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菌根の世界―おわりに──菌根共生の進化を考える(小川真)

この本の編者、齋藤雅典さんから送られてきた原稿を読ませてもらって、書かれた内容の新鮮さと著者たちの熱意に、ある種の感動を覚えた。「なぜこれほど大切なテーマが、長い間放っておかれたのか」「あそこにもここにも、おもしろいタネが埋もれているのに」「この考える楽しさを、次の世代に伝えなければ」という著者たちの声が聞こえてくる。菌根の仕事に取りかかった1960年以来、半世紀以上、私も同じ思いを抱いて能力以上に働いてきた。この本が出ることで、ようやく重荷をおろして、バトンタッチできるように思える。

未知の事象を一つのジャンルとして位置づけるには、長い時間と大勢の研究者たちの努力が必要である。わかりきったことだが、研究の歴史を正しく知ることは、研究することと同程度に大切なことなのである。

1980年ごろ、いくつかの出版社から菌根の教科書を書いてほしいと原稿用紙を渡された。ところが、当時はアーバスキュラー菌根(当時はVA菌根と呼んでいた)がおもしろくなりだしたばかりで、農業への炭の利用研究も緒に就いたところ。とても文献をあさっている暇がない。せめてジャック・ハーレィの『Mycorrhizal Symbiosis(菌根共生)』(1983)を翻訳してはどうかと思ったが、これも力不足でボツ。1990年代になって、少なくともわが国とアジア諸国における研究をまとめておきたいと文献集めを始めたが、ちょうど分子生物学的手法(PCR法など)がさかんになって、研究内容が飛躍的に変わる時期だった。菌根関係の文献が雪崩のように出だして机の上はコピーの山になり、積ん読状態、とても網羅的にというわけにはいかなくなった。

2008年には、ハーレィの娘であるサリー・スミスとデビッド・リードの共著による『Mycorrhizal Symbiosis』(第三版)が出たので、翻訳しようと取りかかったが、800ページ近くあり、とても私一人の手にはおえない。かなり時間がたってから、齋藤さんに相談したところ、「菌根研究会」のメンバーに自分たちの仕事を中心に書いてもらおうということになった。もちろん、そのほうが望ましい。というので、できあがったのが本書である。

生物学の最終目標は何かと問われたら、「やはり進化の謎解きでしょう」ということになる。研究史を紐解くのと同時に、生物がどのような進化過程をたどってきたのか、そしてどこへ行くのか、その中で菌根共生はどのような役割を果たしてきたのか。この本を読んでくださる方々に、ぜひ考えていただきたい。その手がかりになることを願って、私の読後感想文を章立てに沿って綴っておこう。

アーバスキュラー菌根菌の胞子を何と呼ぶのか。かつて接合菌に属しているとされていたころは偽接合胞子と言われていたが、胞子というより子実体と言ったほうがふさわしいぐらい大きく、多核体(多数の核がつまっている)で、菌類としては不思議な繁殖体である(第1章図1)。n、2nなどの核相もよくわからず、有性生殖もみられていない。土の中の胞子はかなりの量になるが、宿主である植物に共生しないと増殖できない絶対共生であり、そのわりには宿主特異性が低く、多くの植物種と共生している。どうやら繁殖力を抑えて陸上植物群によりそい、その進化を助けながら自分たちの分布範囲を広げていったように思える。陸上植物が現れてすぐ共生状態に入ったと思われるが、あまり共進化した形跡はなく、植物のサポーターに徹してきたようにみえる。

この菌は水生植物や水辺植物の根にはつかないとされているが、水田ではたまに見かける。海辺や汽水域に生える原始的な植物群に手がかりはないのだろうか。あのビーズ玉のような美しい菌は一体どこから来たのだろう。おそらく、もとになるものは水の中に暮らしていたはずだが、腐生菌だったのか、寄生菌だったのか、まるでわからない。接合菌に近いとされてきたが、まったく独立して進化したグロムス菌門としておくのがよさそうに思える(ゲノム情報による解析ではグロムス菌亜門とされている。第1章)。

現存の植物の祖先になった、シダ、コケ、トクサやヒカゲノカズラなどにも、アーバスキュラー菌根やそれに似たものがついているそうだが、アーバスキュラー菌根とどちらが先だったのか(第5章)。バクテリアとは無関係なのだろうか。また、もう一つの重要な共生生物の地衣類との関係は、などなどおもしろいことがありそうに思える。実験は大変らしいが、系統的に追ってみると思いもかけないことが見つかるかもしれない。

外生菌根は、アーバスキュラー菌根ができてから2億5000万年ほどたったころ現れたとされている。これはアーバスキュラー菌根とは逆に、宿主になる植物群が少数の分類群、しかも大径木(大きくなる樹木)に限られ、菌根菌のほうが圧倒的に多様である(第2章)。宿主植物のマツ科、ブナ科、カバノキ科、ヤナギ科、フタバガキ科、フトモモ科などは、おそらくジュラ紀と白亜紀の境目(大絶滅)の前後に分化した植物群で、出現時期が担子菌類と重なっている。

多種類の腐生性キノコが分化しはじめたところへ、宿主になる樹木が出てきて共生が成り立ったのか、両者が並行的に進化したのか、まだよくわかっていない。不思議なことに、今知られている外生菌根菌の大半は担子菌類に属しているが、系統的にはまとまりがない。一方、子嚢菌には腐生菌や寄生菌が多く、冬虫夏草のように動物についているものもあるが、なぜかトリュフの仲間以外、外生菌根をつくるものはほとんどみられない。

