評伝 石牟礼道子 渚に立つひと

まだ小学生の時、1970年代前半。石牟礼道子の『苦海浄土 わが水俣病』を読んだ。四六判ハードカバーの本で、松谷富彦の『公害のはなし むしばまれゆく地球』という小学生向けの本と一緒に自宅の家族共有の書棚においてあった。『公害のはなし』はよくわかったが、『苦海浄土 わが水俣病』は文字面だけは追いかけたが、何が書いてあるのか、よくわからなかった。半世紀以上経って、本書に出会い、はじめて石牟礼道子が不知火海の渚に立って、何を表現していたのか、霞が関の路上で座り込んで、何を考えていたのか、少し理解したかもしれない。

毎日新聞の記者である著者は、晩年の石牟礼道子にていねいな取材を重ねるべく熊本に通い詰める。石牟礼の伴走者であり、編集者である渡辺京二(講談社文庫の『苦海浄土』の解説を執筆)にも、深く掘り下げて取材する。そして、石牟礼が渚に立って、もしくは、スカートが濡れるのも構わず渚にしゃがみこんで、水面のゆらめきに目を凝らして言葉を紡いでいった姿を克明に描いていく。
詩人、歌人であり作家であった石牟礼道子が描く水俣の漁師の姿は、東日本大震災と原発事故、巨大防災構造物で渚を失った多くの人びとと重なっていく。渚が大切だと多くのひとが気づき始めているのだが、渚を取り戻すことは、できるのだろうか。
『評伝 石牟礼道子 渚に立つひと』米本浩二著 新潮社(新潮文庫版もある)

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