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『人間失格』を読んで、私が摂食障害から這い上がった話

『人間失格』を読んで生きながらえた経験がある。「下には下がいる」という軽蔑の踏み台ではなく、共感と安堵の感情だ。私は『人間失格』のおかげで、摂食障害からじんわりと這い上がることができたのだった。

『人間失格』は作家・太宰治の言わずと知れた名作である。1948年、筑摩書房の総合雑誌『展望』に『人間失格』を連載中、太宰治は東京都三鷹市にある玉川上水で遺体となって見つかった。女と心中したのであった。彼の誕生日かつ忌日である6月19日は桜桃忌と呼ばれ、今日でも多くの太宰ファンが三鷹市に訪れる。

 太宰治は1909年に青森県の金木村で生まれ、38歳でこの世を去る。その波乱の人生はまるで小説のようだ。幾度も自殺未遂を図り、女と心中沙汰を起こし、薬物中毒にまでなっている。

 すさんだ人生の一方で、彼の作品、『ヴィヨンの妻』や『斜陽』は当時の流行をもつくりだし、今なお愛され続けている。『富岳百景』『猿ヶ島』『走れメロス』などに至っては、学校の教科書掲載作品として常連だ。そのなかでも『人間失格』は群を抜いて印象的な作品だ。

 主人公・大庭葉蔵は幼少期から他人への不信感、世間への恐怖心をお道化に隠して生きていた。生きていることへの罪悪感から逃れようとするうちに酒や女、そして薬から抜け出せなくなっていく。葉蔵とともに苦悩しながら作品を読み進める内に、いつの間にか廃人の烙印を押され、世間から隔離されてしまう喪失感とやりきれなさに胸が痛む。

「人間、失格」と自己を語る葉蔵であるが、『あとがき』で世話になったバーのマダムが、「神様みたいないい子でした」と語る場面は唯一の救いかもしれない(しかしそのマダムの声も葉蔵には届かないのがまた空しい)。

「消えてしまいたい」摂食障害の当事者のリアル

『人間失格』を読了したとき、私(女性・当時10代)は摂食障害に悩まされていた。厚生労働省の資料によると、日本の摂食障害患者の人口は20万人以上と言われている。10代から20代に多く、40代を超えると患者数は激減する。患者の90%以上が女性であるというのも特徴的だ。拒食から過食へと移行しやすく、どちらの症状も摂食障害と呼ぶ。

 私は高校3年間拒食症であり、大学の2年間は過食症に悩まされた。拒食症の症状で代表的な無月経、低体温、便秘などに加え、頭髪が薄くなり体毛が濃くなるなどを体験している。

 拒食症のときは、目に見えて落ちていく体重と華奢になりゆく容姿に高揚感を覚え、常に”ハイ”な状態だったのを覚えている。一日の食事は朝に食べる温野菜のみ。学校がある日は、母が持たせてくれた弁当をトイレに捨てたこともある。

 高校3年生で学校が自由登校の時期は、日中は両親が仕事でいないため、いよいよ朝しか食べなくなった。習い事でバレエをしていたのも良い口実だった。「バレエのため」「思春期ならではのダイエットだから」と言い張って、夕食を家族で囲むことをしなくなった。

 友人の中には私の食生活を心配してくれる者もいたが、家では大いに食べていると嘘をついた。休日に遊んだときは皆がパフェやパンケーキを食べる中、ひとり紅茶を飲んでいたことを思い出す。食事以外にも、電車やバスを使えばよいのに、目的地へは徒歩で向かい、理由もなく1日に3、4時間歩くことを日課にしていた。

 一方、過食症はどうだろう。食べたいという衝動が抑えられず、菓子パンやチョコレートを貪り食っては罪悪感に苛まれていた。どうしても吐くこと(過食嘔吐は摂食障害の代表的な症状である)はできず、下剤を乱用した。

 だが朝に温野菜だけ食べていた生活から、大量の食料を摂取する生活では、いくら下剤を使ったところで体重増加は避けられない。自分の理想から遠のいていく身体は、まるで自分のものではないかのようで怖かった。

