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ミュージックスクエアの思い出。

家の整理をしていたら、懐かしい「MD」が出てきました。そんな「MD」にまつわる、個人的に思い入れの強い話です。過去に書いていたブログを二本まとめたもので、長いので、お時間ある時にどうぞ。共感できる方も、「昭和かよ」と思う令和生まれの1歳児も是非読んでみてね。



かれこれ20年ほど前の、中学時代の話。

音楽を聴くと言えば、私はもっぱら「ミュージックスクエア」というNHK-FMのラジオ番組でした。お金がなかったもので、滅多にCDも買えず、いつもこの番組をMDに録音しては、気に入った曲だけを編集して残すというMIX MD製作に勤しんでおりました。

こちら、当時のMD。
お初の方も、これがMDです。

今のようにネットやYouTubeが身近になかったので、そんな風にラジカセを活用して密かに音楽を楽しんでいたんです。極力クリアな音源を録りたくて、電波の入りのいいポイントを探して家の中をウロウロしていた頃が懐かしいです。一度、同級生にこの行動を話したら、「え、買えば?」「ミュージックはステーションでしょ?」と言われ、「オッケーオッケー」と心を閉ざした記憶がございます。ラジオ文化自体、同級生にはあまり馴染みがなかったようです…。そんなわけで、学校では陰気に暮らし、逃げこむように聴きまくっていた神番組「ミュージックスクエア」、思春期を支えてくれたこの番組の特徴といえば、「パーソナリティーが曲の上から喋らない」「フル尺流してくれる」という、自作MD人間からしたら最高なものでした。

ラジオで音源が流れる時は、必ず曲紹介が入ります。じゃなきゃ「誰の曲?」となってしまいますので。そしてこの曲紹介、大抵は歌いだすまでのイントロ部分で「それではここで一曲お聴きください~」と喋るか、曲のラストやサビ終わりに少しボリュームが落ちて、「お聴きいただいた曲は~」と曲送りするのが通例、というか、どの番組もそうなっているんですが、ここがミュージックスクエアは徹底的に違っていまして。こうでした。

「無音で曲紹介→一曲まるまる流しきり→続けてもう一曲まるまる流しきり→無音で『続けて聴いてもらったのは〇〇で××でした』と曲送り」

…これ、未だに他で聴いたことのないシステムでして。しかも曲はフル尺流すんです。サビ終わり、とかじゃなくて。これを毎日のように聴いていくと、だんだん、番組の「音楽への愛情」みたいな、言葉にしたら恥ずかしいし安っぽくなってしまいますが、そういうものを感じてくるわけです。そんな番組を進行するのは、「ナカムラタカコさん」という女性DJで、これがまた優しい声で、当時の私はほぼ恋をしていました。「声しか分からない存在に恋をする」って、もう今の時代ではなかなかないかと思います。今なら「調べりゃ顔出てくるっしょ?」という簡単なお話ですし。しかしながら、家にWi-Fiも飛んでなければケータイもないし、なんならパソコンさえないしといった環境だったもので、声だけを聴いて、こちらサイドで勝手に「この人は絶対的美女である」と断定し、その主に片思いする日々だったんです。

月~金の夜9時から約1時間半の帯でやっていたミュージックスクエア、もう一つ特徴をあげると、その「選曲」です。番組では、邦楽ロックを中心に、さまざまなジャンルの日本の曲がかかってました。アイドルソングもあれば、ラップもあるし、それがメジャーインディーズ関係なくごちゃまぜに入ってくるので、おかげで好きな音楽のジャンルが広くなり、未だに「ミュージックスクエアで流れてきそうな曲」が好きになる今日この頃です。さらに、金曜日だけはリクエスト放送ではなく、CDの売り上げに番組独自のリクエスト数などを加味したヒットチャート式の放送をしていて、当時、各音楽番組がオリコンチャートになぞらえたランキングを紹介している中、ミュージックスクエアだけはその独自性が爆発していたので、「え、そのトップアイドルをおさえてこのインディーズロックが勝つの!?」などという最高のジャイアントキリングが毎週のように起こっていました(笑)。これに一喜一憂しながら、土日を使ってMDを作っていたわけです。(ちなみに金曜は「タカギリエさん」というDJだったと思います。ナカムラタカコさんと共に、思春期を支えてくれた二大お姉さんです。)

