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見て・考えて・描く自然探究ノートー読者からの反響

観察(探究)する力を育てる「ネイチャー・ジャーナリング」

本書が紹介する「ネイチャー・ジャーナリング」は、観察者が見たものを、絵と文章で記録するための方法です。そういうと、学校の理科の授業で行った生物スケッチを想像するかもしれません。理科の授業でのスケッチは、全員が同じ対象を同じ視点から観察し、絵を描くにも「輪郭は1本の線で」、「影は描かない」などのルールを教わります。そして、出来上がったスケッチを見返すことはほとんど無く、見返したとしても自分がそのとき何を見たのか、どんなことを考えたのか思い返すことは難しいでしょう。もしかすると、学校のスケッチの時間は、誰にとってもあまり創造的な学びの時間ではなかったかもしれません。
しかし、著者のジョン・ミューア・ロウズが記録したジャーナルを見れば、その想像は見事に打ち砕かれます。ノートに自由に描かれた色彩鮮やかなスケッチと、詳細に記録された絵と文章によって、彼が向き合った自然の素晴らしさと、自然を科学的に探究した過程を追体験することができます。ぜひ私もその場所へ行き、一緒に実物を観察/探究してみたい!と思わせてくれる本です。
「ネイチャー・ジャーナリング」は、観察対象を視覚的に捉えた情報だけでなく、観察者の気付きや感情、疑問、連想したことなど、思考の過程を記録します。その記録方法は様々で、科学的な仮説検証のプロセスに基づく記述もあれば、詩や散文など、文学的な表現技法を使うこともあります。観察者はジャーナルを書くことで、好奇心を持続させながら対象と向き合い、目で見る以上に様々な視点から対象を観察することができるのです。
本来、理科の授業で行うスケッチも、このような観察する力を養うものであるべきではないでしょうか。さらには、社会科(生活科)の町探検や学校探検等にも応用が利きそうです。筆者も本書において以下のように述べています。
「あらゆる科学にとって肝心なことは、飽くなき好奇心と深い観察力といった、最良の学びを導く気質なのです。もっと具体的にいえば、不思議だと思う直感から始まった学びや、理解したいという欲求、そして、観察する力のことなのです(p.7)」
本書では、そのような観察する力を高めるためのスキルやノウハウが余す所なく丁寧に解説されており、誰でも「ネイチャー・ジャーナリング」をすぐに始めることができます。
「ネイチャー・ジャーナリング」の方法を実践すれば、自然観察だけにとどまらず、あなたの身の回りにあるものすべてが観察の対象となり、「見て、考えて、描く」学びの場に変わります。本書を読んだ後は、一冊のノートと少しの画材を持って、外に出かけてみてはいかがでしょうか。

PLC便り(2022年5月1日)
http://projectbetterschool.blogspot.com/2022/05/blog-post.html
公立中学校理科教師、井久保先生