 電車に乗っていても、常に周りから「醜い」と思われているように感じ、すれ違う人が全員自分を見ている感覚に憑りつかれた。行動には移さなかったが、常に消えてしまいたい衝動があり、「あのトラックが突っ込んでこないか」「工事の人が私の上に何か落としてくれないか」などと考えていた。

 摂食障害は、食事に対する罪悪感や周りの目を気にする神経質から、うつ状態(『うつ病』と『うつ状態』は別物である)を併発すると言われている。私は主に過食症時がうつ状態であったといえる。『人間失格』を読んでみようと思い立ったのは、ちょうどそのような時分であった。

 接触障害の私が、『人間失格』に救われた部分を列挙したらきりがないのだが、今回は『第一の手記』『第二の手記』『第三の手記』から一つずつ抜粋していこうと思う。

口癖は「普通になりたい」

『第一の手記』は葉蔵の幼少期からはじまる。家庭環境と当時の生活をなぞりながら語られる中で、食事の場面が描かれる。葉蔵は「子どもの頃の自分にとって、もっとも苦痛な時刻は、実に、自分の家の食事の時間でした 」と語る。食べたくなくても「めしを食べなければ死ぬ」という事実。

 当時、私にとって食事とは、全く幸福ではない営みであった。それなのに逃れられないという残酷さ。そこに痛く共感した。周りの人たちは皆、食事をありがたがって、娯楽として消化している。私には堪らなく苦痛な行為が、世間では幸福だとされている。その違和感を言い当てたのが、まさにこの場面なのである。

 そして食事の場面から、「自分の幸福の観念と、世のすべての人たちの幸福の観念とが、まるで食いちがっているような不安」と続く。食事を楽しめないというだけで、世間から取り残されたように感じている自分の思いを代弁してくれているようだった。自分以外の人間が簡単に、生活の中に落とし込んでいることを、どうして自分はできないのかという不安。ひとりでいるとき、私の口癖は「普通になりたい」であった。

幸福な時間が怖かった

『第二の手記』は、葉蔵の中学時代から初めて自殺未遂をするまでで構成される。家族や地元といった狭い世間から、社会へ繰り出していく部分だ。『第二の手記』で印象的なのは、何人も女が出てくるこの作品のなかで、葉蔵が唯一好きだったと語る女性・ツネ子が出てくることのように思う。

 ツネ子と葉蔵は心中未遂を起こすのだが、そのツネ子と初めて朝を迎える場面で心に引っかかる文章が出てくる。「弱虫は、幸福をさえおそれるものです。綿で怪我をするんです。幸福に傷つけられる事もあるんです」この文章は本作品の中でも有名な一節だろう。文章そのものの美しさも印象的だが、何よりも、幸福を幸福のまま受け止められない歪みが共感とともに私の心に入ってきた。

 摂食障害、特に過食症になって私が最も後悔していることがある。それは、今までの交友関係を絶ってしまったことだ。拒食症のとき、私は軽薄な言い方をすると怖いもの知らずだった。身体が丸みを帯びる高校時代に、華奢であり続ける私を誰もが褒めてくれたし、学業も怠らず進路実現への努力も惜しまなかったので、周りから”一目置かれている”実感があったことをここに告白する。

 故に、過食で大きく容姿が変わった自分を表に出すことができなかった。高校時代の友人にばったり出くわすことは勿論あったが、誰も自分の容姿に言及をしなかった。それは私にとって幸福なことだが、別れた後、恐ろしく巨大な羞恥心と自己嫌悪で死にそうになっていた。つい先ほど明るく話し、笑顔で別れた友人が、胸の内でどれだけ自分を中傷しているかと思うと、耐えられなかったのだ。

 また、新しく大学で出会った友人にも、過食症であることを言い出せなかった。お昼休みはごく僅かな食事を友人とともにし、別れた後に過食する毎日だった。過食がばれたらさぞ落胆されるだろうと思うと、お昼のつかの間の談笑さえ恐ろしくなり、次第に一人で過ごすようになった。

 幸福な時間が怖い。共感され難いこの感覚をどうしたらよいのか。私自身も『人間失格』を読むまで、実態をもって接することのできなかった感覚だ。失う前に幸福を避ける人間が、自分以外にもいることにひどく安堵したのだった。

私が私で、何が悪い?

