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【本の紹介】新庄剛志『スリルライフ』―選手との関わり方を中心に―

日本ハムファイターズの監督に就任して3年目の新庄監督にとって、2024年はまさに今まで蒔いてきた種が花開いた年だと言えるだろう。

新庄剛志というのは魅力的な男だ。監督としても人間としても。
そんな新庄監督から、私たちのような野球を愛する人間が学べることはたくさんある。

この記事では新庄監督の就任一年目となる2022年のキャンプ前に出版された著書『スリルライフ』から、新庄監督の考えを紹介する。

特に新庄剛志の「指導者」としての側面にスポットライトを当て、それを中心に見ていこう。


若い選手たちを指揮する上で気をつけていることは?

現時点で意識しているのは、とにかく褒めるということ。(中略)
「すごいね」「君がナンバー1だよ」とか言って、"その気"になってもらう。ただ、少し厳しい言い方をしなければ伸びない選手もいるだろうし、あえて声をかけないことで奮起する選手もいると思います。そのあたりは、キャンプ、シーズンを通して、把握していきたいと思っています。

p167~168

部活動やクラブチームで指導者をしている方の中には、「選手との壁」を感じていて、どうしても踏み込んだコミュニケーションが取れずに悩んでおられる人もいることだろう。
選手からしたら、やはり監督というのはどうしても特別に感じてしまうもの。
これは立場の違いから生まれてくる感覚なので、別に人間性がどうのこうのということではないのだが、それでも壁を感じていては指導もしにくい。

では就任1年目の新庄監督はどのようにして選手と接するようにしていたのか?ということの答えがこの「まず褒める」だ。

新庄監督の言葉を読んでいると、監督という肩書を取っ払って、まずは「ひとりの人として」、選手と向き合おうとしていることがよくわかる。

そう考えれば、「褒める」のは心理的な距離を縮める良い方法だ。選手への称賛を土台に関係性をつくり、その上に「監督」としての関わりを築いていっているのだろう。

もちろん監督としては褒めるだけではいかなくなる時も来るだろう。ただ、厳しいことを伝えるには相手に合った言い方をする必要がある。それを把握するために、長い時間をかけて選手をよく「観察」することが必要だ。新庄監督はキャンプとシーズンを通してそれをする。

ちなみに、人を伸ばそうとして褒めるときは、結果を褒めるのではなく、その結果に至るまでの努力や姿勢などの「過程」を褒めると効果的だ。

選手のプレー以外の部分もチェックしますか?

人間性はしっかり見たいと思っています。プロ野球選手は、ファンに愛される存在でいなければならない。(中略)それほど難しいことを求めているわけではないんです。元気に挨拶をしようとか、礼儀正しく、身だしなみをきちんとしようとか、人の悪口は言わないとか、そういうレベル。

p163

新庄の代名詞と言えば奇抜なパフォーマンス。そのため破天荒で非常識な人に見えがちだが、礼儀や目上の人への敬意をおろそかにしているかといえば、いやいやそんなことは断じてない。

さまざまな野球関係者の話によると、新庄は挨拶や礼儀といった人としての土台がとてもしっかりしているのだそうだ。
そういった土台があるからこそ、奇抜なパフォーマンスをしても受け入れられ、周囲の人やファンから愛されているのだろう。

難しいことではない。野球人にとって大切なことは人として大切なことと同じ。ここに書かれているような人間性の基礎の基礎を大切にすれば、少なくとも嫌われることはないだろう。そこから「愛される」ための道のりが見えてくる。これはプロ野球から少年野球まですべての場所で共通の真理だと言える。

しかし一般の社会に目を転じてみれば、「服が汚れている」とか「平気で悪口を言う」なんていう人は結構いる。
そういう人は、自分は気にしていないつもりだろうけど、周囲の人からの高い評価は得られない。

「モテたい」と口では言いながら身だしなみに気を使わない人もいる。その人に欠けているのは「この格好で相手が振り向いてくれるだろうか?」という他人の視点。要は世間を舐めているのだ。

しかし新庄も言うように、これらの基礎の基礎は決して難しいことではない。プロ野球選手になるより遥かに簡単。ちょっと気をつければできることだ。

その「ちょっと」で、愛されるか愛されないかが決まる。「愛される」ために払うコストはそれだけだ。愛されないリスクを考えれば、そのコストは払った方がむしろ幸せでは?

