赤信号_1

(聖) ムカつくことも、そりゃあるよ (聖書の学び 30)

(約 2,300文字の記事です。)

そこで衝動的にストレスを発散することはできる。かつての自分はそうだっただろう。だが今は聖書の教えがある。

もし衝動に任せるならば、色んな選択肢がある。相手を攻撃する、自分を正当化する、論理で相手をやり込める、権力者の力を借りる、etc...。

*では聖書にはなんて書いてある?

うん、どれも衝動的な行動でOKになるようなことは書いてないな。

無信仰な自分ならばきっと暴走していたであろう。結果はどうなっても、まぁ、よい方向には転ばないな。


相手が正しいことを言っている?かも知れない。指摘内容をよく考える必要があるかも知れない。

相手が間違っている?で、そうだとしても、貴重な時間とエネルギーを使ってまでその人を諭したいですか?その価値がある人ですか?

聖書では、万人を救っていません。万物を救ってはいません。そう、取捨選択していることが書かれています。あなたもそうするべきです。で、ムカつくその相手、諭したい人ですか?その価値があると思いますか?Noならば、どうするべきでしょう?

聖書では、次の街に行く、追い出されるときに、なんて書いていましたか?確か足を拭いて次へGo!だったと思います。そういうことです。見切りを付けることも必要だ、と言うことだと思っています。

これは見方を変えると、悪に煩わされるな、とも考えられます。スパッと切って自分の信じる道を歩め、というメッセージだと私は解釈しています。

*ムカつくものはムカつくけれども

とはいえ、腹は立つ(笑)でも、一番いいのは、その要素を自分の腹から100%、完璧に排除すること。そうできれば忘れられる。記憶喪失になってしまえ。で、自分のやりたいことに100%注力した方がいい。

人は何とでも言う。成功者をねたむし、失敗者を笑う。でも、そんな人の存在など自分の中から消してしまえばいい。忘れてしまえばいい。いないことにしてしまえば、悪しき影響を受けずに済む。その正しさは聖書に書かれている。もちろん敵を愛してもいいけれど、限度がある。そのさじ加減は心の中の聖霊さんに聞いてみるしかない。

聖書には、何でもかんでも受け入れろ、というような観点は書かれていない。そそくさと去り、面倒ごとは避け、神様に誠実であることを忘れない。最終的に神様に言い訳できるのであれば、それは全て正しい行いなのだ。責任は全て自分自身にある。その説明責任を神様の前で果たせるならば、堂々と実行していい。逃げも、対立も、戦闘も。神様に忠実であれば、それは正しいことだ。

そう考えると、例えばいじめに荷担することは正しいかどうかは、明白だ。だが信仰心がなければ、判断は揺らぐ。それが無信仰ゆえの害悪なのだが。

*人生というログは後から書き換えできない、神様が全て見て下さっていらっしゃるから

後から無かったことになんてできない。基本的には、ね。応用的には「心のからの反省」があれば、神様はお許しになります。それがなければだめです。でも、そうなる前に、そうならないように正しき行いを続けていればいいだけだと思うのです。

で、何が正しくて何が誤りかは、難しいところですが、聖書には「絶対にNG」は明記されています。少なくともそれはやってはいけないこと。二千年以上の歴史を重ねて語り継がれるだけの価値があることが書かれています、聖書には。

*正しいと信じて行ってきたことは、きちんと神様からの祝福があります

だから悪意ある第三者からの横槍に負けないで、信じる信念を貫いて行動し続けてください。神様がきちんと見守って下さっていますし、きちんと祝福を下さいます。

だから負けないで。

とはいっても、やはり無信仰状態で「負けないで」なんていわれても、そもそも心の真ん中に信じるべき物が無い状態では、やはり弱い、脆弱なので、それも難しいかも知れません。だからこそ、「自分以外の何かをきちんと信じることの強さ」があるのですが、これは「無信仰が善」という風潮のある日本では難しいかも知れません。ですが、生きる上で自分以外の何かをきちんと信じられる人は、ピンチに強い、窮地に強い。判断がぶれないからです。

それができない人はうろたえやすいし、判断がブレるし、とにかく気に入らないことにかみつきがちだ。それが正しいかどうかは、各自判断のこと。聖書にはなんて書いてあるかは明らかですが、それを学ばない人にとってはその判断やアドバイスすらも無意味かも知れません。

*後は神様にお任せ

ま、人はとにかく言いたい放題な生き物なので、放っておけばいい。報いは神様がきちんと与えてくださる。よい行いにはよい報いを、悪しき行いには悪しき報いを、きちんと与えて下さいます。なのでご自身はできるだけよい行いをなすべきです。そうすればご褒美がもらえます。

悪しき行い?するメリットないよね、止めておこう。軽率な復讐とか、そんなエネルギーがあったら自分の信念に従う行いに投資すべき。そうすればラッキーがきっと訪れることでしょう。

あなたにとって、何が善で、何が悪か?聖書の教えと聖霊の囁きに従って判断してみて。答えは自ずと、実はとっくの昔に決まっていることだったりします。

迷ったら、寝て、起きてから再び考えてみるのもいいかもしれない。どうでもいいことは、明日、綺麗さっぱり忘れているはずだから。それが神様と聖霊さんからの一つの加護です。信仰心のメリット(笑)



今回の創作活動は約30分(累積 約1,458時間)
(422回目のnote更新)

読んでくれてありがとう。気長にマイペースに書いてます。この出会いに感謝😊