アーバスキュラー菌根菌と同じように、外生菌根菌も宿主から離れると子実体をつくらない、もしくはつくれない種類が多い。人工培地の上でキノコをつくらないのは、マツタケに限ったことではないのだ。また、菌根菌の中で胞子や組織片から分離培養できるものは限られており、胞子も発芽しにくく、寿命は短い。分離培養できるのは、たとえば、スクレロデルマ属(広葉樹につく)やアミタケ属(マツ科につく。ショウロもこれに近い)などだが、彼らは菌根合成も容易である。それでも菌糸の成長は遅く、多糖類を分解利用できる腐生菌にはとても及ばない。まるで、自分の繁殖力を抑えて、宿主に奉仕しているようにみえる。ほんとうにそうだろうか。

最近北半球で広がっているマツ枯れやナラ枯れ、カラマツやトウヒなどの枯れにみられるように、宿主植物が大量枯死すれば、当然菌根菌のほうも消滅するはずである。現に昔に比べれば、マツタケやショウロだけでなく、野生キノコの採れる量も種類もひどく減っている。なお、セノコッカムの黒い菌根がやたら多いというのも不気味である。

この菌根菌は、以前は北米大陸西海岸の砂丘や朝鮮半島、北アフリカなどのマツ林や広葉樹林でよく見かけたが、乾燥地の森林に多いもので、湿潤なところでは稀なものと思っていた(第3章)。今後温暖化が進むにつれて、目にみえない大きな変動が、まず共生関係を多く含む生態系に現れてくるのではないだろうか。今のように忙しすぎる研究環境では望むべくもないが、どこか定点で菌、キノコの発生消長を気長に記録しつづけてくれる人はいないだろうか。研究者と菌類同好会とのつながりも大切である。

ラン菌根、エリコイド菌根、アーブトイド菌根は内生菌根と総称されているが、それぞれ形態も菌の種類も大きく異なっている。私がはじめて浜田稔先生からランの菌根について教わったころは、H・ブルゲッフの大きな教科書が一冊あるだけだった。そのころに比べれば、現在の研究レベルは驚くほど進んでおり、まさに隔世の感がある(第4章)。

アジアや南米の植民地に多かったきれいな花をつけるランが、ヨーロッパ人に愛好され、一時栽培のための研究がさかんになった。そのおかげでランの根に菌が入っていることは古くから知られており、菌根研究はランから始まったと言えなくもないほどである。ところが、20世紀に入ると無菌培養が可能になり、培地にショ糖を加えると、種子が発芽して育つことがわかった。その結果、菌の研究の必要がなくなり、人工的に栽培した、いわゆる洋ランが市場にあふれ、チューリップと並んで花卉(かき)産業の花形になっていった。

ランは不思議な植物で、どの種類でもツボミが開くにつれて花柄が回転し、ねじれて咲く。花の形も特定の昆虫を誘うように発達し、明らかに虫をだまして受粉を手伝わせている。土壌に落ちた小さな種子は菌糸を惹きつけ、例外なくラン菌とも言われるキノコやカビの菌糸を、根の細胞の中に取りこんで消化吸収する。いわば、食べてしまうのである。

植物と言えば、静的でおとなしそうに思われがちだが、ランにはどこか動物的な感じがある。進化の果てに行き着くところは、葉緑素を失って菌に依存した寄生である。それも成長段階に応じて相手の菌を変えるというのだから手がこんでいる。モノトロポイド菌根やアーブトイド菌根の場合も、菌を養っているように思えるグループのうちから、やはり菌に依存して暮らす、菌従属栄養植物と呼ばれるグループが進化したと考えられている。これらの菌根共生では、外生菌根菌が仲立ちして、樹木と葉緑素をもたない白くなった植物をつないでいる。ランの中にも菌従属栄養植物になった無葉緑ランが多く、外生菌根菌や有機物を分解する能力をもった菌類に養われている。ランの菌根や菌従属栄養植物の解説を読んでいると、まるでミステリー小説を読んでいるようである。なんともこみ入った話で、謎解きの楽しさが伝わってくる(第6章)。

これらの内生菌根をつくる植物は第三紀以降、おもに第四紀に入ってから進化した新しい植物群と思われる。簡単に第三紀以降というが、千万、百万単位の年月である。その間、現在に至るまで、何度絶滅の危機に瀕してきたことか。この仲間は人間にもてはやされ、今を盛りと咲き誇っているが、一体どこへ行くのだろう。常識的には共生すれば強く大きくなり、種としても個体としても長命になると思いがちだが、ほんとうにそうだろうか。

二者間の共生から三重共生、さらに根圏微生物や他の微生物を含む多重共生へと展開するにつれて、互いの関係は複雑になり、依存の度合いが大きくなるほど共倒れする率も高くなるように思える。生命体がある一定の環境下で、そのつど進化してきたのと同様、共生もある条件下で成立し、環境の変動に耐えられたものが現在まで続いていると考えられている。したがって、大きな気候変動や汚染に見舞われれば、絶滅危惧種になりやすく、容易に消えてしまうのも当然かもしれない。共生は一般に言われるほど理想的な生き方ではない。場合によっては、共生イコール共倒れということになりかねないのである。

以上、私見を述べてみたが、ほとんどは蛇足の類である。新型コロナウイルスが収束してくれたら、もう一度野外へ出て、素直に自然のあり方を観察してみよう。自然は常に遠大な存在であり、偉大な師でもある。

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