新しい目で世界を見るための本

より良い文章の書き手とは、より良く世界を見る人のことである。その思いを強めたきっかけの一つは、現任校である軽井沢風越学園の同僚たちの書く文章だった。
軽井沢風越学園は、長野県の軽井沢にある幼稚園・小学校・中学校の「混在」校である。「混在」しているのは子どもたちだけでない。大人のスタッフも同様で、多くの現場から同僚が集まる。小学校の教員をしていた人、野外保育の実践を重ねてきた人、森のガイドをしていた人、僕のように中学校や高校から集まってきた人、デザイナー、放送局出身の人…。そうした多様な同僚との関わりの中で、内心ひそかに驚いていたことがあった。野外保育など、自然をフィールドとして長く働いてきた同僚たちの書く文章が、とても魅力的なのだ。彼らの書く文章のなかでは、人や木々や生き物が活き活きと動く。昨日とは違う今日の太陽の日差し、森の中でうごきはじめる小さな生き物、子どもたち同士の遊ぶ姿…。そういう風景から、彼らは背後にある意味を見出し、物語を紡いでいく。優れた書き手は、世界をより良く見ることを通して、そこに新たな意味を創り出していくのだ。それは、僕のような凡百の書き手にとっては、うっとりしてしまう書きぶりだった。
しかし、ジョン・ミューア・ロウズ『見て・考えて・描く 自然探究ノート』を読むと、神業のような彼らの「世界を見る目」にも、熟達の道があったのではないかと思わされる。というのも、本書は、世界をより良く見るための、極めて具体的なネイチャー・ジャーナリングの手引書だからである。僕は初めて知った言葉なのだが、ネイチャー・ジャーナリングとは、ナチュラリストと呼ばれる人々が用いる自然観察の方法だという。ナチュラリストは、理論や概念からではなく、実際に自分の眼で捉えるところから世界を捉えようとする。そのため、生き物、樹木、岩、水、風景などの自然を、先入観を排して分析的に観察し、記録し、思考していく。
本書の特長は、ネイチャー・ジャーナリングの方針とノートの詳細な具体例が、豊富に示されていることにある。例えば、一本の木を、雲を、どう見るのか。僕たちの頭の中にあるステレオタイプな木や雲の姿を脇において、目の前の木や雲そのものを観察し、記録するために、どこに注目し、何を描くと良いのか。そのために必要な水彩絵の具や鉛筆などの道具も含めて、実に具体的に指南してくれる。まさに、神は細部に宿っている。本書にある多数の美しいカラーイラストを眺めるだけでも楽しいが(筆者は、美しい絵を描くことは本質ではないと強調しているが、実際問題として、本書のスケッチはどれもこれも美しい)、この細かな手引きは、ネイチャー・ジャーナリングを実践しようとする人の心強い味方になるはずだ。絵心のない僕でさえ、この本を参考に山のスケッチでもしてみようかと心誘われたくらいなのだから。
でも、この本の最大の魅力は、世界に向けて自分を開いていく好奇心が、天性の才能ではなく、意識的に保ち、磨きつづけられるものだと宣言する姿勢にある。そしてこの思想は、自然科学の領域を超えて、学ぶことの根底をささえるものだ。というのも、僕にはこのネイチャー・ジャーナリングの話が、自分の専門である国語科の「書くこと」における「作家ノート」(writer's notebook)と重なって思えるからである。この「作家ノート」とは、書き手が文章を書く前の段階で使うノートのことだが、決してただの下書き用ノートではない。そのノートを持ち歩くことで、書き手は、書く題材を自ら探すように世界を眺める。自分が驚いたことを書き留めたり、気になった会話を記録したりと、世界をちょっと違う角度から眺めるようになる。つまり、作家ノートの本質は、書くための手段である以上に、世界とつながるための手段なのだ。作家ノートにこそ、書くことを通じて世界を発見するという、書くことの最も大事な現場がある。そして、この作家ノートの機能は、言葉によるネイチャー・ジャーナリングそのもの。アメリカの作文指導者であるラルフ・フレッチャーは、作家ノートを「あなたを目覚めさせ、あなたの内と外の世界でいま起きていることに、注意を向けさせてくれる」時計のベルに喩えているが(A Wirter's Notebook)、ネイチャー・ジャーナリングのノートも、きっと同じ音を響かせているに違いない。
子どもの頃からの「名言好き」の僕にとっては、「見る」「観察する」ことに関する多くの箴言が紹介されているのも、本書の魅力の一つ。さまざまな魅力的な断章の中で、本書を象徴するようなマルセル・プルーストの次の言葉がとりわけ印象に残った。「発見という名の航海の本質は、新しい風景を探すことではない、新しい目でみることなのだ」。
見慣れたはずの風景を、新しい目で見る。結局のところ、世界をより豊かに享受し、好奇心を持って自己を更新しつづける人とは、そういう人なのかもしれない。それは詩人であり、科学者でもある(偶然かもしれないが、本書70ページではジャーナルの方法として詩を書くことが挙げられている)。
『見て・考えて・描く 自然探究ノート』は、極めて具体的なネイチャー・ジャーナリングの方法の本でありながら、そんなふうに、教科の枠を超えた示唆を与えてくれる魅力的な本だと思う。僕にとっては、国語と理科の思わぬ距離の近さを感じた読書でもあった。発見するとは、新しい目で見ること。せっかく森のある学校に勤めているのだから、僕も自分の作家ノートのなかに自然探究ノートの要素をどう取り入れるか、考えてみたい。

WW/RW便り(2022年5月6日)
http://wwletter.blogspot.com/2022/05/blog-post.html
軽井沢風越学園国語教師、澤田先生

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