スピーチ_1

(聖) 聖人君子を目指してはいけない理由 (聖書の学び 13)

(約 4,400文字の記事です。)

はじめに

聖書を学び始める前の私は、神様はまさに聖人君子のような振る舞いをすると思っていた。聖人君子とは、立派な人徳やすぐれた知識・教養を身につけた理想的な人物、という意味。私が思いついたことは、

怒らない、冷静沈着、けんかしない、分け与える、常に笑顔、一生懸命、誠実、裏切らない、嘘つかない、正々堂々、優しさいっぱい、助け合う、などなど。

これ、幻想です(笑)色んな宗教の教えが入り交じった結果、いいとこ取りで作り上げられた偶像です。無信仰の1つの害悪といってもいい。

仮に、聖人君子になることができたとしよう。結果、よくないことが起こる。

聖人君子になってはいけない理由

楽(らく)したい人たちが永遠につきまとうから。楽(らく)したい人たちに永遠に囲まれることになるから。これです。

普通の人の身になって考えてみよう。

聖人君子のそばにいれば一生楽(らく)に生きられるんだから。努力もせず、ただただ聖人君子をあがめたてまつって側(そば)にいれば一生楽できるわけだからね。信仰も考えも何もない。ただそばにいればいいだけ。

ただ側(そば)にいればいいだけ。
何かあったら聖人君子に頼ればいい。それだけで何とかなるのだから。自分は努力しないで済むから楽ちん。

それを見知った人がどんどんと聖人君子の元に集まってくる。

結果、堕落した集団ができる。


あなたはその長になりたいか?


そもそも、そんな人たちを聖人君子はどれくらいの期間支え続けることができるか?短期的には可能でも、長期的には無理だよね?

聖人君子になれはしないが、仮になったとしても、ご自身のことも、周りの人間のこともだめにする。だから、聖人君子を目指すこと、それ自体が誤りなのである。

聖人君子たる条件のいくつかは、重要である。そして、いくつかがよくない行いなのである。一見美徳に思える行動も、実はNGだったりする。

(例えば、常に優しい、など。「常に」ってのがくせ者。)これを教えてくれる人は少なく、かつ、その人の考え方によっては、何がOKでNGなのかがバラバラなので、若者は困るのである。

では、どんな行動・振る舞いが正しいのか?

聖書に書かれています。

答えをここに書かないのかよ!と思うかも知れない。ごめんなさい。
その通りです。むしろ私も知りたいです(笑)分かりかけてはいますが、それを説教するほど分かってもいません。ですが、

新約聖書の福音書から読書することがオススメです。最初の私の理想像のうち、何がOKで何がNGかも、読めば分かります。多分。

聖書の面倒くさいところは、ズバッと書いていないところ。それがまぁ、時代や世代、民族の違いを超えて伝えうる普遍的な何かを伝えるために、必要だったのだろう。

そもそも、こうすればいい、という答えが網羅されているならば人類の誰も苦労しません。そしてそんな書物などあるのか?無理っぽい。AIでも作る?そこに無限の未来がある気もします(笑)The 脱線。

では、聖書の学びではどうか。

神様の振る舞いは意外と人間的よ♪

神様は、かなり人間的な振る舞いをする。まぁ、神が神に似せて人を作った訳であるから、分からなくもない。神は、私が思っているほど崇高な「振る舞いをする」わけでもなかった。

1. たまに怒る、
2. たまにシカトしてから面倒くさそうに答える(無視はしないw)、
3. でも対話の開始前に逃げることはよくある、
4. 嘘は言わないが戦略的な言葉を使う(、祭りに行くとは言っていない。では後からなら?ふふっ。嘘は言っていない。)、
5. 必ずしも分かりやすい言葉で説明しない(なぞなぞ的な何か)、
6. 「まだ分からないのか」という皮肉を、わりとよく言う、
7. 「はっきり言う」という宣言をして、はっきり言う

神の振る舞いなので、まねしてOKなのである。これが1つの明確な基準。これらは、心の声(聖霊さん)に従って、各自の判断で使い分けて良いのだ。だって、神様の振る舞いなので、どれも正しいのである。

これを否定する人は、神様以上の存在を目指していることになる。ご苦労様です。無理しないでね。なれるかどうかはわからないし、なったという人も知らないけれども、目指すこと自体は個人の自由です。そこは否定しない。

で、

数少ない「神様がお許しにならないこと」とは?

基本、神様は寛容なので、人のどんな罪も、その人の心からの反省で、全てを許す(赦す)と明言されていらっしゃいます。何度でも赦すと明言されています。

ただし、数少ないですが、「赦してはならない」と明言されていることがあります。それは、

聖霊を冒涜する者・その行為

です。(新共同訳 新約聖書 ルカによる福音書 第12章 第10節)
口語訳では章節番号が異なりますが、こちらです。

そこから引用すると、

「また、人の子に言い逆らう者はゆるされるであろうが、聖霊をけがす者は、ゆるされることはない。

聖霊とは何かの話になると、学びの深さによってとらえ方が変わる気がするので避けますが、今の私の解釈ですと、

*聖霊とは「良心」です。

良心、誰もが持っている。生まれ持っているはずの判断基準。なんで?神様が聖霊(良心)の神殿として人に肉体をお与え下さったから。肉体は、聖霊の住まう神殿として、神様がお与え下さったのです。
だから、誰の心にも良心があります。

故にその神殿(肉体)を大切にすべきなのです。体を大切にすることは、つまり神様にその神殿の保守をお約束することなのです。結果、神様から健全な体と良き人生を頂けるのです。
そして「良き人生」それ自体を神様が望んでいらっしゃいます。ゆえにラッキーが訪れます。結果、ご自身も良き人生を送ることができます。良き行いにより、良き人生となり、幸せになる。なぜならばそれら全てを神様が望んでいらっしゃるから。だから幸運が訪れる。全部、理にかなってるでしょ?


