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ドラ娘いまさら論

出落ちですが、ドラ娘というシステムには、しらけてます。以上。

LTとドラとドラ娘の発祥とか関係は、koyhogeこと小山さんが「the Histrory of LT and ドラ娘」にコンパクトにまとめられてます。記憶では、初期は発表時間終了をアラーム音や卓上鈴などが知らせていました。小山さんによれば、ドラが持ち込まれたのは2002年。ドラが受けたのは、ドラの大音声の有用性以上に、IT系イベントにドラという嵩張ってうるさくて古臭いアナログ、非スマートの極みというミスマッチの楽しさだったように思います。

そして元祖ドラ娘の登場は、6年も経ちドラが定着した2008年。命名のお遊びだけではなく、進行に女性アシスタントを配して華を添えるみたいなステロタイプがミスマッチの面白さを再興したように思います。ドラ倦怠期を救った中興の祖というか。悪趣味?悪ふざけ?ハラスメント?うん、その感は否定できません。ただそうではあれ、その意味はセックスシンボルじゃなくて、ステロタイプのシンボルとしてのドラ+娘だったんじゃないかと。

「the Histrory of LT and ドラ娘」公開の2012年頃、ドラ娘は必須の流れでスタンダードになってました。全盛期。ある種のアイドル。「ドラ娘にドラを叩いてほしくてLT」「ドラ娘が叩く前に話し終わってどうする」という声も聞かれる時期。スタンダードって既にミスマッチの面白さとか残ってないわけです。既にステロタイプの象徴じゃなくて、もしかしたらセックスシンボルだったかもしれません。それでも続くドラ娘システムには、萌えない限りはしらけるしかありませんでした。

ドラ息子のシャレなのはわかるんですが、ハラスメントに歴史的経緯は関係ないですよね?(出典:IT系イベント主催者各位 そろそろドラ娘ってやめませんか?

個人的には、歴史的経緯としても、ドラ娘は終わったんだと思います。「華を添えるというステロタイプを演出」できた時期が終わって、単に「華を添える」というステロタイプそのものだけが残っていそうです。それが必要か否か、それは主催者の考える事でしょうが、参加者が求めるかというのは判断材料でしょう。

多くのエンジニアは勉強会やカンファレンスにおいては、その開催にできる限りの公平さ・公正さを暗黙のうちとはいえ期待してるんだよ。だからその場に性別差を強制する仕組みを持ち込まれることに対して違和感があるという、そういう話。(出典:IT系イベントにおけるドラ娘の話

「女性を配して華を添える」という考え方には、どうしても性別差を感じさせるものです。そして「華」が求められるのは、そうした意味合いの一部のイベントに限られるように思います。勉強会やカンファレンスはそういうイベントではない気がするのです。

...と「しらけてる」の意味を真顔で説明してみたけど、だから面白さが磨耗したと思った2008年頃から、もうしらけてるんですよ。そのあたりで、ドラ、ドラ+娘に続く面白システムが生まれなかったのが残念です。以上。

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写真はAtomic Tacoによる「Ring Bell For Service - Photo A Day 7/9/2009」。ライセンスはCreative Commonsのby-sa。もし「Creative Commonsって何?」と思ってもらえたなら、こちらのノートをお勧めします。

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