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辻タダオの三多摩だより17

さて、漫画制作、音楽活動の宣伝を目的に始めたnote。
当初はほぼ毎日何か投稿していたのだが
ここ最近は漫画制作でほぼ一日1本くらいなペースで
「原作者」としてネタを作るという流れになってきて
若干ここのペースは落ちてきたんだけど
大体の要領はつかめてきたので
ボチボチ気楽にとりとめもなくまた書く。
この「三多摩だより」に関してはあくまでも
のんびりマイペースでやっていくことにする。

で、2019年の大晦日なので
2010年代ももう終わりなのだが
自分の場合は丁度「正社員」を辞めて以降
現在までが丸ごと「10年代」に合致するので
心理状態も身体の状態もめまぐるしく変化し続け
一言でああだこうだと表すのはなかなかに困難だ。

ま、それでもあえて一言
個人的にこれは重大なことだ、
ってのをシンプルに挙げれば
「鬱」を知った2010年代であった、と。

実際それまでは無頓着に
「鬱?そりゃ甘えだ。甘え!」
くらいなことを言うタイプの者だったわけだ。

今現在は「鬱」状態には無い。

これは単に「今はそうでない」
としか言い様がなく
完治した
とか
おれはもう大丈夫だ
とか
言う気もないし
そんなことを言い切る根拠もない。

というのも
それに付随する
「アルコール依存」やら「パニック障害」
のようなあれやこれやも
単体でその病名で診断されたことはなく、
心療内科で「鬱ですね」と言われたのは確かだが
結局それも素人判断で真面目に通院せず、
薬などもその鬱診断された際の初回処方分を使い切って
それ以降全く摂取していない。

で、それが正しいのかどうかとか
断言はできないのだ。
現に鬱の人、鬱だった人、
といった「当事者」たる知人が、
御多分に漏れず自分の場合も多く存在するので、
「病院行かなくても平気平気」などと軽々に言えない。

たまたま自分はいまこうなってる
ってだけのことなのだ。

そんなこんなで2010年代は
「鬱を知った」時代であるからして
そりゃもう自分にとっては「暗い」時代
であったのは確かなのだろうが
いま現在鬱状態にない、ってことの要因に
「暗い」「明るい」っていうのを一切気にしない
ってこともあるので
そこもまあ一概には言えない。

いま鬱状態ではない自分としては
「2010年代ってのは鬱状態を経験したし
まったくもって暗い時代であった。
その暗さは筆舌に尽くしがたいものがあった。
いったいそれはどういった暗さかというと・・・・・・」
なんてな感じで振り返り始めてしまうと
それがもとでまた鬱状態になっちゃうじゃないか!
ということであり、
人生明るいも暗いもなくその時々の状態だ、
くらいの受け流しの姿勢で心の平静を保っているので
わざわざそれを自分から崩しにいくことはやらない。

とまあ自らの「鬱」のことを
「気楽」に書こうとすると
大概こんな雰囲気になるんじゃないっすかね。

と鬱なあれこれを表面上軽く振り返り
何かを宣言することもなく
2019年のnote投稿はおしまい。








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