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好きな話、手が大きい人生。

私は身長に比べて手が大きいです。それは、小さい頃からそうでした。

小学生の頃、姉がピアノを習ってまして、ピアノ教室の迎えに行くという母親にくっついて一緒に伺うと、先生が私の手をみて言いました。

「あら、手ぇ大きいねぇ!広げて鍵盤の上に乗せてごらん。うん、やっぱり大きい。すごくピアノ向きの手だよ!」

当時小3だった私は、大人に褒められたことが嬉しくてたまりませんでした。何の自覚もなかった自分の手には他人にはない能力があったんだと、特別な思いを持つようになり、すっかりピアノ教室に通いたい気持ちで体の中がパンパンになっていました。仕事から帰ってきた父親に、手が大きいと褒められたこと、そしてピアノ教室に通いたいことを告げると、父親は特にこちらをみる素振りもなく言いました。

「はぁ?オトコが何言ってるだぁ???」

おやまあ、といった心境でした。それでも、気持ちが高ぶっていた私は少しだけこの発言に食い下がると、その結果、何がどうして、翌週から「空手教室」へ通うことになったのです。

この出口は恐ろしかったです。えっと、何がどうなってこうなったんだっけ、親戚に空手の日本チャンピオンがいるからだっけ、なあにその理由は…気持ちの整理もつかないままに、私は新品のゴワゴワした道着に肌をヒリつかせながら、近くの公民館で開かれていた空手教室へ向かいました。ピアノから空手へ。「手が大きい」と褒められたことが嬉しかっただけなのに。姉の教室からは美しいピアノの音色が聞こえていました。しかしこの公民館からは、殺気溢れる「エイサァ!」「タァ!」などといった掛け声が飛び交っております。人生初めての習い事がこんな形でいいのか。ちっとも興味がないけれど。通い始めてまだ日も浅い頃、空手の先生は言いました。

「おぉ!おまえ手ぇおっきいなぁ!」

これは嬉しかったです。大人から二回も褒められたんだから、きっと自分の特殊能力は本物なんだと確信し、喜びました。しかし、先生は続けて言いました。

「おまえそれ、拳立て伏せしやすい手だよ!なぁ、拳立て伏せ!やってみ、拳立て伏せ、ほら!」

けんたてふせ。腕、ではなく、けん。拳。私ご自慢の手は、「ピアノ向きの手」から「拳立て伏せ向きの手」へ華麗なる転身を遂げました。握りこぶしを床に突き立て、初めてやった拳立て伏せはとても痛かったです。

「ほら、安定するよ!いいなぁ、先生羨ましいよ!」

笑顔の先生に罪はありません。でも私は、拳を握りしめて床に突き立てたくないのです。それに向いてるとか向いてないとか、心底興味がないのです。周りの同級生たちは、先生が付きっきりになって教える様子を羨ましがっているようでした。しかし、それも違うのです。こっちは嫌なのです。なんならまだピアノが弾きたいのです。しかし、熱心な指導はまだ続きます。

「拳を握ってこっち向けてみ?走る前みたいな足の形にして。そうそう、で腰落としてまっすぐ腕を伸ばして、先生に拳を向けて、、うん、いいね!拳が大きいから相手の目線きれるよ!上段を突いて目くらましにして中段入り込めば一本取れるわ!よしじゃあ、相手の動きに合わせて目線に拳を出して、すぐさま中段に飛び込んで突き、ちょっとコレやってみよ!」

嫌なのです。ちょっともコレやってみたくないのです。明るく元気に「やってみよ!」じゃないのです。先生が興奮していることだけは伝わりましたが、私はずっと、手なんか小さくていいと思っていました。宝物だったはずの特殊能力がものすごく裏目っています。体格の大きな茶帯の上級生相手に、顔、おなかに向けてワンツーを繰り出す練習が始まりました。同級生たちが「飛び級してるよコイツ…」といった目で見ています。好きで飛んでいるわけではないのです。私はピアノが弾きたいのです。

「上段から中段、ちがぁう!」

違わないのです。

「相手よくみて合わせて上段、、そう!いいよ!」

よくないのです。

「今度は突いたら引き手と一緒に『えーい!』って言いなさい」

言いたくないのです。「えーい」ってなんですか?

その後、2週間ほど仮病で休みました。やめる訴えをする勇気もないまま、結局その後も空手を続けましたが、先生が期待したワンツー作戦はまるで発揮されることなく、その代わりに、人と対戦しない、拳の大きさとは特に関係のない「演武披露」という形に傾倒していった私は、小6の時に東海4県で3位になりました。今となっては習ってよかったです。

その後も、手が大きいからソフトボールのピッチャーをやったり、バスケをやったり、奥様方に混ざってインディアカをやってみたりしましたが、どれも特別な能力はみられないままやめました。さらに、左利きであるという別の能力に注目した地域の野球少年団が練習に誘ってくれ、監督のおふるである左利き用グローブまで使わせてもらったものの、練習初日のフライキャッチでミスして鼻に当たって鼻血を出すという失態を犯したのですぐやめました。特別大きかったこの手は、中学、高校と進むにつれ、「身長の割に」という前置きがつくようになり、異質でも何でもなくなりましたが、悲しいのは、我が子の手の大きさから成長への飛距離を信じた150センチ満たない母親が、中1の段階で175の学ランを買い、そのまま伸びることなく未だにその学ランをブカブカな状態で着ていることです。

子供を褒めて伸ばす、は合っていますが、過度な期待はやめましょう。そして、そんな私の手は、第三関節が異常に柔らかく、手のひらと指全体が折れ曲がってビッタビタにくっつくという、まだ誰にも伝えていない特殊能力を秘めており、これがいつか世界の役に立つと固く信じているのです。


#ラブレターズ #手のモデルになりたかった幼少期

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