そんなヘビーリスナー生活を過ごしていたある日、番組で「GOMES THE HITMAN」の「tsubomi」がかかりました。もしかしたら番組のテーマ曲になっていたかもしれません。たくさんのMDを作り、いろいろ聴いてきたわけですが、「このCDが欲しい」と思ったのは初めてでした。なぜかは正直わかりません。ビビビというやつでした。とにかくほしい。ほしいほしいほしい。必死にアーティスト名を聴いて覚えて、チャリに乗って買いに出かけました。店員さんに、「あの、『ごめっさひっとまん』って人たちのCDがほしいんです」と伝えると、「え、なんすか?」と言われたのを覚えています。「ごめっさひっとまんです」「え…なんすか??」と2往復したのも覚えています。もしかしたら怖かったのかもしれません。学校指定のジャージ姿のヘルメット中学生が耳馴染みのないことを呪文のように伝えてくるから。それでもこちらは、とにかくほしいわけです。「あの、『つぼみ』の入った、『ごめっさひっとまん』って人の、あ、バンドの…」、自分でも合っているのかどうか不安になりながら必死に伝え、店員さんにも頑張っていただき、取り寄せてどうにか購入。

こちらのCD。

「『ごめっさひっとまん』は、『GOMES THE HITMAN』というのか…『ごめっさ』ではなく、『ゴメス・ザ』だったのか!」など、耳コピでタイトルを暗記したヘル中は衝撃を受けました。

それ以来、まあすごい聴いたんです。なんかキラキラしてて、すごい好きで。静岡の浜松の端っこでひっそりと、ひたすらこのCDを聴いて過ごしていました。



そして、随分と時間が経ち、上京して大学も出て、ラーメン屋をちょっと挟んで芸人になり、ネットもケータイも手に入れた私は、Twitterを活用する日々に突入しておりました。数年前のことです。確か、GOMES THE HITMANについての呟きをしたことから、ボーカルの山田さんと繋がり、「今度15周年で再結成してライブがあるから」と誘いを受けて、観させていただきました。それはそれは大感動しまして。

ヘル中が粘って手に入れたCDにサインが入りました。

ミュージックスクエアから始まった縁が、ここまで広がりました。そんな気持ちを、かつてのブログで書かせていただいたところ、GOMES THE HITMANのファンの方で、僕らのことも応援して下さっている方で、ミュージックスクエアもご存じだった方が、ブログを広めてくれて、やがて山田さんやナカムラタカコさんの耳にも入り、その結果、

お会いすることができました。
ヘル中よ、ビビれバカ。三人で飲んだんだぞバカ。

「ブログ読んだよ、ありがとうね」なんて言われ、実感もなく、飲んでる間はもう、電波を拾いやすいベット脇にラジカセを運んで、アンテナのちょうどいい角度を探していたあの頃に戻っていました。「わたしの滑舌のせいで『ごめっさ』って聞こえちゃったんだね」なんてことを、変わらぬあの頃の声で聴かせてくれ、「いえいえ、へへ、へへ」とデレデレする自分。「曲をカットせずに一曲丸々流す」というミュージックスクエアの特徴は、中村貴子さんのこだわりだったそうです。それを聞いて、「それがよかったんです!お金がなくてCD買えない分、ひたすら録音して聴いてたんですよ!」と話すと、「そう!そういう人に聴いてほしかったの!」とおっしゃっていて、泣きそうになりました。(と、当時のブログでは書いていましたが、実際は少しだけ泣きました。それをみて中村貴子さんも少しだけ泣いていました。)「いろんな人に、そのとき聴いてほしい曲を、有名無名関係なく幅広くかけていたの」と、中村貴子さん。おかげで私も、the pillowsや中村一義といった邦ロックはもちろん、CDを買いに走ったGOMESのようなネオアコ、さらにはテーマ曲にもなってたKICK THE CAN CREWの「イツナロウバ」が入り口となってラップ好きにもなりと、ずいぶんな雑食に育ちました。振り返ってみれば、中学時代の私は、毎日のように、「近所の音楽好きの憧れのお姉さん」のような中村貴子さんが作ってくれたMIX MDをずっと聴かせていただいてたんだなと実感した夜でした。


そんな、中学時代から数年前までのことを思い出させてくれるMDと今、再会しております。家の整理をするきっかけをくれた憎きコロナよ、ありがとう。

久しぶりにミュージックスクエアを聴きたくてMDを再生することに。

よく見れば、中学の自分が自分のためだけに「特選」にしてるMD。勝手な奴です。筆ペンを使ってるっぽい字体と、ナゾの「SINGLE」ステッカーに思春期を感じます。

どうやらこだわったであろうそのMDには、ヘル中時代の自分の神編集によって、中村貴子さんの声を綺麗に消しきった曲の羅列だけが入っていました。

我ながら「特選」をナメていました。そしてごめんなさい貴子さん…。

おかげで、聞き覚えはあるけど誰のなんて曲か分からない楽曲ばかりが詰まっており、それはまるで、タイムカプセルのようでした。



#ミュージックスクエア #GOMESTHEHITMAN
#ラブレターズ


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