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ゴミをちゃんと捨てない人をも愛してみたい

僕の住んでいるマンションのごみ捨て場に、ルール通りに捨てられていない家庭ゴミが回収されずに放置されていることがある。ペットボトルのふたやラベルがとられていない、ペットボトルの中身が残っている、段ボールが折りたたまれていない、ビニール袋にちゃんと入っていない、などの理由で、そのゴミたちは回収されない。

マンションの管理側も、断固として回収しない。「この状態では回収できません」みたいな紙を貼るだけ。結果、どんどんとゴミ捨て場は回収されないゴミが残っていく。

この状況を見たほかの住人は、こう思うだろう。

「きっと、この分別されていないゴミを捨てた張本人は、回収されない自分のゴミを定期的にみているはず。なのに、なぜ片付けようとしないのか。」

「管理側も、これくらい多めに見て捨ててくれればいいのに。そのために管理費払ってるんじゃないのか」。

僕も、この状況を見ると、すごく嫌な気持ちになる。でも、その嫌な気持ちのまま過ごすのはもっと嫌なので、時折、自分でそのゴミを片付けている。ペットボトルのラベルとキャップを取り、中身を水洗いする。段ボールを小さくまとめる。ビニールから出てしまって散乱しているゴミを、他のビニール袋に入れる。(僕偉い)

こうすれば、無事、ゴミは回収されていく。ゴミ捨て場も僕の気持ちもキレイになる。だけど、その状況は数日しか保てなくて、また心無い住人がゴミをルール通りに捨てず、ゴミ捨て場は荒れる。

この状況は精神衛生上よくない。いつまでも終わりがない苦しみを味わっている感じがする。賽の河原で石を積むようなもんだ。

だから、発想を転換してみることにした。「これをやる人には、きっとやむを得ない事情があるんだろう。それを想像してみたら、その人を赦し、愛することすらできるんじゃないか」と。

まだ道半ばだけど、その想像の例をいくつかここに挙げてみたい。

想像例1:そもそもここの住人じゃない人が捨ててる

愛する方向性とはちょっと違うけど、ここの住人じゃない人が捨ててるんなら、少し気は楽になる。自分が住んでない場所なら、ゴミを乱暴に捨てる人がいることは不思議じゃない。

AirBnBは許可されていないはずだけど、こっそりやってる人も世の中いる。その利用者や、そのルールを守れないような人とかだと、こういうことも起きるかもしれない。

想像例2:ゴミの捨て方を知らない、読めない

日本以外の出身の人で、ゴミの捨て方はじめ、全然知らないという可能性もある。日本語も読めなくて、分別のルールも知らない。本人には全然悪気がなくて、実はめっちゃいいやつで、ちゃんと教えてあげればすぐに対応してくれるの。

それを教えてくれる機会がないだけ。都会のマンションだから住民同士の交流はないし、ゴミが捨てられてなくても突き返されるわけじゃない。

もしかしたら、お国柄、そういうことにまったく無頓着なのかもしれない。そう考えてると、なんだか陽気なラテンキャラとかがイメージできてきた。こいつなら愛せるかもしれない。

そんな人は見かけたことないけど、生活時間帯がズレてるだけかもしれない。

想像例3:精神的な障害があって、できない

ゴミ屋敷なんてものが世の中にあるくらいだ。僕はゴミ屋敷の住人は何らかの精神的な障害を負っているものだと思っているんだけど、あんな状態になっちゃう事例があるなら、ゴミ捨て場がちょっと荒れるくらいなんでもないと思っているかもしれない。

この場合は、本人は「やりたくてもできない」と苦しんでいるかもしれない。何かつらい体験をしてしまって、その穴埋めとしてこういう行動に走っているのかもしれない。薬物依存とかと同じで、罰することじゃなくて治療が必要なのかもしれない。

もしそうなら、怒りよりも、心配が先に来る。いつか元気になって、ゴミも普通に捨てられるようになってほしい。

想像例4:何かのゲームにチャレンジしてる

「どこまでルールどおりにゴミを捨てなくても回収されるのか」とか「何日放置されるのか」とかを、ゲーム感覚で試しているのだとしたらどうだろう。実は何かの条件をクリアすると賞金が出たり、囚われた子どもが解放されたりするのかもしれない。

本人は、本当はこんなことやりたくないんだけど、そのゲームに勝たないといけないから、嫌々ながらゴミをルール無視で捨ててる。誰かを助けるために、悪いともいながらも、仕方なくチャレンジしてるのだ。

これなら、別のところでやってほしいとは思うけど、本人にはどうしようもないので、少しは応援の気持ちが湧いてくる。僕がゴミ捨て場を掃除することは変わらないけれど、いつかこのゲームをクリアしてほしい。

想像例5:僕への曲がった愛情表現

愛に飢えている住人からの、僕への曲がりまくった愛情表現かもしれない。僕のことが気になっているんだけど、声もかけられない。気にも留めてもらえない。

だから、すごく遠回りな方法だけど、ゴミを適当に捨てて、それをキレイにされることで、つながりを感じている。いつか鉢合わせたときに「すみません、それ私がやってるんです」とか伝える機会を待ってるけど、まだその機会は来ない。

で、その子がめちゃ美人なの。さすがに愛情表現が曲がりすぎてるので困るけど、美人に好かれて嫌な気持ちになる男は少ない。愛するところまではいけないけど、悪い気はしない。

自分にできることをやるだけ

いろいろ考えてみたけど、たぶんどれも正解ではない。住人以外は入れないはずだし、外国人も見ない。だけど、こう考えると、ちょっと気持ちが楽になる。

ゴミ捨てルールを守らない人にいくら怒りを燃やしたって、きっとその人は変わらない。張り紙をするとかもやってみようとは思ってるけど、それで他人の行動が変わると期待して、結局変わらなかったときの落胆は大きい。

それならば、自分のやれることをやるしかない。良い環境を保ちたいと思ったら、自分でゴミを捨てなおすしかないし、怒りを燃やすんじゃなくて、その人を気にしないよう発想してみるくらいしか、やれることはない。

これは、今のCOVID-19の感染拡大状況にも当てはまるんじゃないだろうか。外出してる人、マスクをしてない人、沖縄に行っちゃう芸能人。「なんでこういうことしちゃうんだろう。他人のこと考えないのかな?」と思う人はたくさんいるし、自分もそう思われているかもしれない。

そこに、怒りを燃やしたって、状況は何も変わらない。できるのは、自分が取れる感染防止策をしっかりやって、他人を変に非難せずに良い精神状態を保つことくらい。

他人を慮るには、まず自分の状態が整っている必要がある。自分の状態が整えば、できる支援も無理なくできるだろう。医療従事者ではないので、感染拡大と医療崩壊の防止に、少しでもできることを考え、やっていきたい。


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