じたり、とても忙しい。その時々で感情に浸り一喜一憂してしまう。しかし、その場の感情と向き合いながらも、全体を俯瞰できるような、そうやって生きることを味わいたい。そんな人になりたい。

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