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うどんが長かった。

お昼過ぎ、15時頃。普段なら店の外に行列ができているとあるうどん屋がすいていた。よし、遅めの昼食はうどんにしよう。そのお店はいわゆる「名店」であり、弾力のある「コシ」と「ノビ」のいい打ちたて麺を堪能でき、しかも目の前でご主人が麺を切るところまでみれるというこだわりのお店である。昔、一度だけ行った時も、美味しかった記憶しかない。それが並ばずにいけるのならばと、意気揚々と入店。

カウンターに座り、何にしようか注文に悩む。前に来た時は温かいうどんにしたが、お店のこだわりは「麺」のようだし、目につくメニューも美しく飾られた「ざるうどん」だった。よし、ここはざるだ。天ぷらもつけちゃおう。店員さんに天ざるを注文し、待つこと10分。やって来たそのうどんは、とても艶やかで、盛り付けも「∞」の形に整えられており、見ているだけで食欲をそそるような見事な天ざるだった。これは美味しそう…ご主人の職人技に感謝しつつ、いざ一口頂こうと、うどんに箸を伸ばす。と、ここで問題が起こった。

美しく盛り付けられたうどんが、とても長いのである。

二、三本を箸でつまんで持ち上げても、まるでうどんのしっぽが出てくる様子がない。それどころか、弾力を持ってひしめき合っている「∞」型のうどん達は、互いにスクラムを組んでいるかのような団結力で絡み合い、螺旋状にくねりながら見事に盛り付けられているため、全っ然引っ張り出せない。全然じゃない。全っ然だ。そしてなんとか持ち上げても、今度は長いのである。仕方なく箸で切ろうとしても、見事な「コシ」と「ノビ」によって跳ね返されてしまう。…少し考える。…えっと、これはどうやって食べるのでしょうか?自分の中のイメージでは、食べきりサイズの3本ほどを自分のデコ辺りの高さまで箸上げして、それをつゆにつけてズルルといきたいところだが、それがどうやっても無理なのだ。こうなると、屈強な「∞」の形もなんだか怖く見えてくる。なんだこの要塞感は。どこから攻めても難攻不落じゃないか。もちろん、うどんに終わりがないはずがない。一本だけつまんで、このインフィニティループから少しずつ引き出し、収穫しきったところでつゆに入れてチマチマ食べていけばそれでコツコツ崩せるはず…でも、それをするには気が引ける。なぜならここはカウンターである。目の前には、先ほどまでこのうどんに魂を込めていたご主人の目が光っているのだ。その目を気にしないほど、私は堂々とした人間ではない。じゃあ別の手段で、箸で持ち上がった分だけをつゆにつけていき、スライドさせながらどんどんつゆに放り込んでいく方法も考えたが、まだうどんのしっぽを見ていないこちらとしては、想定以上に長かった場合、つゆの中に山盛り浸かってしまうことになるし、第一、つゆのお碗からインフィニティループまでダラリと繋がったうどんの姿は決して美しくないだろう。うどんだってそんなために形作られたわけではないだろうし、「こいつ下品だな」と、うどんに思われたまま食べたくもない。あと、もちろん目も光っている。どうしよう…ふと、カウンターの端に座り、今まさに「着ざる」したおばさまをみてみる。…動きが止まっている。気持ちが手に取るように分かる。そうですよね、これ、要塞ですよね?しばらくしておばさまは、スイッチが入ったかのように動き出し、取れたうどんから次々とつゆに移していき、こんもりしすぎた分のうどんをざるに戻すという、品格無視の暴挙に出ていた。おばさまの目がツヤ消しのビー玉みたいだった。それを見て「よし」と思い、私は一本一本丁寧にうどんを引っ張り続けたのである。味は滅っ茶苦茶美味しかった。滅茶苦茶じゃない。滅っ茶苦茶だ。


#ラブレターズ #エッセイ

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