誰かを愛せる自分でいる、ということ
こんにちは。Hamaru StrategyのChief OTAKU Officerつっきーです。
しばらくnoteより、オタクらしくTwitterを更新していたんですが
興味深いお題があるのを見つけたので久々に書いてみます。
今日のお題は、「#自分にとって大切なこと」です。
自分にとって大切なこと
2020年1月に起業、即コロナ。
7月からはパートナーと一緒に住むように。
秋から本格的に身体の不調が出てきて てんてこ舞い(現在進行形)
ありきたりでどこにでもある、けれど、自分としてはそれなりに変化があった1年でした。
特に起業・コロナ・体調不良の3要素は、この「自分にとって大切なこと」について考える機会を増やしてくれました。
(時間があるというのに、臥せってばかりでしたからね…)
そしてそこで出した結論は
「自分にとって大切なこと=誰かを愛せる自分でいること」
でした。
シンプルな答え
会社組織に属さない人間になったことで、私の日々の仕事は「CEOのしみーさんと話す」という部分が一番大きいです。
他部署との調整も、社内のお知らせメーリスも、オンライン飲み会もありません。
加えてコロナで、よっぽどのことがないと友達とも合わなくなりました。
家ではパートナーと話すばかり。
日々の人間関係がシンプルになったんですね。
結果、社外打ち合わせのない私の日常の登場人物は
・私
・しみーさん
・パートナー
だけ。
つまり、本当に自分にとって信頼できる人たちだけになったのです。
ところで、私は割と雑念が多い人間です。
人の評価は気になるし、比べてしまうし、無駄に凹む。
常に夢を追っていなければ行き先を見失う。
そんな感じで生きてきました。
ですが、こんなミニマムな人間関係の中で生きていると、考え方もどんどんシンプルになっていきます。
例えば…
起業したけど、必ずしも大きな会社に成長させなければならないわけではないんだ。
同世代は刺激にはなるけど、頑張ってる人には憧れより「大変そうだなぁ」という感情を抱くよな。
登る山をカッチリ定めなくても、楽しい仕事はできそうだな。
新しく何かを身につけなきゃ!と必死になるより、楽しめるものから唯一無二を見出した方が有益だな。
…そんな感じです。
そして最終的に行きついた先が
「仕事とか成功とかより、目の前の愛すべき人の方がよっぽど大切」
ということでした。
愛する、をするために
でもそう思った後に、この言葉には欠陥があることに気づきます。
それは、「自分自身がある程度ちゃんとしていないと、相手を愛することができない」ということです。
ちゃんとする、というのは
ある程度「心身ともに健康でいる」「仕事で収入を得られる」「自立している」といった、自分の土台がグラついていない状態。
そういう状態、つまり「誰かを愛せる自分でいること」こそが大切だ、と私は考えるようになったのです。
その基準を満たすために、私は仕事をしたり、病院に行ったりと、日々を営んでいるのでしょう。
まぁ、およそ26歳の経営者が言うセリフではないことは分かっています。笑
でも、そういった「こういう歳なんだから」「こういう立場なんだから」というものに囚われず、シンプルにしていった結果がコレだったのです。
愛を増やす
誰かを愛せる自分でいること。
それを実践しながら同時に私がやっていきたいのは、
愛せる"誰か"を増やしていくことです。
愛する対象は、自分にとっての柱のようなもの。
増えれば増えるほど、自分を支えるものが多くなるんだなぁと私は考えています。
だから私にとって愛する対象を増やすことは、ほとんど負担にはなりません。
気が付くと自然と増えていってしまうような、そんなものです。
でも、愛する対象が増えれば増えるほど、自分の「愛する力」が試されているとは感じます。
結局私は頑張ることから逃げながらも
自分の性質によって、愛するという形での努力を自分に強いているのかもしれません。
けれどもそれは、自分一人にしか結果が返ってこないような、独りよがりな頑張りよりも、もっともっと強いもの。
一人の時よりも大きな結果が得られることが多いのです。
だからこそ他人への愛は、巡り巡って自分を強くする。
そして強くなった自分は、より多くの人を愛することができる。
そんな風に思っています。
恥ずかしい理論ではありますが、私はやっぱりこうやって
今からしばらく生きていきたい、というお話でした。
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