だから指導者は、「元気出せ!」「声出せ!」という指導に、「愛されるために」という前提を加えてみてほしい。
愛される人間性を身に着けた人は、その人間性が一生に渡る財産になる。
指導者は教え子にそんな財産を持たせてあげたい。野球を通じて。

意外と”昭和流”?

意外でもなんでもなく、完全に昭和の人間です。(中略)
「時代が違う」とか「そんな時代じゃない」みたいなことを言う人も多いですが、僕からすると本質的な部分は、何も変わっていない。暴力的な指導とか、ハラスメント的な発言とか、時代に関係なくNGだと思っているし、もともとそういうことをする人は好きではありません。(中略)
 なんでもかんでも昭和的だからダメというわけじゃない。昭和的だからおもしろい、昭和的だから若者にも伝わりやすいこともあると思います。

p171~172

普段の生活では常識的な振る舞いをしているのに、野球をしているときにはやたらと怒鳴ったりバットを投げつけたり、権威を振りかざしたりする指導者がいる。

新庄はそのような指導者にハッキリとNOを突き付ける。上記の行為は何より「人として」ダメなことだからだ。昭和の間だってよくない行為だったはずなのだ。

問題は、指導者(や教師や親)が「殴ったり怒鳴ったりしないと躾けられない」と思い込んでいるところにある。
でも指導とはそれだけではない。
相手が気づくまで繰り返し言うとか、「何でダメなのか」を丁寧に説明するとか、あるいはどういった行動を取ると人として魅力的なのかを伝えるとか、そういうことを時間をかけてするしかない。

そもそも人を育てるというのは時間がかかることだ。それは花を育てるのと同じ。種を植えてすぐに花を咲かせようとしても無理な話だ。それがわからずに水をやり続けたら、却って根が腐ってしまうかもしれない。

一方で、挨拶をちゃんとするとか、礼儀を大切にするといったことの価値は昭和から変わらない。昭和どころか縄文時代からだって変わらないだろう。

時代を超えて大切にされてきた価値を、辛抱強く伝え続ける。それが指導者としての「愛」だ。

「理想の監督像」はありますか?

まず言えるのは、勝つとか優勝するとか、それだけを目指す監督ではないということですね。それよりも野球というスポーツを通して、世の中を明るくしたり、元気にしたりということを第一に考えています。僕は12球団のひとつ、北海道日本ハムファイターズの監督にすぎませんが、頭の中ではプロ野球と社会の接点というかつながりをどう作っていくかということをすごく考えています。

p205

最後は選手とのコミュニケーションではないトピックをひとつ。

新庄の監督あるいは野球人としての魅力は、この視野の広さと視点の高さだ。

人気の低迷と人口の減少が野球界の課題となっている今、自分の球団が勝つことだけを考えているわけにはいかない。

確かに、大谷翔平の存在や2023年のWBCの劇的な優勝のおかげで野球人気はやや持ち直したようにも見えるし、テレビ放送は無くなったものの球場に足を運ぶファンは多く、直前にチケットを取ろうとしても取れないことも多い。

それは喜ばしいことではあるけれど、あともう一歩進んで「野球をやってみたい」と思うところまでいかなければ、日本のプロ野球界の未来はどんどん先細っていってしまうだろう。
そのような未来を避けるためには、野球という競技が持っているプラスの価値を、もっと社会にアピールしていく必要がある。

今のファイターズは魅力的だ。
万波の打撃と圧倒的な肩、田宮の走攻守とその笑顔、マルティネスのフェンス直撃打を放った後の腕立て伏せパフォーマンス、エスコンフィールドで勝った後の一本締めの様子などを見ていると、彼らはただ勝つためお金のためにプレーしているのではなく、「野球をする幸せ」を表現してくれていることを感じる。

そういう選手を見て魅力を感じた人が、推しの選手をつくる→野球に興味を持つ→球場に足を運ぶ、という流れで野球を好きになってくれたら、もしくは少年野球でも草野球でもはじめてくれたら最高だ。

もちろん、こういったことはプロだけがやればいいのではなく、リトルリーグから学校の部活動まで、関わってくれる人にとって「魅力的なチーム」を目指す必要がある。

新庄という存在は、そのためのひとつの指針だ。

そういう存在を「スター」というのではないか。

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