聖霊は最初から心の中にいらっしゃいます。聖霊=良心=神の教えに従う判断を与える心の声なのです。

いじめ、それに荷担していいか悪いか、分かるよね?心の声がなんて言っていますか?

ですから、していいこと・悪いことのうち、聖書にOK/NGが明記されていない事柄に対して、自分がどう振る舞うかについては、まず、聖霊の声に耳を傾け、判断します。その判断の際に、

 聖霊を
1. 汚すこと
2. おとしめること
3. 辱(はずかし)めること

である場合には、怒ります。怒っていいのです。いや、怒るべきなのです。(怒りの三段活用?w)

他者からの「聖霊を汚す行為」を受け入れてはならない

つまり、神様は「聖霊を汚すことを受け入れる行為」を悪いことだと明言していらっしゃいます。だから、そんなときには怒らなければならない、行動しなければならない。それをヘラヘラと受け入れてはいけません。

この点が「聖書を学ぶ者」と「無信仰ゆえの偶像的な聖人君子を目指す者」との大きな違いです。

良心=聖霊の声と考えると、なぜ人の心の中に「良心の呵責(かしゃく)があるのか」の説明が簡単に付きます。私は納得しました。あぁ、そうだったのか、と。そして、ご自身の聖霊の声の精度を高める(育てる)ために、聖書があります。聖書は聖霊の栄養源です。そう思ったのです。


以上です。ここから先はおまけです。


***

話は変わりますが、

嘘つきがいけない理由

とは何か?泥棒の始まりだから嘘をついてはいけない、というのではありませんw そもそも、嘘にも故意・過失の2つがあるので、嘘を嘘の一言で片付けることは乱暴すぎる。

で、過失の嘘は、心から反省すれば神はお許しになります。また、あなた(私)も、過失に対して他者の心からの反省があれば、許さなければなりません。神様ですらお許しになるのですから、神の子たる我々もまた許すべきなのです。許さないというのは傲慢です。

ですが、、、

故意の嘘は、赦してはならない。

その人の聖霊(良心)を悪くする行為だから。神が赦してはならないと仰っているので、それは赦すことこそが「悪」なのです。きちんと怒りましょう(笑)

ただし、どんな罰を与えるかどうかは、よく聖霊さんと相談しましょう。神は、人を裁くなとも仰っています。裁きに当たらない程度の罰ならば、よいでしょう。命を奪ったり、体に回復不能なダメージを与えることは、罰を超えていることは、おわかりでしょう。

聖書の学びにはきちんとメリハリがある

聖書には、OK/NGがきちんと明記されています。正しいことが書かれています。ここで気を付けてほしいのは、「正しいことの全てを網羅しているわけではない」と言うこと。全てではないのです。ですから、心に聖霊が必要なのです。聖書に書かれていない事態に対しての正しい判断を、聖書の教えと聖霊の声とに従って、考えること。

そうすれば、自ずと、正しいこと、正しくないこととが、きちんとご自身にとって自信を持って判断することができます。迷わなくてすむ、ぶれずにすむ、聖書の学びには、そんな効果があります。

無信仰なままでご自身で勝手に作り上げた謎の聖人君子を目指すよりも、よほどしっかりとした判断基準が得られると思います。一度、新約聖書の福音書からの読書をオススメします。
無料の聖書アプリ(iOS用Android用)が便利です。

以下、2019/07/28追記です。

*学ぼうという姿勢があって学べば理解できるが、その気が無ければ退屈な読書

聖書は、難しい。私もよくは分かっていない。新約聖書から読んでも、いきなり十分にはよく分からないw でも、そこから何かを学び取ろうという姿勢があれば、一つ一つのフレーズの意味を感じ取ることができるようになる。逆に、読書として読んだら退屈な小説程度にしか感じられない。ただ、どう感じるかは人それぞれの自由だ。否定はしない。それは読み手が決めればいい。押しつける必要はない。

聖書はいつでもあなたの求めに応じるように、ずっとそこに存在します。必要になったらお読み下さい。何十年も、何百年も、何千年も、お待ちしております。

無料の聖書アプリ(iOS用Android用)が便利です。
公式サイトはこちら。
https://my.bible.com/ja/

私は回し者でもなく無関係ですが、いいと思ったのでリンクを張っておきます。重い印刷物(聖書)を持ち歩く時代では無いと思うので。Webからの情報参照が当たり前の時代だと思うので。

(180回目のnote更新)

2019/07/28追記
今回の創作活動は約45分(累積 約900時間)
(320回目のnote更新)

2019/11/04追記
今回の創作活動は約15分(累積 約1,214時間)

2019/11/14追記
今回の創作活動は約15分(累積 約1,220時間)


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読んでくれてありがとう。気長にマイペースに書いてます。この出会いに感謝😊