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人に話したくなる土壌微生物の世界―はじめに

 私たちの生活は微生物と関わりのあるもので満ちあふれています。納豆、ヨーグルト、キムチなどの発酵食品や、味噌、醤油、コチュジャンなどの発酵調味料、さらにビール、ワイン、清酒などの発酵酒も微生物の働きで作られています。ヨーグルトは乳酸菌、ビールやワインは酵母菌、納豆はもちろん納豆菌によるものです。ぬか漬けやキムチは乳酸菌と酵母菌の共同作業で、清酒に至っては、コウジカビ、酵母菌、乳酸菌という三種類もの微生物を駆使して造られる、世界でも珍しい高度な製法による発酵酒です。

 一方、土の中の微生物も、植物の発育を支えたり土作りに貢献したり有害物質を分解浄化したりして、人の生活や農業に深い関わりを持っています。もちろん、植物病原菌という悪玉菌もいますが、それをやっつける善玉菌もちゃんと土の中に棲みついています。

 このような土の中の微生物の働きは、すでに1930年代頃には概要が明らかになっていましたが、じつはそれは全体のごく一部に過ぎないということが、1980年代以降、急速に解明されてきました。これは遺伝子を調べる技術と蛍光染色という二つの科学的手法の発達のおかげです。

 その結果、じつは土の中で活動する微生物のごく一部しか認識できていなかったということがわかってきたのです。いわば私たちは、土の微生物の1%しか知らなかったのです。そして今、日本はもとより世界中の土壌微生物の研究者たちが、残りの99%を解明しようと最新の分析技術を駆使してしのぎを削っています。その結果見えてきた土の微生物の世界は、とても巧妙で魅力的なものです。植物の発育を支える土、その土を豊かにする微生物、植物や動物を人知れず助ける微生物、有害物質を分解浄化する微生物、洞窟の中で不思議な鉱物を作る微生物、そのあれこれを本書でご紹介します。

 さて一方で、微生物の様々な能力に対する人々の期待につけ込んだような、あやしげな微生物技術や商品も横行しています(第3章)。福島第一原子力発電所事故の数ヶ月後、福島県内では「土壌に散布混合すると放射性元素を分解して放射線量が下がる」という微生物製剤が出回りました。そんなことは科学的にあり得ないのですが、人の心の弱みにつけ込むような「スーパー微生物」の売り込みはよくあります。本物と偽物の見分け方も同章で扱います。

 本書は体系的に構成していますが、内容的には各項目でほぼ独立していますので、どこから読んでいただいてもかまいません。

 なお本書は、筆者が大学で教えていた「土壌学」「土壌微生物学」や市民対象の講演会の内容に基づいて、新聞や雑誌に書いた解説記事も加味してまとめ直したものです。中身は大学レベルですが、読みやすくなるよう心がけました。元ネタは90分×30回分の量があります。盛り込めなかった分もありますが、それはまた別の機会に。

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