 他の二つの手記と比べると、かなりボリュームがあるのが『第三の手記』である。自殺幇助罪の服役を免れ、実家から縁は切られ、いよいよ葉蔵は自分の足で生きていく。しかし、もとよりひとりで生きていく力のない葉蔵は結局女を頼り、酒を頼り、薬を頼り堕落していく。

 葉蔵の心中の葛藤があまりにも悲しく、堕落と言い切ってしまうのは心苦しいが、間違いなく第三者から見れば堕落に他ならないだろう。『第三の手記』は、ついに廃人と呼ばれ自らに、「人間、失格」と烙印を押す場面へと向かっていくラストスパートだ。

 先述した通り、『第三の手記』は長いので共感できる箇所は多くある。しかし一つ挙げるのであれば、やはり「世間というのは、君じゃないか」である。太っている人間を世間は怠惰だと判断する。「大量に食料を買うのは恥ずかしいことだ」「他人の前で大いに食べることを控えねばならない」「高校生までの頑張りが水の泡だ」など、これらは全て私が過食症のときにかけられた言葉である。

 これらの言葉を投げられたとき、私はしょぼくれて、どうしようもない人間だと自己を貶めるしか方法がなかった。しかし「世間というのは、君じゃないか」の一文を読み、雷に打たれたような衝撃を受けた。

 この一文は、葉蔵が悪友と認めるものの、腐れ縁を切れず関係が続いてしまう軽薄な男・堀木に人生を諭される場面で発せられる(実際には堀木を怒らせるのが嫌で心の中で叫んでいる)。個人の意見とするには恰好が悪いので、または相手を威圧し説き伏せるために「世間」という言葉が使われるのだ。

 私に「『世間』から見ていかに太っている体形が相手を不快にし、私自身の信頼を失墜させるものであるか」を説いてきた人たちの視野の狭さ、なんとしてもマジョリティに立って私を納得させたいという頑なな意志、その全てを見通せた一文だ。相手にこの言葉をぶつけるには臆病な私だったが、自分の心を守る武器としては最適の言葉だった。私の貶められた自尊心を救ってくれる唯一のお守りになったのだ。

 摂食障害は要因が複雑で、起爆剤がそこかしこに転がっている。「何が、明確に」とは言いづらいが、確かに「世間とはあなたのことでしょう」と呟くことは、私を回復に向かわせた。葉蔵が転落していく『第三の手記』で、皮肉なことに私は這い上がるための武器を手に入れたといえるだろう。

救ってくれたのは文学だった

 摂食障害やメンタルヘルスについての書簡が数多く出ているなかで、私を引っ張り上げたのは『人間失格』という文学だった。専門家の知見より、経験者の体験談より、私が必要だったのは、人間としての共感だったらしい。

 これだけダイエットの情報があふれ、体調管理も社会人のたしなみとされ、食事を摂ることが当たり前の営みでありご褒美にもなる人間生活のなかで、私はなかなか共感を得られなかった。「人間、失格」と自らを語る葉蔵こそ、私にとっては実態のある人間らしい人間に思えたのだ。

 私は冒頭で、「『人間失格』を読了したとき」と記述した。実は『人間失格』と出会ったのは、摂食障害になる前である。初めて手に取ったときは中学生だった。だがそのときは『はしがき』の時点で、腹の底が騒つく恐怖を感じ本棚へ戻した。

 次に手にしたのは高校生、つまり拒食症のときだ。当時『第一の手記』から大いに引き込まれるのを感じたが、自分の身体を騙しながら人間生活を送っていた私にとって、『人間失格』に引き込まれること自体が恐ろしかった。『第一の手記』だけを読んで、やはり図書館から持ち出さなかった。そしていよいよ過食症になり、苦しく悶えているとき書店の本棚から『人間失格』を選び取った。

 文学とは面白いもので、自分が一番必要なときに必要な作品が現れるのだと信じてやまない。大事なのは文学から離れてしまわないことだと私は思う。もし一般的に解決への近道といわれる本、いわゆる指南書に疲れた人がいれば、ぜひ文学の棚へ足を伸ばしてほしい。文学はあなたが必要なときに、必要な作品を提供してくれるだろう。(文・遠藤希林)

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